歐亞茶房(ユーラシアのチャイハナ) <ЕВРАЗИЙСКАЯ ЧАЙХАНА> 

「チャイハナ」=中央ユーラシアの町や村の情報交換の場でもある茶店。それらの地域を含む旧ソ連圏各地の掲示板を翻訳。

ウルムチ“血の日曜日事件”に対するトルコ人の反応(4)

2009-07-23 15:34:42 | 東トルキスタン関係

→(3)からの続き

これに対して、“俺はウイグルが大好きだ”みたいな発言は、多分単なる好事家程度にしかみなされなさそうです。“人道的な”関心の度合いから言えば、チベット人どころか鯨とか犬とか二酸化炭素にも負けるんじゃないか。あちらで流行らないものは日本でも流行らない。普通は“ウイグル?何それ?獄長?”くらいの勢いですよね。“西域”とか“シルクロード”みたいな言葉をつければ反応する人はさらに増えそうですが、彼らは彼らで古代ウイグル人のことはともかく、現代のウイグル人には関心が無さそう(古代ウイグル人と現在のウイグル人では、話している言語の系統にしろその文化にしろ、かなり異なります)。

一方、ウイグル人からしたら同宗者にあたるイスラーム世界はどうかというと、インドネシアとイランで少しデモがあり、あとイランの法学者が少し文句を言ったのを除けば、ほぼ沈黙しているに等しい。半年前、イスラエルがガザに侵攻した際にあれだけ大騒ぎしたアラブ諸国の連中も、一部の過激派を除けば完全にスルーですよ。一体どうなってるんでしょうか?

そんな中、ウルムチ事件の報を知った人々が国内のあちこちでデモを起こし、激昂した世論に突き上げられる形で政府の要人が公的に中国を非難せざる得なくなっているという、奇特な国があります。

そうです。テュルク系諸国の盟主を自認する(人たちがとにかく大勢いる)中東の大国、あのトルコ共和国です。

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トルコ商工相「中国製品ボイコットを」
http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp1-20090710-516414.html

中国新疆ウイグル自治区の大規模暴動に絡み、トルコの エルギュン商工相は9日、トルコ中部で行われた貿易 関係者との会合で「抗議のためトルコ人は中国製品を ボイコットすべきだ」と述べた。一方、商工省報道官は 「発言は大臣の個人的な意見で、トルコ政府の方針では ない」としている。 トルコ人とウイグル族は民族的に関係が深く、トルコ国内 には多数のウイグル族が居住。8日には首都アンカラの 中国大使館前で数百人が抗議デモをした。
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私的な発言とはいえ、現役の商工大臣が中国製品のボイコットを呼びかけている。凄い話です。

で、このニュースに対する人々の反応は以下の通り。膨大な数の書き込みがついていました。本文は上の日本語の記事とほとんど同じなので、省略。

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「エルギュン大臣から中国製品ボイコットの呼びかけ」
原文:Bakan Ergün'den Çin'e boykot çağrıs
http://www.haberturk.com/ekonomi/haber/158079-tumyorumlar-Bakan-Ergunden-Cine-boykot-cagrisi.aspx

<ハルクのコメント>

論評ハルク1号
こいつは未来の大統領だな。


論評ハルク2号

中国製品なんてゴミと同じだ。俺はこの不買運動に参加するぞ。


論評ハルク3号

我らがアタテュルクは意味も無く“トルコ人にはトルコ人以外の友人はいない”と仰ったわけではない。トルコは何故、未だウイグル人への友情を示せないんだろう?ご先祖様を裏切った国であるパレスチナは助けたと言うのに….。ムスリムであるだけでなく、テュルクの同胞である我らが血族に対し、何故支援の手を差し伸べないんだ?

※第一次大戦中の、オスマン帝国に対するアラブの反乱のことを指すと思われる。


論評ハルク4号

俺は仕方なく中国に住んでる者だが、この“人でなし”どもに対し、ありとあらゆる形で不買運動を呼びかけたい。


論評ハルク5号

トルコ人の力を見せてやろうぜ。品物を見て、“MADE IN CHINA”とあれば、買うのをやめるんだ!


