人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
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永澤友衣・前田勝則ピアノジョイントリサイタル 大熊先生生誕90年 週間フォト日誌

2013-10-28 05:00:00 | 音楽

ワグネル(男声)OBの久保田さん、佐藤さん、鈴木さんの主催により、ワグ
ネルが現役、OBともに日ごろからピアノ伴奏で大変お世話になっているの
で、その感謝を込めてという趣旨から、10月20日(日)霞が関のイイノホー
ルで「永澤友衣・前田勝則ピアノジョイントリサイタル」が開催された。

イイノホールに行くのは何十年振りかしらん。昔、聖心女子大学グリークラ
ブの演奏会で行ったかしらん。いや、聖心グリーの演奏会は虎ノ門ホール
だったかしらん。「かしらん」ばかりである。迷うといけないと、事前に地図を
十分確認し、早めに霞が関に着いた。

イイノホールは、平成23(2011)年に建て替えられた、立派な飯野ビルに
あった。(「イイノホール」←「飯野海運」だったのですね~。)
開場15分前にホールに着いたら、すでに長蛇の列である。

この日のプログラムは、ベートーヴェンとリスト。作曲者は17世紀(1770年)
生まれと18世紀(1811年)生まれの天才である。ベートーヴェンの弟子は、
練習曲で有名なツェルニーであり、その弟子がリストだから、リストはベート
ーヴェンの孫弟子に当る。ウィーンつながりといえるだろう。


<プログラム>
l.v.ベートーヴェン
1.ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13「悲愴」*
2.ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調**
--休憩--
F.リスト
3.リゴレットによる演奏会用パラフレーズ*
4.献呈*
5.ペトラルカのソネット 第104版(「巡礼の年 第2年 イタリア」より)**
6.愛の夢 第3番**
7.スペイン狂詩曲*

前田勝則* 永澤友衣**


l.v.ベートーヴェン
1.ピアノ・ソナタ 第8番 ハ短調 作品13「悲愴」*
 前田さんは下手よりゆっくり登場、正面でゆっくりとおじぎ。いかにも温かな
 盛大な拍手で迎えられた。「悲愴」は3楽章ともにテンポ感がすばらしく、右
 手も快調だった。終わると盛大な拍手がいつまでも続いた。

2.ピアノ・ソナタ 第30番 ホ長調**
 永澤さんはブルー系の、高価そうなドレス(男性より女性の方が衣装代が
 かかるでしょうね?)で、やや足早に登場。ゆっくりとした部分では神がか
 った集中力を発揮した。会場からもしわぶき一つ聞こえない。

--休憩--

休憩時、200円のコーヒーを飲む。「200円のコーヒーは、ホールとしては破
格のお値段ですね~」と喫茶コーナーの人に言ったら、「有難うございます。
では心を込めまして」と見事に返されてしまった。


後半冒頭、お二人が登場、初めてワグネルの伴奏をしたのはいつでしょう?
などの楽しいやり取りと曲目の簡単な紹介があった。会場も、休憩後とあって
多少リラックスした雰囲気である。

F.リスト
3.リゴレットによる演奏会用パラフレーズ*
 リストらしい編曲。指がよく回りますね~。

4.献呈*
 華やかな「献呈」。シューマンとリストに想いをはせる。シューマンとリストは
 1歳違い。そういえば、ショパンとシューマンは同い年。たしか、3人それぞ
 れに交流があったではないかしらん。

5.ペトラルカのソネット 第104版(「巡礼の年 第2年 イタリア」より)**
 村上春樹の小説--今年発売になった『色彩を持たない多崎つくると、彼
 の巡礼の年』で有名になった曲(とのご紹介。未読)。毎日、10時間は練習
 されるのかしらん。

6.愛の夢 第3番**
 「愛の夢」の「第3番」。第3番が有名で、第1番、第2番はむろん別の曲であ
 る。元々は歌曲であるが、歌曲の伴奏とは違う、独奏用のものである。(以
 前、後藤友香理さんに教わった。)下手な人が弾いたら、ガチャガチャとうる
 さく聴こえるだろう。

