歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

「対日戦勝記念日」制定に対するロシア人の反応(2)

2010-07-30 23:55:42 | ロシア関係
→(1)からの続き

普通のロシア人の間で“日ソ戦争”がいまいちマイナーなのは、劇的な要素が少ないのも理由の一つかもしれません。

“大祖国戦争”にはナチス・ドイツの侵略から祖国を守るという分りやすい大義があり、それこそ国家の存亡をかけた大戦争だったのに対し、こちらは何だかんだと理由をつけても、結局は“火事場泥棒”ですからね。

その意味では、規模こそ全然違いますが、日本の近代戦争史における“第一次大戦への参戦+青島(チンタオ)要塞攻略戦”のポジションに近いのかも。日本軍が東アジアにおけるドイツ東洋艦隊の拠点を潰したことは、協商国側にとっては戦略的に大いに意味があったに違いないのですが、あれを以て“ドイツに勝った!”とかいう人は、昔も今も、多分そんなにいない訳で....。

その際、捕虜になったドイツ兵が“ベートーヴェンの第九を初演した”とか、“本場のハムの製法を伝授した”みたいな話は有名ですが、青島(チンタオ)での戦闘そのものについて語られることは非常に少ない。あれを題材にした映画とか文学作品ってあるんでしょうか?あるのかもしれませんが、自分は聞いたことがないですかね。

もし仮に、あの“坂の上の雲”のラストが“日本海海戦”ではなく“青島(チンタオ)要塞攻略戦と対華二十一ヶ条の要求”だったとしたら、色んな意味で読者は困りそうな気がします。え、“坂の上に見えていた雲”って、結局これだったの?みたいな....。

あるいは、いつの日か再びK川春樹氏に天啓が下って、“男たちのYAMATO”クラスの予算と“二百三高地”並みのエキストラを使った “QINDAO(チンタオ)-大正天皇と日独大戦争-” みたいな戦争大作が作られたとしても、客はあまり入らないのではないでしょうか(個人的には見たいかもw)。

それはともかく、東西冷戦下のソ連史学においては、米国に対抗し、かつ対日戦争とそれによって得られた権益を正当化する必要から、第二次大戦の終結にソ連が果たした役割が過剰に強調されるようになりました。

“日本を降伏させたのは米国による原爆投下ではない。赤軍だ!”

という訳です。

でもまあ、日本政府の首脳に与えた心理的な衝撃はともかく、その実際の戦闘の内容は、武装解除中の、しかも劣悪な装備の軍隊を一方的に攻撃して勝ったとか(占主島では逆襲されて壊滅寸前に....)、非武装の引揚げ船を魚雷で沈めてみたとか、金目の物は線路まで引き剥がして戦利品にしたとか.....原爆のインパクトと張り合うには、どうもぱっとしないのですよ。

そういうわけで、 “精強なる百万のクヮントゥーンスカヤ軍(関東軍)を華々しく打ち破った” という、かなり粉飾したお話になったのでした。

この“百万のクヮントゥーンスカヤ軍(関東軍)”という言葉は、恐らく戦前の日本や満洲国で盛んに呼号された“精鋭百万関東軍”が、“関東”を漢語読みしただけでそのまま流用されたのでしょうが、こちらで日ソ戦争について語られる際は、ほとんど枕詞みたいな感じで使われていますね。学校の、歴史の授業で覚えさせられたという人もいます。

そうした背景があるからか、例の“Mail.ru”の掲示板でも、“日露戦争”と“日ソ戦争”の区別もつかない歴史オンチではなく、多少詳しい人の書き込みには、しばしばこの“ソ連史学”の影響が感じられますね。

---------------------------------------------------------------------------------
<教えて!ナロード>

「うちらは第二次大戦で日本に勝ったのか?」
原文:Мы победили Японию во второй мировой войне?
http://otvet.mail.ru/question/33313753

下院のミハイール=ネナーシェフ議員が、9月2日を祝日にするよう提議してる。彼の希望によれば、ロシア人はこの日、第二次大戦におけるソ連の対日戦勝を顕彰すべきだってことなんだけど。


<ナロードの答え>

回答ナロード1号
そうすべきだろう。顕彰しようぜ。


回答ナロード2号
正式な降伏文書の調印は、1945年9月2日の東京時間9時2分に、東京湾に停泊していた米国の戦艦“ミズーリ”の船上で行われた。日本側の署名者は外務大臣のシゲミツ=マモル(重光葵)と参謀総長のウメヅ=ヨシジロー(梅津美治郎)、連合軍の側はまず連合国軍の総司令官ダグラス=マッカーサー将軍、続いて他の代表、米国のニミッツ、英国のブルース=フレイザー、ソ連のK.N=ジェレヴャーンコ中将が署名した。