論評ハルク6号

トルコが中国から物を買うのをボイコットするとか言ってもだな、米、仏、英、独と欧州はどこでも、またアジアの方も全部の国が中国から物を輸入してるんだ。中国は今の経済危機から脱するための鍵となる国だろう。全てが中国にかかっている。お前らも現実的にならないと。


論評ハルク7号

フランス議会がアルメニア人大虐殺を非難を決議したときも不買運動があったけど、あんな尻つぼみにならないようにしないとな。今度は最期までやり遂げるんだ。


論評ハルク8号

俺は大臣の発言を全力で支持する!同胞が中国人に隷属しているということを、俺たちは知るべきなんだ!


論評ハルク9号

でも、大臣閣下がお話になっているマイクですら、中国製なんだけども。


論評ハルク10号

どれが中国製だか分かればボイコットのしようもあるんだけど…..今や何でも中国製なんだよなあ。


論評ハルク11号

いいぞ、大臣!


論評ハルク12号

“自分がトルコ人であると言えることは、何と幸せなことだろうか”
※アタテュルクの言葉


論評ハルク13号

ボイコットって….冗談だろ?w大臣は何ら状況を把握せずにしゃべってる。今やそこら中が“メイド・イン・チャイナ”だというのに….。


論評ハルク14号

中国製品を買うのは間違いってことになったのか?今頃になって?俺たちは何年もの間、有害な中国製品の害を受けてきたのに。一体政府は今まで何をやってたんだ?


論評ハルク15号
中国製品をボイコットするだけじゃなくて、中国大使もこの国から追い出そうぜ!



論評ハルク16号
中国製の品物の何と多いことか….。でも、抗議行動は絶対にやらないといけない!代替品が見つからないと、ちょっとつらいことになるかもしれないけど….。そういう呼びかけを大臣の口から聞けるとは、素晴らしいことだ。


論評ハルク17号

トルコ民族は、この世界で自供自足が可能な唯一の民族だ。アッラーはこの民に全てをお与えになった。今こそトルコ世界は統一されるべきだ!


論評ハルク18号
大臣は中国製品のボイコットを呼びかけたけど、その言葉は奴の個人的な考えに基づくものであって、大臣という役職には関係ないとか言いやがった。こいつも“チン・チョン”中国人に対する蔑称)だな。


論評ハルク19号
中国という、一匹の巨大な怪物が生み出されてしまった。我々はみんなでこれに“止マレ!”と言わなければならない。今がその時なんだ。みんな、能うる限り反対の声に耳を傾けてくれ。今回は雑音に耳を貸す必要は無い。全ての中国製品をボイコットしよう。買うのをやめよう。人間性の名において!

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ニュースサイトの掲示板は差別用語の類がすぐ削除されると言うのもありますが、全体的にコメントはおとなしめですね。Youtubeや個人サイトの掲示板では“細目”、“チビ”、“犬を食う奴ら”、“アッラーよ中国を滅ぼしたまえ!”といったダイレクトな罵倒語が飛び交っていました。まあ、最後の奴以外は漢人のみでなく、東アジア人全般に対して使われがちなのがちょっとあれなんですが......。

その一方で、“現実的な国益を考えろ”みたいな、冷静なコメントも見られるのですけど、この両者の違いには、いつものような世俗派とイスラーム派に加えて、トルコ民族主義の曖昧な部分も絡んだ面倒くさい背景があります。これについてはまた後ほど。

→(5)に続く

 


ウルムチ“血の日曜日事件”に対するトルコ人の反応(3)

2009-07-23 14:37:12 | 東トルキスタン関係
→(2)からの続き

何かですね、漢人の中には“漢人こそがウイグル人に“文明”と近代化をもたらしたのだ。もし彼の地が中国の一部でなければ、今でもアフガニスタンみたいな状態であったに違いない”みたいなことを平気で口走る人がいるようです。アフガン人に対し失礼だろう、とかそういう話はさておき、多分、そうはならなかったのではないか。

