4月14日(土)、清水港に上陸後、徒歩で清水次郎長の生家に向かう。
次郎長は、文政3(1820)年の生まれ、明治26(1893)年、73歳で
亡くなった。当時としては長生きだったのではないかしらん。
清水次郎長は、本名山本長五郎。幕末~明治の東海道随一の侠客(きょ
うかく)だ。「侠客」と「やくざ」はどう違う?
清水一家には、大政、小政、森の石松などがいた。なお、森の石松の
「森」は、静岡県西部(浜松付近の)森町村だ(知らなかった!)。
私は知らなかったが、次郎長は、明治維新後、富士山麓の開墾、清水
港の港湾整備、英語塾の開設などの社会事業を行った。
これは、次郎長の養子となった山本五郎著『(聞き書き)東海遊侠伝』
に負うところが大きいようだ。
10:47 清水港上陸後500mほどの地点 巴川下流
10:48
10:49 静かに読書?
10:53 路地を進む。昔ながらの道。
10:56 「次郎長生家」の駐車場 生家も近い?
10:56 次郎長の生家に到着 美濃輪町4-16
10:56 平成29(2017)年7月リニューアルオープン
10:56
10:57
10:57
10:58
10:58 次郎長が使っていたとされる「ばくち道具」
10:59 次郎長が死亡した年、著名人はいくつだった?
夏目漱石26歳
明治天皇41
伊藤博文52
福沢諭吉58
勝 海舟70
等々
11:00 生まれ変わった次郎長の生家&次郎長の功績
11:01 明治9年、英語塾の開設
11:07
11:15 次郎長関連の本、CDなどを販売している。
11:15 江戸時代の巴川と浪曲「次郎長伝」のCD
11:15 次郎長一家28人衆
11:16
次にここから徒歩5分ほどの次郎長の墓にお参り(お墓参り付いてい
る?)。お墓参りは不思議と雨にならない。
11:23 次郎長の墓がある梅蔭寺
11:23
11:24
次郎長資料館に入館(有料300円)しないと、次郎長の墓には行けない。
11:26 清水次郎長
以下、資料館にて
11:28 次郎長の大開墾
11:30 次郎長の肖像画
11:31 次郎長が開いた英語塾(明治時代)
11:33
11:34 清水次郎長
Yさんが清水次郎長物語に詳しく、清水次郎長を取り巻く人物の名前
がポンポン飛び出してくる。
「すごいね~。なんでそんなに知ってるの~?」
「東映映画ですから」
お墓の前で、その繰り返し。
(ご参考)→こちら。TSUTAYAで借りてみようかしらん。
11:35 左から石松(奥側小さめ)、大政、小政の墓
--次郎長の墓に向かって右側に並ぶ。
11:36 中央に侠客次郎長の墓
11:36 同上のアップ
11:38 次郎長の妻お蝶さんの墓 お蝶さんは、初代、二代、三代と。
11:39
11:41 年齢順に次郎長のお墓にお参り
11:42
11:43 お墓群の全景 柵に囲まれている。
11:43 「旅姿三人男」の碑 歌うはディック・ミネ
見ているのは、旅姿4人男。4人でできるのは、カルテット?麻雀?
余談だが、ディック・ミネ(1908-1991)は立教大学卒。
ディック・ミネは淡谷のり子に見いだされたって本当?
ちなみに淡谷のり子は、ドイツの名ソプラノ、リリー・レーマンの孫
弟子だ。--どこかで書いたかしらん。
11:44 精神満腹会の碑--次郎長を讃える。
「精神満腹」は山岡鉄舟が次郎長に贈った言葉である。
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