ソ連においては、9月3日は対日戦勝記念日だと宣言された。でも、この祝日は定着しなかったんだ。


回答ナロード3号
さあ、公僕たちの完全なる愚かさと批判精神を赦してあげようではありませんか!母なる自然は、それでもやはり彼らに対し寛大なのです。


回答ナロード4号
もうすぐうちらは、12月26日も祝うことになるんだろうな。うちら自身に対する戦勝記念日ということで....俺が言ってるのは、1991年にソ連が解体した日のことだぞ。


回答ナロード5号

もちろん、うちらだ。ヒロシマのあれは心理学的な要素に過ぎないよ。奴らは非戦闘員に爆弾(=原爆)を落としたのであって、艦隊や陸上戦力に落としたわけじゃない

※その代わり、通常爆弾とか魚雷で散々やられたわけだが....。


回答ナロード6号
俺もそう思う。


回答ナロード7号
他に誰がいるんだよ。対日戦争のほとんどを米国が戦ったというのは事実だけどな。それでもやはり、うちらは勝利者ってことでw


回答ナロード8号
そう、うちらのお陰だ。でもって、今の日本の経済があんな感じなのはアメ公のお陰ってわけだ。


回答ナロード9号
 1945年8月8日の時点で、極東におけるソヴィエト軍は1669500人、それに合流したモンゴル人民革命軍は16000人の兵力を擁していたんだ。 ソヴィエト軍は色んな点で敵軍を圧倒していた。即ち、戦車数は5-8倍、砲数は4-5倍、迫撃砲数は10倍、戦闘機数は3倍といった風に。ソヴィエト軍の意表をついた攻撃とその強力さ、クヮントゥーンスカヤ軍(関東軍)の準備不足と絶望は、1945年の日ソ戦争の終結を早めることになった。

全般に、戦闘はその規模と熾烈さにおいて目立ったものじゃなかった。日本軍は全力を出せる状態ではなかったからな。でも、戦力において敵に対し圧倒的に優勢であったソヴィエト軍との戦いに際しても、日本軍部隊の狂信的な命令の遵守や軍事的任務の遂行、自己犠牲と献身、錬度や組織度の高さなどは際立っていた

当時の資料は、日本兵たちが、絶望的な状態で部隊が少数になった時ですらいかに苛烈な抵抗を行ったかに関して、無数の事実を物語っている フートウ(=虎頭。満洲国東部、ソ連との国境沿いにあった都市)にあった日本の要塞の悲劇的な運命なんて、その良い例だ。

日本人たちは、ソヴィエト軍司令部による最後通牒を断固として拒否し、捨て身の勇敢さをもって最期まで戦い抜いた。戦闘の後、要塞の防弾施設には日本軍将兵の500体もの遺体が、その横にはその家族、160体もの婦女子の死体が散乱していたんだ。女性の一部は刀剣や手榴弾、狙撃銃で武装していたとか。彼らは最期まで天皇と自らの軍事的任務に身を捧げるべく降伏して捕虜になることを拒絶し、自覚的に死を選んだってわけだ。


回答ナロード10号
何でまたこんなことが問題になってんだ?....ウォッカつげよ!!!


回答ナロード11号
そう、彼らは敗北した。でも今は、日本はロシアとは違って、米ドルを必要としていない。彼らは自分自身の通貨を持っているんだ。一方、うちらの政府は、ロシア中央銀行に約13%の、米国連邦銀行には約4~5%の債務を抱えている。


<ナロード・ベストアンサー>

俺が知る限りでは、うちらは日本に勝ってない。平和条約すら調印されて無いし、降伏も無かった。今は、一種の休戦状態ってことだな。
--------------------------------------------------------------------------------

いや、降伏してるんだけどねw。

こういう書き込みは他でもよく見るので、“日露間に平和条約が存在してない=日本はまだ降伏してない”と思い込んでいるロシア人は意外と多いのかもしれません。

あと、米軍は空から爆弾を落としただけで、地上戦は専らソ連軍が担当したと信じている“ナロード5号”みたいな人もたまにいるのですが、こういうのは米の役割を過小評価した、ソ連史学の悪しき影響によるものでしょう。

なお、このスレは“日本に勝ったか否か?”ですが、中には戦争の意義自体が問題となっているところもありました。

--------------------------------------------------------------------------------
<教えて!ナロード>

「1945年の対日戦争って.....」
原文:Война с Японией в 1945 году
http://otvet.mail.ru/question/24761526/