7.スペイン狂詩曲*
 難曲中の難曲、かしらん。とくに後半はリストが乗り移ったかのようなヴィル
 トゥオーゾにものすごい拍手だった。

それにしても、お二人ともノーミスだったのではないかしらん。(--ライヴに
は結果としてミスがあっても、大勢の聴衆の前で行うライヴの価値は変わら
ないが。) どこにも恣意的な部分がなく、すばらしかった。

長い拍手に続いて、アンコールが演奏された。
前田さん;リストの「忘れられたワルツ第1番」
永澤さん;ショパン「ノクターン第20番(遺作)嬰ハ短調」
連弾;Y.S.バッハ「主よ人の望みの喜びよ」(マイラ・ヘス編曲)


経済学士の私は、この演奏会の収支はお二人への謝礼(ギャランティー)を
含め、黒字だったかしらん、と主催者のご苦労というようなことも考えた。
ちなみに、客席定員500席。入場料は3,000円。ホール代は午後357,000円
である。「演奏会の経済学」というとオーバーになるけれども。

*永澤友衣さんのお名前の読み方が、プログラムにYuiとローマ字になって
おり、初めて知った。




千代田線霞ケ関駅ホーム


飯野ビル


イイノホールは4~6階になる。


開場前から多くの行列


ほぼ満員のお客さま ピアノはスタインウェイ


花束受付


イイノホールより 霞が関1丁目、西幸門前交差点、日比谷公園


ホットコーヒー200円



プログラム





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青澤隆明『現代のピアニスト30』(ちくま新書10月刊)★★★★

このところ、ピアノ曲をいくつか聴いている。青澤さんは東京外国語大学卒
で、今年43歳。20年以上にわたってライヴ(生演奏)を聴いておられるよう
だ。文章はやや観念的、哲学的かしらん。



チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番、ラフマノフ 前奏曲集

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のCDは、ホロヴィッツ、アルゲリッチ
やアシュケナージで聴いているが、ここへ来て、初めてリヒテルとカラヤンを
聴いた。

カラヤンは1908年生~1989年没。リヒテルは1915年生~1997年没。
二人とも20世紀を生きた人である。リヒテルは最近まで知らなかったが、
ロシア在住のドイツ人といっていいようだ。

この録音(チャイコフスキー)は1962年9月である。何で読んだか、すぐ忘
れてしまうのだが、当初はカラヤン/リヒテル/ベルリン・フィル/ドイツ・
グラモフォンで録音の話が進んでいたらしい。しかし、1961年8月にベル
リンの壁が築かれてしまったために、一触即発の当時は、リヒテルは西ベ
ルリンには来れず、ベルリン・フィルがソ連に行けるわけでもなく、永世中
立国となったオーストリアのウィーンで、ウィーン・フィルではなく、ウィーン
交響楽団で録音されたようだ。(出典というか話の原典は何かしらん。)
カラヤンは終戦直後にウィーン交響楽団と「カラヤン・チクルス」を開催した
ことがあった。

カラヤンはどちらかというとテンポの速い指揮者に分類されるかもしれない
が、この演奏はむしろ遅めのテンポでリヒテルともども堂々とした演奏であ
る。後半のラフマニノフのピアノ曲もいいものである。

        *        *        *        *

週間フォト日誌

10月21日(月) 
今週も台風が来そうである。10月の台風はあまり経験がない。


本郷通り


神田駿河台3丁目のイチョウ並木


新お茶の水ビルで「文化と歴史の街 お茶の水を描く100人展」を開催して
いた。絵が描けるのはうらやましい。

10月22日(火)
風邪で休む。熱が出ないのが幸いである。

10月23日(水) 
東京芸術劇場5階シンフォニースペースでの佐藤先生指揮現役・
OB合同
練習。


スープストック、この日はダブルポイントデー。スタンプを4つももらった(笑)。
スープストックのポイントカードは各店共通なのがいい。


東京芸術劇場5階


大久保先生の発声練習

練習開始5分前に到着したら、大久保先生がベース寄りにヒョコンと座って
おられたのでビックリし、「ご無沙汰しています」と丁重におじぎする。先生は、
私の顔を意外と覚えておられるのかおられないのか、「あ、どうも」と手をあ
げられた。