中国本土の人々の感覚では、伝統的にあの辺は西の地の果てかもしれませんが、19世紀の半ば以降は、隣はすぐ帝政ロシア/ソ連でした。そして、清朝の末期から今の中国が成立する辺りまで、“旧新疆省”は事実上、その影響下にあったのです。 もし中国領にならなければ、間違いなくソ連の一部か“第二のモンゴル”になっていたでしょうね。

何しろ、スターリンは本格的にあの辺を分捕るつもりだったという話です。第二次大戦前に行われた松岡洋右との会談の際にも、“満洲と南モンゴルにおける日本の権益を認める代わりに、北モンゴルと新疆はウチがもらう”なんてことを言っていたほどで。 1944~1946年に渡って新疆の西部に存在した“東トルキスタン共和国”などは、まさに、そのための布石だったと言えるでしょう。

建前としては、現地のウイグル人やカザフ人の民族主義者が主体となっていたわけですが、それをお膳立てし、政治・軍事的な実権を握っていたのはソ連国籍の中央アジア人やロシア人でした。この辺の事情は、ちょうど同じくらいの時期にイラン領アゼルバイジャン(南アゼルバイジャン)付近にアゼルバイジャン人やクルド人の独立政権が出現し、イランからの分離を試みたのとよく似ています。実現の可能性が低いと見るや、ソ連が民族主義者たちをあっさり見捨てた点もまた同じ。

↓東トルキスタン共和国の版図=だいたいこの地図で色のついている辺り

出典: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Location_of_Ili_Prefecture_within_Xinjiang_(China).png

ここ↓の地図方がより正確です。なお、この中で“イリ”とある都市が共和国の首都“グルジャ(伊寧)”
http://saveeastturk.org/jp/index.php/%EF%BC%92%E3%81%A4%E3%81%AE%E6%9D%B1%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%AD%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E5%85%B1%E5%92%8C%E5%9B%BD

↓東トルキスタン共和国軍の首脳たち。現在の中国ではこの名は避けられ、“民族軍”と呼ばれている。

出典:http://www.uyghur1.com/uyghur/viewtopic.php?t=683

↓東トルキスタン共和国軍の騎兵部隊。現在“北疆”と言われる新疆北部において、蜂起の主体となったのはカザフ人だった。当時のカザフ人は主に遊牧生活を送っており、この騎兵部隊もカザフ人のものだと思われる。ちなみに、蜂起を指揮したカザフ人オスマンは、後に侵攻してきた人民解放軍に対してもゲリラ戦を展開。敗れて処刑されている。

出典:http://www.uyghur1.com/uyghur/viewtopic.php?t=683

↓東トルキスタン共和国軍内の女性たち。軍服は、やはり当時のソ連赤軍のものによく似ている。

出典:http://www.uyghur1.com/uyghur/viewtopic.php?t=683

↓映画の中で、国民党軍をボコボコにする東トルキスタン共和国軍。ソ連赤軍から兵器や人員の支援を受けた東トルキスタン軍は強力であり、一時は新疆省の省都、迪化(現ウルムチ)に迫るくらいの勢いだった。

今の中国共産党の公式史観においては、東トルキスタン共和国の建国運動は“三区(東トルキスタン共和国が支配したイリ、タルバガタイ、アルタイの3地区を指す)革命”と呼ばれ、ウイグル人やカザフ人の“民族独立運動”ではなく、国共内戦時に中国各地で起こった“反国民党蜂起の一環”とみなされている。お陰でこんな映画も作られているが、漢語を話すウイグル人の軍隊が漢人の軍隊を圧倒する光景を、ウイグル人たちはどういう気持ちで見ているのか。