この戦争にソ連が関わる意味なんてあったのか?何せ、戦争の勝利で得られたおいしい所は基本的に米国にもっていかれてしまったわけで....。ソ連にとって何の意味があった?ましてや、ソ日間には中立条約も結ばれてたんだぞ。


<ナロードの答え>

回答ナロード1号
そんなもん無いよ。単なるコーバ(活動家時代のスターリンが使っていた偽名)の復讐だろ。


回答ナロード2号
まあ、サハリン(樺太)の半分を取り返すことができたし、ついでに島々(=千島列島のこと)も手に入った。


 回答ナロード3号
当たり前だろ?お陰で中国がソヴィエト(=社会主義)化したじゃないか!! さもなければ、アメ公がアムール河(黒龍江)の辺りまでやってきてたんだぞ!!! お前は何を言ってるんだ?この作戦はとにかく必要だったんだ!!!


回答ナロード4号
いつものように、うちらはどこかと同盟を結んでるってわけだ....永久に誰かを救い続けるんだな。


回答ナロード5号
1905年に日本に奪われたサハリン(樺太)と南クリル(千島)
が還ってきた

※これは間違い。明治時代初めの“千島-樺太交換条約”により、日露戦争以前から千島列島は全て日本領だった。


回答ナロード6号
第一に、そういう義務があった。第二に、ソ連はサハリン(樺太)とクリル(千島列島)を獲得し、モンゴルと中国、北朝鮮がその影響圏に入った。


回答ナロード7号
米国の資料によれば、ソ連の参戦がなければアメ公らは1948年の半ばまで日本人と戦う羽目になっていたらしい。少なくとも、ソ連との国境沿いには日本人が支配する強大な経済区が存在したんだ。そして、そこにはあのクヮントゥーンスカヤ軍(関東軍)が駐屯していた。

※そうか?あのままいけば、食糧不足により1946年くらいの時点で日本は終了していたような...。


回答ナロード8号
日本は膨大な資源を有する..あの中国を支配していた...で、その日本の一部分を放置しておくことは....我が国とって非常に不利だったわけだ...何故なら、日本はそれによってさらに強大になる可能性があったから.....。

でもって、勝利の成果を得たのは我々だ...一時期は中国もこちらの影響下に入ったんだからな...。

全てはスターリンが死んでからだ..。うちらの首脳部(フルシチョフやブレジネフのことだろう)がアレだったせいで...中国との関係は悪くなってしまった.....


回答ナロード9号
この(日ソ不可侵)条約は日本とソ連にとってのみ有利なものだった。ドイツ人と米国人はソ連と日本の戦争を望んでいたからな。そして、ドイツが敗れてから初めて、ロシア人は東方で現状を維持する必要がなくなったと言う訳だ。何よりも、日本の敗戦は時間の問題であり、アジアと太平洋地域における勢力圏の分割について考えねばならなかった。そこでは米国の勢力が優勢であり、勢力の均衡を図る必要があったってことだ。

加えて、サハリン(樺太)とクリル(千島)の全域が誰にとっても自然なソ連の戦利品だとしたら、以後はそれをめぐって取引する必要もないってことになる。

だから、ソ連にとって日本との戦争は理に適ったものだったんだ。


回答ナロード10号
何と言うか....クリル(千島)列島とサハリン(樺太)の半分を日本領に留めておくのは、もちろん可能だった。でも、そこが何も無しに放って置かれることなんてなかったわけで.....アメ公が占拠することも有り得ただろう。そっちの方が良かったというのか?


<ナロード・ベストアンサー>

共産主義にとっては意味があった。中国や朝鮮の一部には定着したからな。スターリンはさらに、東京に占領区を獲得したがっていたんだ。
---------------------------------------------------------------------------------

共産主義はともかく、今のロシア国民にとっての意味は???

いや、どのコメントも、見事に冷戦的というか、国家主義的な思考ですね。

お前ら政治局員かよw

いかに領土が広かろうがロケットを飛ばそうが、収容所だらけで技術投資は宇宙と軍事に集中、一般人向けにはロクな消費財が出回らないような国は、やっぱりロクでもない国ではなかったかと、自分なんかは思うんですけどね。

大体、中国はその後仲違いして米国以上に犬猿の仲となり、今では“中国特色社会主義”を標榜する弱肉強食のウルトラ資本主義国家に、北朝鮮の方は悪い意味で地元色が強まり、何だか得体の知れないものになってしまったことを思えば、共産主義にとってもあまり意味が無かったような...。

→(3)に続く