人生ブンダバー

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清水脩「月光とピエロ」60年(2)

2009-02-13 05:27:08 | 音楽
昨日に引き続き、平成16(2004)年に発行した「ステージ上の同窓会2004年」記念
文集に載せた拙文「月光とピエロ」から。

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 さて、ワグネル2年目(46年)に出会ったのが「月光とピエロ」である。「月光
とピエロ」には作曲者の指揮による教科書的な演奏(東混・二期会の男声)がある
が、<ぼくらの>「月ピエ」はそれとまったく違う演奏だった。
(注)清水脩の自作自演は、ハチャトゥリアン、ブリテンを思わせる、立派で堂々
  たるものである。Topもすべて実声ではっている。第5曲「月光とピエロとピ
  エレットの唐草模様」の最後から5小節目「ピエロ~」のフェルマータの後の
  四分休符(――ほとんどの演奏は慣習的に無視して、次の小節に突っ込んでい
  るが。)もきっちりと意識して演奏している。

 畑中先生による最初の練習(――たしか天現寺幼稚園だった。)で、「月夜」の
出だし4小節(―― sempre pp ! そう、先生の出だしは sempre pp だった。)を
大変な緊張感と集中力の中、先生の棒に食らいつき、何回練習したことだろう。
「『つきのひかり』の『か』はア行で開口面積が広いから気を付けて!ほおってお
くと音量が大きくなるの」という先生の大きな声をついこの間のことのように思い
出す。(それはまるで、畑中先生のご著書『音楽青年誕生物語』にある、先生が音
楽学校在学の当時、H.ヴーハーペーニヒ教授に「ドイツ歌曲」をワンフレーズご
とに厳しく指導を受けられ、「一時間かかって八小節」状態だったかのようであっ
た。)あの大変な緊張感と集中力、先生もぼくらも全身全霊を傾けた1時間半(=
1回の練習)が終わるとぐったりして誰とも何も話せなくなってしまうような、
「苦しい」練習をぼくはもう二度と体験したくない。そう思えるほど貴重な練習だ
った。

 ワグネル昭和46年の演奏は、「ピエロは、月の光を浴びて恍惚感にひたっておど
けているのではない、怒っているのだ」を声にした「熱い」ものだった。あの「ピ
エロ」の声は、あの時代の、したがって46年の現役ワグネリアン(47~50年卒)で
しか出せない声だった。今でもCDにしたライヴを聴くと、当時の<すべて>を思
い出し、冷静でいられず涙がこみ上げてくる。

 平成10年第123回の定演で畑中先生/ワグネル(現役+OB)の「月光とピエ
ロ」も聴いたが、それは当然ながら46年の演奏とは別物だった。今回の「ステージ
上の同窓会」で歌う「月光とピエロ」もまた違った「ピエロ」(「すいも甘いもか
み分けた、熟年のピエロ」)になるに違いない。(平成16年11月)


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