>産経新聞 >「日本は移民国家」参政党・神谷宗幣氏、将来的な外国人受け入れ比に言及「上限は10%」 >7時間・
>参政党の神谷宗幣代表は、8月28日に配信されたメディアアーティスト、落合陽一氏のユーチューブ番組で、日本の成り立ちについて「移民国家」との認識を示し、将来的な外国人の受け入れ比率について「上限は10%以下ではないか」と指摘した。
そうですね。
>出入国在留管理庁によると、現在総人口に占める外国人比率は約2・8%で、2070年に10%を超える試算がある。
>「移民が作った国」
>神谷氏は、7月の参院選で掲げた「日本人ファースト」について、「排外主義とレッテルを貼られた」と振り返り、「演説でもよく言っているが『縄文時代から見れば日本は移民国家でしょ』。
そうですね。
>もともと縄文人がいて、渡来人が来て、長い年月かけて今の大和民族ができている。
>だから、われわれが移民を受け入れられないのはちょっと変な話だ」と語った。
>日本の成り立ちについて「移民が作った国、混血でできた国だ。
>外国の方を排斥しようではなく、急激に入れすぎると米国や欧州みたいな摩擦が生じる」と述べ、「ドイツは(外国人比率が)20%を超えて大変混乱している。
>緩やかに外国人を受け入れていくのは10%以下ではないか、との概算をわれわれはしている」と語った。
>「自民のいい人材に来てほしい」
>将来的に自民党の人材を参政党に移籍させたいとの考えも示した。
>自民について「経験値と人材は一番多い。
>ただ、組織が古くなっており、人材が十分に力を発揮できない。
>古い組織はしがらみも多い。
>参政党は人材もいないし、ルールも定まっていない。
>理念と応援する人だけがいる」と述べ、「すぐに引っこ抜こうとは思わないが、自民党のいい人材に来てもらって、新しいルールの中で彼らの才能を生かせば、(政界も)ぐっと変わるのではないか」と語った。
>近現代史の光に焦点を
>落合氏は、「日本の歴史の中で、戦後をちゃんと振り返ることが顧みられていない。
そうですね。我々は戦前・戦後を深く振り返っていませんね。
日本の平和運動は体験者の証言だけにずっと依拠し続けてきた。
体験者は現実を語る者であるが、平和の礎には政治の仕組みを調べ、「改革」「運動」「参加」の考え (非現実) の内容を語る人が必要である。
>日本人はどうやって誇りや尊厳を取り戻すか」と尋ねた。
>神谷氏は、連合国総司令部(GHQ)による6年8カ月の占領期について「日本の考え方や教育、メディアの仕組み、憲法を含めてどう変えられたのか。
>変えた側の意図は何だったのか。
高橋史朗氏 (1950- )は米国の戦後の日本占領政策について、米国が「日本が二度と立ち上がれないような政策」を行ったとしており、それがその後の日本人の「自虐意識」を育てることになったと主張している。
意思がなければどうなるか。受動があって能動がない。だから、被害者意識があって加害者意識がない。罪の意識もない。これはアニマルも同じである。罪の意識のある人たちにとって、罪を知らない人たちの立ち上がりは恐ろしい。
‘罪悪感を国民に植え付けるプログラム’ (WGIP: War Guilt Information Program) とは、大東亜戦争後の昭和20(1945)年からサンフランシスコ講和条約発効によって日本が主権回復を果たした昭和27年までの7年間の占領期間に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領政策として行った、戦争への罪悪感を日本人の心に植えつける宣伝計画ですが見事に失敗しました。カエルの面に水でした。わが国からは戦争犯罪人は一人も出していません。意思の無い人間に罪の存在を理解させるのは難しいからです。従ってわが国の全ての宗教は罪と距離をおいたところに存在します。罪の意識に苛まれる病める魂の持ち主を救済する必要がないからです。日本人には贖罪の必要がないのです。
>どういう言論統制があったのか。
>タブーを無くして見直す必要がある」と指摘した。
自由とは ‘意思の自由’ のことである。だが、日本人には意思がない。意思がなければ自由そのものにも意味がない。だから、不自由を常と思えば不足なしとなる。そして、昔の儘の生活を続けている。
>そのうえで、「日本の近現代史を全部美化しようとは思っていないが、あまりにも評価が自虐的過ぎる。
日本人には罪がない。罪の話は自虐につながる。だから深刻な反省は得られない。
善人ばかりの国で善人が悪いことをする。それは出来心 (私意・我儘・身勝手) からである。性善説の国日本。意思がないので大人の顔は天真爛漫としている。
空があんなに青いのも、電信柱が高いのも、郵便ポストの赤いのも、みんなあたしが悪いのよ。
皆が罪びとのキリスト教国。人々には意思があるので罪の意識から逃れられない。謝罪・贖罪はいつまでも続く。大人の顔は後ろめたい顔つきになっている。
>いい部分と悪い部分両方あったはず。
いい部分と悪い部分を一生懸命に考える。それが序列メンタリィティの持ち主の情けないところですね。
>光の部分をしっかり若者に教えていけば、十分に日本人は誇れるものを持っていると思う」と語った。
そうですね。
「日本ヨイ國、キヨイ國。世界ニ一ツノ神ノ國。日本ヨイ國、強イ國。世界ニ 輝クエライ國。」 國民學校修身敎科書『ヨイコドモ 下』より 1941
日本人は思考を停止しているから、自分自身の意見を明らかにできない。わが国のマスコミの編集長でも例外ではない。だからいくら外部の情報を流しても、それが社会の木鐸の役割を果すことはない。「それでどうした、それがどうした」の問いに答えが出せないのである。我々日本人は自己の見解を述べる教育を受けてこなかった。だから個人の価値が低い。[木鐸=ぼくたく:世人を教え導く人]
英米流の高等教育機関において自己の個人的な見解を明らかにすれば学位 (博士号など) が得られる。ぜひやるべき勉強です。
イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本人とユダヤ人> の中で ‘自らの立場’ について以下のように述べています。
何処の国の新聞でも、一つの立場がある。立場があるというのは公正な報道をしないということではない。そうではなくて、ある一つの事態を眺めかつ報道している自分の位置を明確にしている、ということである。 読者は、報道された内容と報道者の位置の双方を知って、書かれた記事に各々の判断を下す、ということである。 ・・・・日本の新聞も、自らの立場となると、不偏不党とか公正とかいうだけで、対象を見ている自分の位置を一向に明確に打ち出さない。これは非常に奇妙に見える。 物を見て報道している以上、見ている自分の位置というものが絶対にあるし、第一、その立場が明確でない新聞などが出せるはずもなければ読まれるはずもない。・・・・・ (引用終り)