遠州横須賀・三熊野神社大祭(保存版)

DyDo日本の祭り2006現地特派員blogアーカイブス(H18.2.1~H19.1.10)

「きれいな町で祢里が曳きたい」

2006-11-20 21:03:55 | H18三熊野神社大祭
人が集まればゴミも集まる・・・
今年(H18)の三熊野神社大祭では、「きれいな町で祢里が曳きたい」という、要望が青年衆から出され『三熊野神社大祭クリーン大作戦』を展開、ゴミのお持ち帰り運動を推進しました。お祭り関係者はもとより、町内の方たちから露天商・お客様にまで、お祭りに関するすべての関係者の皆さんにご理解&ご協力をいただき、成果はまずまずといったところでした。
※写真(ゴミの持ち帰りをお願いする看板)
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H18大祭を振り返る(48)来年に向けて

2006-07-20 19:18:30 | H18三熊野神社大祭

千秋楽後、祢里が次々と去ってゆき境内は徐々に寂しくなってきます。「新屋町」は最後から2番目、12番目に三社様を退出し、祢里が東を向くと同時にお囃子を馬鹿囃子から大間に変えます。そして「無事にお神輿様供奉のお役目を終えた」ことを、町内を一周して報告、稽古場へ向かいます。こうして、3日間にわたったお祭りがお開きとなり、また来年のお祭りに向けた、新しい遠州横須賀の一年が始まるのです。
※写真(終わってみれば、あっという間の3日間でした)
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『平成18年三熊野神社大祭を振り返る』了

H18大祭を振り返る(47)感動と涙の「千秋楽」

2006-07-14 19:09:08 | H18三熊野神社大祭
13番の祢里が所定の位置に着くと同時に、祢里はお囃子を止め、境内には一瞬の静けさが戻ってきます。舞屋では、順番旗・腕章の返納につづき、総代会長からは、今年のご祭礼が無事にお開きとなることの挨拶が行われます。そして、青年幹事長の音頭により「シャンシャンシャン、シャシャシャンシャン」の手拍子が境内に響くと、祢里は一斉に馬鹿囃子の曲を始め、境内は再び怒涛と喧騒の渦に巻き込まれます。そして、古来から決められ順番で、一台また一台と境内を後にしてゆくのです。
こうして三熊野神社大祭は素晴らしいフィナーレを迎えます。
「横須賀の一年は祭りで終わり、そしてまた始まる」まさにその瞬間です。
※写真(一年間この一瞬のために・・・感動と涙の千秋楽)
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H18大祭を振り返る(46)大祭はクライマックスへ

2006-07-13 19:07:43 | H18三熊野神社大祭
PM9:00、お神輿様の渡御に供奉し、丸一日をかけて横須賀を一周してきた13台の祢里は、三熊野神社へと戻ってきます。そして大祭はいよいよクライマックスを迎えるのです。境内へ参入した祢里は、鳥居の東側を通ってお堂を時計回りに廻ります。境内は乱れ打たれる13台の祢里のお囃子で、騒然とした雰囲気に包まれ、その喧騒の中で、次の一瞬を迎えるのです。
※写真(13台の祢里は次々と境内へ参入、所定の位置へとついてゆきます)
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H18大祭を振り返る(45)軍全町から本町通りへ

2006-07-12 19:06:21 | H18三熊野神社大祭
祢里は軍全町から、本町通りへと出てゆきます。本町へ入る十王堂四つ角(スンエン電気さん四つ角)は、本楽夜祭りの大きな見せ場、見物のお客様も多く、各町ともお囃子を馬鹿囃子に変えたり、祭りは最高潮に達します。祢里は十王堂を過ぎるとややペースを上げ、本町通りを東に進んで三社様を目指します。
※写真(軍全町から本町通りへ)
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H18大祭を振り返る(44)夜祭りの枠上げ

2006-07-09 19:02:34 | H18三熊野神社大祭
PM5:30、花を巻き提灯に灯りをともし、夜の準備を整えた13台の祢里は、一番祢里より順次枠上げ、三熊野神社へ向かって前進を開始します。祢里は東田町~再び東新町・横丁を経て、軍全町へと入ってゆきます。街灯の少ない軍全町では、祢里の照明が暗闇に映えて出しが浮かび上がり、幻想的な情景が映し出されます。
※写真(徐々に宵闇が迫り、出しが浮かび上がります)
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H18大祭を振り返る(43)夜祭りの仕度

2006-07-08 19:01:25 | H18三熊野神社大祭
PM5:00頃、一番祢里は軍全町地内「軍全橋」の上で夜祭りの仕度のために枠を下ろします。それに続いて祢里は順次枠下げ、最後尾の13番は東田町地内「佐野屋」さん前あたりになります。天幕を取って花を巻き、提灯を取り付けてから照明の確認、目が回るような大忙しの30分間です。準備が一段落するとようやく夕ご飯、しかしその頃には一番から枠が上がり始めます(笑)
※写真(夜祭りに準備に大忙しの30分間です)

