人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

小川先生

2022-01-10 05:00:00 | ファミリー・ヒストリー

年末の大掃除をしていると、いろいろな物が出てくる。
中学一年の時の担任、小川茂樹先生の句集もその一つだ。

先生は、担任いただいた昭和38(1963)当時、32~33歳だった
と記憶する(教わった先生の年齢を、生徒は覚えているものだ)。

入学式では、きちんとポマード(柳屋製?)をつけ、ネクタイに
スーツ姿だったが、普段はジャンパー姿だった。

先生の担当は英語。新聞部の顧問をしていた。あだ名は「チュウ
チュウ」(由来は知らない)。


最初の授業で、例えば教科書を読みなさいなどと指名されたとき
は、「Yes, Sir」と言って、立って読みなさい、と教えられた。

しかし、5月、6月と進むうちに、皆だんだん「Yes, Sir」と言わな
くなっていく。気づくと、それを言うのは、私の親友S君と私だ
けになっており、先生からは「最近、Yes, Sirと言うのは、Sと〇
〇だけだナ」と笑われた。


夏休みの計画を提出した時、先生は
「8時起床と書いているのがおったナ(笑)」
その瞬間、男子の何人かが一斉に私を見た(どうして私と分かっ
たのかしらん)。

クラスルームで、一人ひとり趣味を訊かれた。
切手収集と答えた者が何人かいた。
私が
「写真です」
と答えると、
「撮る方か見るほうか?」
その意味が分からなかった私がキョトンとしていると、
「いや、写真を撮る方か見る方なんか?」
と重ねて質問された。

朝礼の時に、少し派手なセーターを着ていたら、近寄ってきて、
「おまえ、ちょっと派手なセーター着ていたナ」
と、優しく注意されたことなども思い出す。

クラスで何かの役割を決める時、みんな様子見でなかなか決まら
ない。先生がぎりぎりのタイミングで、
「こんなのは誰でもよろしい」
と言われた途端、
「は~い、やります」
と手を挙げたのは、前述のS君と私だった。


中学3年の時だったか、市のサッカー大会で、私が右目にサッカー
ボールを当て、眼底出血で一時的に右目が見えなくなった時には、
先生が会場(中部中学校?)からホンダスーパーカブで小谷眼科
へ連れていってくださった。


先生には、昭和61(1986)年、暁学園40周年の時にお会いし、何
人かで参加した二次会で親しくお話させていただいた(場所はス
ナックのような所だったかしらん)。

先生は、先生が前年に食堂静脈瘤破裂で入院されたこととともに、
サッカーで右目を怪我した私を小谷眼科へ運んだことを思い出と
して語っていた。

それからしばらくして、先生の句集、小川蕉雨『雪嶺』(自費出
版)を頂戴した。先生が俳句を作ることをその時までまったく知
らなかった。

 卒業の子等が最後の列を組む

先生は、平成3(1991)年頃、残念ながら60歳過ぎに亡くなられ
た。今生きておられたら、91歳のはずだ。

【ご参考】→こちら


先生の句集『雪嶺』


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