3月24日(火)洋ちゃんこと三浦洋一先生を偲ぶ会がサントリーホール 小ホール
で開催された。発起人(敬称略 五十音順)は、伊藤京子、鎌田實、栗林義信、下
田博郎、瀬山詠子、築地利三郎、長野羊奈子、新実徳英、畑中良輔の方々。
三浦先生は昭和8(1933)年3月24日生まれ。昭和30年東京芸術大学音楽学部ピアノ
科を卒業。31年同専攻科を修了。ピアノを遠山つや、ハンス・カン両氏に師事。畑
中良輔先生監修の日本歌曲全集(ビクター)の伴奏ピアニスト。平成21(2009)年
1月22日75歳で逝去。(俳優の三浦洋一とは別人。)
新実徳英さんの司会で進められた会のオープニングは、伊藤京子さん独唱、三浦先
生伴奏の「さくら横ちょう」のCD演奏--「春の宵 さくらが咲くと ・・・・・・
君はもうここにゐないと」。伊藤さんは、このオープニングをご存じなかったよう
で、その場で泣き伏してしまわれた。

ステージに飾られた三浦先生の写真

ステージには三浦先生のアルバム写真が展示された
途中ではワグネルのKさんが昭和49(1974)年3月16日にNHK-FM(横浜)を
録音した、三浦先生のお話「音楽夜話」が流された。「もうタッシナーリにかんか
んにいかれちゃって・・・」という人懐っこい話しぶりがホールによみがえった。各
国の来日歌手の伴奏を務めた三浦先生ならではの、イタリアの歌い手は譜面を読め
なかったり、勘定ができなかったりというお話がおもしろかった。

懇談風景(ブル先生はどこ?)

三浦先生とのエピソード(*)を披露される栗林義信(バリトン)さん
(*)不世出のヴェルディ・バリトン、バスティアニーニ来日の折、バスティアニ
ーニと洋ちゃん、栗林さんで飲みに行ったところ、米国の観光団が入って
き、その女性方がバスティアニーニを見つけて大騒ぎになったそうだ。
伊藤京子さん、瀬山詠子さん(ソプラノ)方が異口同音に言われたことで印象に残
ったのは、三浦先生の伴奏はほとんど打ち合わせをすることもなく、歌っていてこ
こで前へ出たいなと思うと自然に伴奏もそうなるということだった。本当に感性が
豊かで、一緒にブレスをし、歌を歌っておられたのだろう。
最後は伊藤さんの独唱(伴奏はむろん三浦先生)CD「夏の思い出」に合わせ、全
員合唱で締めくくられた。三浦先生のお人柄が偲ばれるお別れ会だった。
で開催された。発起人(敬称略 五十音順)は、伊藤京子、鎌田實、栗林義信、下
田博郎、瀬山詠子、築地利三郎、長野羊奈子、新実徳英、畑中良輔の方々。
三浦先生は昭和8(1933)年3月24日生まれ。昭和30年東京芸術大学音楽学部ピアノ
科を卒業。31年同専攻科を修了。ピアノを遠山つや、ハンス・カン両氏に師事。畑
中良輔先生監修の日本歌曲全集(ビクター)の伴奏ピアニスト。平成21(2009)年
1月22日75歳で逝去。(俳優の三浦洋一とは別人。)
新実徳英さんの司会で進められた会のオープニングは、伊藤京子さん独唱、三浦先
生伴奏の「さくら横ちょう」のCD演奏--「春の宵 さくらが咲くと ・・・・・・
君はもうここにゐないと」。伊藤さんは、このオープニングをご存じなかったよう
で、その場で泣き伏してしまわれた。

ステージに飾られた三浦先生の写真

ステージには三浦先生のアルバム写真が展示された
途中ではワグネルのKさんが昭和49(1974)年3月16日にNHK-FM(横浜)を
録音した、三浦先生のお話「音楽夜話」が流された。「もうタッシナーリにかんか
んにいかれちゃって・・・」という人懐っこい話しぶりがホールによみがえった。各
国の来日歌手の伴奏を務めた三浦先生ならではの、イタリアの歌い手は譜面を読め
なかったり、勘定ができなかったりというお話がおもしろかった。

懇談風景(ブル先生はどこ?)

三浦先生とのエピソード(*)を披露される栗林義信(バリトン)さん
(*)不世出のヴェルディ・バリトン、バスティアニーニ来日の折、バスティアニ
ーニと洋ちゃん、栗林さんで飲みに行ったところ、米国の観光団が入って
き、その女性方がバスティアニーニを見つけて大騒ぎになったそうだ。
伊藤京子さん、瀬山詠子さん(ソプラノ)方が異口同音に言われたことで印象に残
ったのは、三浦先生の伴奏はほとんど打ち合わせをすることもなく、歌っていてこ
こで前へ出たいなと思うと自然に伴奏もそうなるということだった。本当に感性が
豊かで、一緒にブレスをし、歌を歌っておられたのだろう。
最後は伊藤さんの独唱(伴奏はむろん三浦先生)CD「夏の思い出」に合わせ、全
員合唱で締めくくられた。三浦先生のお人柄が偲ばれるお別れ会だった。
所蔵の日本歌曲CDを調べたら、三浦先生の伴奏のものがた
くさんありました。木下先生、畑中先生はむろん、立川さん、中
村さんご夫婦、伊藤さん、中沢さん・・・・・・等々。このブログでも
また取り上げましょう。
先生 いつまでもいつまでも お元気でいて欲しいなと思っていました、、なくなる数日前の電話 で 「お前に足りないのわねーーーー」とあの声でおっしゃって、、、残念で残念で仕方ありません。
ご冥福をお祈りいたします。s
私にとっては「伴奏者」としての三浦先生しか存じ上げませんでしたが、「偲ぶ会」当日も
「教師」としての三浦先生について九州から上京されたピアノの先生が「絶賛」されていま
した。
ご出席されたピアノの方々は「とても『洋ちゃん』とはいえません。私にとってはあくまで
『三浦先生』です」とおっしゃっておられました。
40年間もの「師弟関係」とはちょっと想像できないません。--サラリーマンは40年の会社生
活はふつう考えられませんから。
それにしても先生は人懐っこい、気さくな方でしたね~。
芸術、芸事における師弟関係は「永遠」なのですね~。よき師に恵まれることは一つの幸運な
のかもしれません。三浦先生は全国に立派なお弟子さんを育てられ、天国でニコニコと満足さ
れておられることでしょう。
三浦先生が亡くなられて、はや1年以上が経ちました。偲ぶ会がつい先日のことのように思い出されます。
「棺を蓋いて事定まる」といわれますが、演奏、教育両面において傑出されていたのですね~。
どちらにお住まいか存じ上げませんが、また時々お立ち寄りください。