昨日、小林秀雄と畑中良輔先生の「批評精神」について、触れた。
やや長くなるがその「出典」を必要最小限に引用しておきたい。
<小林秀雄>
自分の仕事の具体例を顧みると、批評文としてよく書かれてい
るものは、皆他人への讃辞であって、他人への悪口(批判)で
文を成したものはない事に、はっきりと気附く。そこから率直
に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だ、と言え
そうだ。・・・・・・
(小林秀雄『考えるヒント』文春文庫p199)
(注)小林秀雄:1901-1983。東京帝国大学文学部仏文科卒。
<畑中良輔先生>
「(昭和14年6月)27日名曲鑑賞のシャリアピンのボリスに一言す
る」と称して、既発売のレコードと舞台からのライブ録音が放送さ
れたことに対して、「アナウンサーは何もそれについて云わない。
せめて、『これは舞台からの録音です』位は云ってほしい』という
畑中先生(当時少年)の文章が、(昭和14年)7月1日、その(注:
当時の「都市放送」)名曲鑑賞の時間について投書したところ、朝
日新聞の「録音」というコラムに採り上げられた。
この私の投書と同時に「槍騎兵」というコラムに、今日出海氏
の「批評家の貧しさ」という一文が出ていた。・・・・・・
「批評家の貧しさ」 (今日出海)
話は旧聞に属するが、いつか哈爾濱(ハルピン)から遥々
(はるばる)交響楽団が東都を訪れた。そして批評家から散
々手厳しい批評を受けたものだ。僕はこの事実を忘れない。
何故なら彼等の批評は厳正な故に手厳しいのではない。或る
者は新響(現NHK交響楽団)と比較して、技術的に劣ってい
ると指摘した。
だが新響の方が優れているからといってそれが何になろう。
劣っていたらそれこそ悲しむべき事実ではないか。・・・・・・
(ここに)批評の厳正というものよりも、僕は批評家の貧し
さというものを見てとった。敢えて哈爾濱交響楽団に対する
批評のみではない。また音楽批評家のみではない。我が国の
文化批評の中には、批評家自らの貧しさのために、批評の自
律性まで失われて、岡っ引きのような余裕のない、口さがな
い狭量さを暴露していることがある。(原文は旧仮名遣い)
畑中少年はこの時初めて、生のオーケストラである哈爾濱交響楽団
を聴く。
ただそのあとの批評はどれも酷評。・・・・・・ここにはこれまでの
国際的背景、民族の背負った悲しみに対する配慮はまったく見
られず、どの批評も”水に落ちた犬は叩け”式の、自己満足型の
ものがほとんどだった。・・・・・・私がもし批評家になるとしたら、
こんな批評は書きたくないな、と思いながら6月頃に出た音楽
雑誌の評を本屋で立ち読みして歩いたことだった。”手厳しく、
一刀両断のもとに切り棄てて何が残るのか”という問いは、この
とき以来、今なお私の心の中に燃え続けている。・・・・・・
(畑中良輔『音楽少年誕生物語』音楽之友社p129)
(注)今日出海:1903-1984。東京帝国大学文学部仏文科卒。
畑中良輔:1922-2012。東京音楽学校声楽科卒。同研究科
修了。
17歳にして、如何にも畑中先生?
ちなみに小林秀雄と今日出海は、東大仏文科で同期だった(大正14
年入学)。
小林秀雄の作品から『批評家失格』、『考えるヒント』、『モオツァ
ルト・無常という事』
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3年前、民進党が希望の党に合流するにあたって、枝野幸男氏はスジ
を通し、党を離党、立憲民主党を立ち上げた。雷同せず、一定の評
価を得た。今度はどうか?
国民民主党の玉木雄一郎は少数派となったが、むしろスジを通した
と評価されるかもしれない。
ちなみに小沢さんは、自民党を離党後、新生党→新進党→自由党→
民主党(小沢派)→国民の生活が第一→日本未来の党→生活の党→
生活の党と山本太郎となかまたち→自由党→国民民主党→(新)立
憲民主党?と、私の頭ではとても覚えられない(笑)。
私の経験に基づく「大胆予測」では、現状では、(新)立憲民主党
に風は吹かないのではないか。
総理経験者も合流しそうだが、なおさら「昔の名前(民主党)で出
ています」状態になるかも・・・・・・。
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