>世界トップの医療体制を活かせない要因は「司令塔不在」だ
>田原総一朗です。
(略)
>1月31日の「激論!クロスファイア」では、元厚労大臣の塩崎恭久衆院議員に聞いた。 >塩崎氏の意見もまた、「民間病院を活かすべき」というものであり、「医療の選択と集中だ」ときっぱりと言った。
我が国の政治家が指導力を発揮する時ですね。
>調査結果を見ると、大学病院の入院患者の、約3割が「無症状」である。 >しかし「無症状」あるいは「軽症」の患者をすみやかに移せる医療施設がないため、そのまま大学病院に入院せざるを得ないのだ。 >「症状に応じて、あるいは病院の能力に応じて引き受けてもらう。 >病状にふさわしいところに移っていただく、そのための司令塔が必要だ」という。
司令塔で解決できるのですね。
>塩崎氏は、「この国は『感染症有事』のときにも、切り替えができない国なのか」と危機感を抱く。
日本人は思考を停止していますからね。
<日本はなぜ敗れるのか・敗因21か条> を著した山本七平の指摘する事例からも、大和民族自滅の過程は見て取れます。その一例を以下に掲げます。
私が戦った相手、アメリカ軍は、常に方法を変えてきた。あの手がだめならこれ、この手がだめならあれ、と。 、、、、、あれが日本軍なら、五十万をおくってだめなら百万を送り、百万を送ってだめなら二百万をおくる。そして極限まで来て自滅するとき「やるだけのことはやった、思い残すことはない」と言うのであろう。 、、、、、 これらの言葉の中には「あらゆる方法を探求し、可能な方法論のすべてを試みた」という意味はない。ただある一方法を一方向に、極限まで繰り返し、その繰り返しのための損害の量と、その損害を克服するため投じつづけた量と、それを投ずるために払った犠牲に自己満足し、それで力を出しきったとして自己を正当化しているということだけであろう。(引用終り)
>たとえば、昨年、安倍前首相は、「PCR検査を増やす」といったが、増えなかった。 >安倍前首相は「目詰まりあった」と釈明した。 >「トップが言っていることと、現実に末端で違うことが起きる国なのだ」と塩崎氏は嘆息した。
理解の問題ですね。日本人には理解というものがない。
見ることのできる内容は本当の事である。見ることのできない内容は ‘嘘’ である。誰しも嘘つきにはなりたくない。だから、自分の非現実は語らない。これが、日本人の思考停止の原因である。日本語には、非現実 (考え) の内容を語る為の時制のある構文がない。
現実の内容は頭の外にある。だから、見ることが可能である。見ればわかる。だから、考える必要はない。これは楽ちんである。正解はただ一つである。
非現実 (考え) の内容は頭の中にある。だから、見ることができない。それは、ただの話である。その内容を知るには文法に基づいて文章の内容を理解しなくてはならない。これは、骨の折れる仕事である。だから、通常、日本人は理解をしない。忖度 (推察) で代用して済ませている。
理解と忖度は似て非なるものであるから注意が必要である。忖度 (推察) は聞き手の勝手な解釈であるから、話し手には何の責任もない。たとえ両者の間に齟齬が存在しても議論にもならない。現実直視になっていないことを忖度の主に指摘しても、'だって、私は本当にそう思ったのだから仕方がないではないか' と懸命に反発するので取りつく島がない。かくして、日本人の対話は成立しない。
>そして「目詰まり」が起きないような、「強力な司令塔が必要だ」と繰り返した。
日本人にはリーズン (理性・理由・適当) がない。
>たとえばオーストラリアは、新型コロナ対策のため、「ナショナル・キャビネット」を立ち上げた。>首相と8つの州の知事たちで構成され、感染対策などを決定し、意思統一される。
日本人には意思がない。だから、猿真似しても成功しないでしょうね。
>日本は今、感染対策に、菅首相、田村厚生労働大臣、西村新型コロナウイルス感染症対策担当大臣、そして新型コロナワクチン接種推進担当の河野大臣が関わっているが、果たしてその体制でいいのか。
どの体制でもよくないでしょうね。
>日本の医療は、質、量ともに、本来なら世界に誇るべきものだ。>しかし現状はオペレーションのまずさ、「司令塔不在」のために、逼迫してしまっている。
日本人の指導者は昔から床の間の置物にたとえられていますからね。大切な事はできませんね。
>せっかくの宝物を活かすためには、政治が動くしかないのである。
日本人は政治音痴ですからね。
>菅首相はじめ政治家たちは、本当にわかっているのだろうか。
我々日本人は日本語と英語の両言語を良く学び、思考における時制の大切さを十分に理解する必要がありますね。英語にある時制 (tense) を使った考え方を会得すれば、我々は自己の意思 (will) を明らかにすることも可能になるし、自分自身の世界観 (world view) を持つことも出来ます。さすれば我々は国際社会において相手の理解も得られ、未来社会の建設に協力することも可能になります。かくして、我々日本人は、人類の進歩に一層の貢献が可能になるでしょう。
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