人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

我等の母校

2021-10-23 05:00:00 | ファミリー・ヒストリー

「我等の母校」は、私が卒業した暁学園(→こちら)の学園歌の
一節だ。
一番は、「海原遠く見はるかす」で始まり、「ああ我等の母校 
暁学園」で終わる。
学園歌の作詞は石川達三、作曲は橋本國彦だ。

私は、その小学校と中学校を卒業した。中学を卒業したのは、も
う55年前だ。人間的で、明るい学校だった。

今年は、学園創立75周年。私には小学校と中学校の両方から寄付
のお願いが来た。
--当時、中学主事の早川先生が「君たち、早く偉くなって、暁に寄付してくれ
よ」と言っておられたことを思い出す。



小学校にも中学校にもいろいろな、断片的な思い出がある。
中学校では、クラブ活動の「掛け持ち」が許され、私は陸上部と
山岳部に入り、冬場はサッカー部にも所属していた。
顧問は、それぞれ上逵(うえつじ)先生、加藤先生、谷先生だっ
た。

陸上部の仲間二人が、ある時、「なんとなくおもしろくないので、
もうやめる(退部)わ」というので、上逵先生に言いに行く二人
についていった。
「先生、僕ら、もう陸上部をやめたいのですが・・・・・・」
「うん?そうか・・・・・・。よし、分かった」
あまりにもすぐにお許しが出たので、みなビックリ!
結局、二人はやめるのをやめ、その話はなかったことになった。
ちなみに、上逵先生の担当科目は「美術」であった。


ある時、母と市内諏訪町にある中華料理店に入ったら、そこで顧
問の谷先生が食事中。独身の谷先生は飛び切りの美人と一緒だっ
た。先生は私に気づいていたようだが、私は知らないフリをした。
学校に行っても、そのことは誰にも言わなかった。先生がその女
性と結婚されたのか、いまだに知らない(子供は、思ったより大
人であり、つまらないことを覚えているものだ)。


山岳部の顧問の加藤富雄先生は、ウワサによればマナスル登山隊
の「候補」だった。真偽のほどは定かでない。先生は、数学の時
間、黒板に山の絵を描くのが得意だった。中学卒業時、私は、先
生にオネダリして、ノートに山の絵を描いてもらった(→下の写
真)。





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50周年の同窓会会報(75周年記念も出るかしらん。)


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