H18大祭を振り返る(42)かつての見せ場「田町の夜祭り」

2006-07-07 19:00:05 | H18三熊野神社大祭
夕闇が迫る頃、祢里は大工町を一周し、大坂屋の角から再び田町通りへと出てきます。その昔は「田町の夜祭り」といって、三熊野神社大祭の見所の一つでした。「下紙川」の川面に映る提灯の灯りが、それはそれはきれいで風情があり、川筋は近郷近在からの、大勢の見物客で埋まりました。平成5年「下紙川」は埋め立てられてしまいましたが、「田町の夜祭り」の素晴らしさを、実際に体験した私たちが、後世に語り継いでゆかなければなりません。
※写真(この田町通りを下紙川が流れていました)
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H18大祭を振り返る(41)吉野小路から大工町へ入る

2006-07-05 18:56:16 | H18三熊野神社大祭
田町通りを東に向けて進んできた祢里は、吉野小路を右に曲がり、大工町の狭い道へと入ってゆきます。大工町は江戸時代、お城の前にあった片側町でしたが、寛永20年、第11代遠州横須賀城主・井上正利公の町普請により現在の場所へ移され、今に残る横須賀12町が完成しました。もともと町のあった場所が「瀬」であったことから、大工町は「せ組」になった、と言われています。
※写真(狭い大工町の中に、13台の祢里がひしめく)
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H18大祭を振り返る(40)新町通り~田町通りへ

2006-07-04 18:54:56 | H18三熊野神社大祭
祢里行列はお水神様の前を通過、松尾町地内・横須賀城址のすぐ東側を廻って、田町通りへと出てきます。この水神宮には横須賀城の絵額が掲げられており、明治6年に横須賀城が廃城となってからは、お城の代わりとして、御神輿様のお旅所となっています。今でも西5町(東西新町・田町、大工町)の皆さんは、役太鼓の奉納を水神宮前・横須賀城址で行っています。
※写真(祢里は田町通りへと出てきます)

H18大祭を振り返る(39)高札場から横丁へ

2006-07-01 18:51:25 | H18三熊野神社大祭
三社様前を通過した祢里は、本町通りを西へと進み、さらに高札場跡を右に曲がって、東新町地内・横丁へ入ります。現在では下紙川が埋め立てられ、田町通りの方が広くなってしまいましたが、元々お城へ向かう往還は新町通りで、御神輿様渡御の際には東西新町の古老お歴々が、鳶口を持ってお出迎えをしています。
※写真(祢里は横丁へ入ってゆきます)
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H18大祭を振り返る(38)三社様前

2006-06-29 18:16:16 | H18三熊野神社大祭
各町の祢里は、三社様の前ではお囃子を馬鹿囃子にしたり、最高潮の盛り上がりを見せます。見物のお客様も良く知っていて、特に写真を撮る方は、石垣の上などいい場所を確保してその一瞬を待っています。見ているお客様と祢里を曳く人が一体となり、祭り独特の雰囲気をかもし出し、祭りは最高潮に達します。
※写真(三社様前、祢里も祭りも最高潮!)
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H18大祭を振り返る(37)名人の踊り

2006-06-26 18:11:50 | H18三熊野神社大祭
自町・新屋町へ入り、大いに盛り上がる祢里の上。いつもは決して人前で踊ることのない「名人」がその素晴らしい踊りを披露してくれました。その面白おかしい仕草には、思わず笑いが起こり見ている人たちからは賞賛の拍手喝采!めったに見ることのできない名人芸を、今年もまた見せていただきました。
※写真(名人の踊りに、思わず笑いが湧き上がります)
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H18大祭を振り返る(36)吉村作治先生、来横

2006-06-25 18:10:38 | H18三熊野神社大祭
今年は、三熊野神社大祭「DyDoお祭りドットコム」で取り上げていただいたおかげで、私もこのblogを書かせていただいているわけです(笑)が、この取り組みを監修してされている吉村作治先生が来横、大祭のリポートをしていただきました。また、ダイドードリンコの高松社長さんも同行され、夜まで熱心に見学をされてゆきました。
※写真(吉村氏、高松社長と大須賀観光協会役員/八百甚さん二階にて)
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H18大祭を振り返る(35)祢里は新屋町々内へと・・・

2006-06-23 18:07:52 | H18三熊野神社大祭
新屋町の祢里は今年12番、AM9:30過ぎに河原町蓮池で枠上げをしてから約5時間、PM2:30頃自町・新屋町へ入りました。待ちかねた町内の人たちが大勢出迎えてくれていて、祢里も人も大いに盛り上がります。お囃子が大間から馬鹿囃子に変わり、般若が舞い踊る中、祢里の前では青年衆が準備してくれた樽酒の鏡開きが行なわれ、周りの方々にも振舞われました。それにしても、軒数45軒、人口150人の新屋町なんですが、いったい何人くらいの人が祢里についているんでしょうねぇ(笑)
※写真(祢里は新屋町へ入り、大いに盛り上がりました)
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