大久保先生による発声練習
「はい、OBも私の顔を見ないで、見るのはあとでゆっくりと。ステージがある
と思って、遠くを見て歌ってください」
「そんな、悟りを開いた顔じゃなくて、人間らしい生き生きとした表情で、大き
く歌ってください」
大久保先生のレッスンにゲラゲラ笑い声がおきる。

「はい、最後にドイツ語の子音の練習。まず『w』から。『w』は日本語にありま
せんからね。おヴぁあさん(お婆さん)、ヴぉうず(坊主)とは言いませんからね。
はい、アオウの母音の頭にくっつけてやってみて」

発声だけはいくらリクツで分かっていても、(リクツで分かることとできること
は同じではない。)全員ができるまで繰り返す必要がある。ゴルフと同じで
ある。先生も何十年と、あきらめずに根気よく同じことを繰り返しておられる。


ただいま休憩中 写真の奥、ベース寄りのイスに大久保先生 手前にピアノ
前田先生


佐藤先生による「ローエングリン」練習

Ⅰ.から順番におさらいしていく。「音色も暗譜すること」という佐藤先生の指
示にハッとする。アマチュア合唱が音色なども統一していくにはある程度長
い練習が必要だ。佐藤先生の練習ではいつも何かしら「そうか」と勉強にな
る。現役時代、若い頃は夢中でハッとする暇もなかったけれど。

最後に前田先生から、全員の拍手に包まれ、「先日は有難うございました。
平成11(1999)年にワグネルOBの伴奏をさせていただいてから、いいこと
ばかりで・・・・・・。今度は(ローエングリンの)伴奏で還元させていただきます」
というご挨拶があった。


会社近くのゆうちょで定額貯金をしたら、キャンペーン中のためコシヒカリ
1kgをいただいた。(下の写真)



この日は、
・慶應から明治へ改元(1868年)
・明治6年の政変(1873年)
・トリツキーがスターリンに追放される(1926年)

amazonで注文した、山本尚志『日本を愛したユダヤ人ピアニスト レオ・シ
ロタ』(毎日新聞社)が届く。(読後感はまた後日)。




10月24日(木) 
台風27号の予想進路にやきもき。台風のことは(常駐している)バイク便さん
に訊くのが一番である。

amazonで注文の岡村喬生『ヒゲのオタマジャクシ世界を泳ぐ』(新潮文庫)
が到着。




10月25日(金)
虎の門病院で採血、定期検診
GOT43、GPT75と前月よりdown。この数か月で最も低かった。なぜ下が
るのか分からない(笑)。
血圧69~118
「治験はOKが出ないので、正式発売となったら、投与しましょう」。
C型肝炎の治療法は日進月歩である。


金刀比羅宮正面の鳥居


虎ノ門2丁目の環状2号線工事 
向こうに見える高層ビルはグランスイート虎ノ門?


10月26日(土)
大熊一郎教授生誕90周年記念大熊ゼミOB会総会
(於三田キャンパス生協食堂 会費7000円)
恩師大熊先生を偲んで、昭和32年卒から62年卒まで、150人以上の人が
集まった。

大熊一郎先生は、大正12年12月15日浅草雷門のお生まれ(母と同い年)、
昭和61年12月1日62歳で亡くなられた。大正13年生まれの福岡正夫先
生とともに千種ゼミのご出身である。

前に書いたかしらん、大熊先生は昭和44年7月から48年6月まで常任理事
をされていた。そのため4年間ゼミが休止状態だったが、48年はストライキ
で、全員進級が遅れ、スト解除後に進級、入ゼミ試験後大熊ゼミが復活した。

私はワグネルを一生懸命やっていたので、ゼミは受けないつもりでいたが、
大熊ゼミだけは、火曜と木曜で(ワグネルの練習日は月、水、金、土だった。)、
しかも入ゼミにあたっては成績は関係なく、筆記試験(英語と経済原論。数学
もあったかしらん。)だけというので、ダメで元々、受けたら受かってしまった。
先生が50歳になられる年だった。

当時は、1級上もおらず、大変名門のゼミで優秀な学生が集まることなどは
まったく知らなかったが、私の同期も、(私以外は)金子隆先生(後述)はじ
め優秀な方ばかり。(大熊先生は私には「何を読んでるの?」などとはお聞
きにならず、宴会の席になるといつも「都はるみを歌ってくれよ」とおっしゃる
のだった。)

ちなみに先生のゼミが発足した時(昭和30年4月)、先生は31歳だった。
先生がお亡くなりになって27年にもなるのに、これだけ多くの人が集まるの
は先生の人徳である。毎年、11月最後の日曜日にOBの墓参会が行われ
る。



三田の図書館旧館 福澤諭吉の像が見える。


大熊先生ご生誕90周年祝賀総会懇親会会場の案内


大熊先生の写真が貼り出された。


先生の名著『フィスカル・ポリシーの理論構造』


会社の5年先輩Tさんとバッタリ。Tさんとは先日も新日本フィルの定演でバッ
タリお会いした。


先生を偲んで黙とう。 (私も写真を撮りながら)


丸山徹先生のスピーチ
--大熊先生は『おしゃべり』というエッセイ集を出版されましたが、みなさん、
先生がおしゃべりだと思われるでしょうか?私はおしゃべりだと思うんですね
~(笑)。原稿を持たず、立て板に水のスピーチだった。(丸山先生は千種ゼ
ミのご出身である)。


金子隆商学部長による「学校状況報告」
金子隆先生は私の同期、昭和50年卒。この10月から商学部長に就任された。
年間スケジュールと就職動向--こちらも分かりやすい。ちなみに金子先生も
ゼミ開設30年だそうだ。(おめでとうございます!)。


最後にワグネルの先輩古谷野さん、天野隆子さんの先導で「ゴンドラの歌」、
「慶應讃歌」、「若き血」を合唱。
天野さんは明治~昭和の時代考証家である。NHK朝ドラの時代考証で活
躍されている。

「ゴンドラの歌」は、ゼミ雑誌(会誌)の名前にもなっているように、先生がお
好きな歌だったようだ。
「いのち短し 恋せよ乙女 ・・・・・・」
先生、享年62歳はお若すぎますよ~。私はまもなく63歳になる。

昭和50年卒の同期は、2番目に多い、12名の出席だった。ほとんど卒業以
来という方もおられたが、まったく違和感なく学生時代に逆戻りしてしまうの
は不思議だ。

(来週へ続く)。


二次会は金子先生のお世話で、三田図書館前の「ふうりん」へ
ずいぶんサービスしていただいたようだ。


ふうりんさんのトイレ


やっぱり「かき揚」でしょう!

三田キャンパス西校舎で配布していた『三田學界雑誌』106巻2号から「経
済学講演会 ケインズ経済学:回顧と展望(福岡正夫)」を読んだ。
おもしろかった!

同誌に「戦後日本におけるクラシック音楽に関する研究 文化資本としての
クラシック音楽と近代的聴衆の崩壊(本間千尋)」という研究ノートが掲載さ
れているが、あまりピンと来なかった。
「文化資本」とは学歴や文化的素養をいうようだ。提唱した人はフランス人
である。はたして日本にあてはまるのか。福岡正夫先生の感想を聴いてみ
たい。


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