あの辺が中国領となったのは、あくまで蒋介石が“北モンゴル(=今のモンゴル国) ”の独立を認めて妥協したのと、あとは米英がソ連を牽制した結果に他なりません。

で、もしソ連領になっていれば、あちらでは“大躍進”や“文革”は無かったですから、恐らく、はるかに順調に“近代化”は進んでいたものと思われます。もちろん、ロシア人の移民はやってきたでしょうが、元の絶対数が漢人とは比較にならないほど少ないわけで….。かつてソ連に属していた中央アジア諸国の例から推測する限り、せいぜい数十万~百万くらいだったのではないでしょうか。その一方で、モンゴルや極東の場合と同様、入植していた漢人は殆ど追い出されたでしょうね。

結果として、ウイグル人などのテュルク系諸民族が多数派を占めたままで1991年のソ連崩壊を迎え、棚ぼた式に独立を獲得できたかもしれない。雰囲気的には、文化・民族的にウイグル人と最も近いウズベク人の国、ウズベキスタンを小型にしたような感じか。

その代わり、スターリンが死ぬまでの間に民族知識人とか宗教関係者の類は軒並み粛清されたり、収容所送りになったりして、伝統文化の破壊と非イスラーム化は中共のそれ以上に苛烈なものになっていたかもしれません。全体的な生活習慣はロシア化し、無神論者で、かつロシア語しか喋れないようなウイグル人エリートたちが国を牛耳るようになっていたに違いない。

汚職の蔓延もひどいことになったでしょう。今の中央アジア諸国、特にウズベキスタンを見ていると大体想像がつきますよ。あの辺の国々と比べると、中国の方がまだ“法治度”は高いので。あと、タクラマカン砂漠はソ連もやはり核実験場に使ったことでしょう。カザフスタン東部の、周りに人が住んでる所ですらどかどかやってたくらいですから。

それを思えば、ウイグル人自身にとって、どちらが良かったかは分からないかも。中ソのどっちかを選べなんて、あまり楽しくない二者択一ですけどね。でも、ソ連側に入ってれば、少なくとも自らの故郷において“少数民族”となる道だけは、避けられたかもしれない。

まあ、そんな仮定の話よりも重要なのは、彼の地は何十年もロシア/ソ連の影響下にあっただけに、それだけロシア文化の影響を受けやすかったということです。その中心はロシア領事館があり、ロシア領中央アジアとの間の事物の往来も密接であったグルジャ(伊寧)とイリ盆地の辺りでした。

特に、19世紀末~20世紀の初めには、帝政ロシアのムスリムの間でロシア文化を介して西欧文明を摂取し、自力で近代化を進めようという社会運動(“ジャディード運動”)が起こりますが、それはウイグル人の間にも伝播。裕福な商人らは子弟をロシア領の学校に留学させました。その中から、東トルキスタンの新しい知識人が生まれていきます。

つまり、漢語を一切経由せずに近代文明を受容するルートが存在したということですよ。

しかも、時期的にも、中国本土の漢人たちが沿岸部にある香港のような植民地や、天津や上海などの租界、または日本や各国に送られた留学生を介して西欧文明を取り入れ始めた頃と、そんなに変わらないという。 同時に、彼らは当時の中央アジアやオスマン帝国の知識人の間に広まっていた“汎テュルク主義”思想世界のテュルク系諸民族を政治的に大同団結させよう、という思想)の影響を受け、言語を基盤にした近代ナショナリズム思想にも目覚めていくことになります。

それまで、各々“カシュガル人”とか“ムスリム”と名乗っていた東トルキスタンのテュルク系ムスリム定住民の共通の呼称として、古代ウイグル王国にあやかった“ウイグル”を採用したのは、1921年にソ連のアルマ・アタ(現カザフスタンのアルマトゥ)に集まったそうした知識人たちでした

※参考 http://src-h.slav.hokudai.ac.jp/publictn/89/contents-49.pdf

こういうのも、近代的なナショナリズムとしての“中華民族主義”が中国本土で唱えられるようになった時期とほぼ同じですね。 また、中央アジアにおいて何百年も使われてきた煩雑なチャガタイ文語の代わりに、口語に則した現代ウイグル語を整備したのも彼らです。くどいようですが、これも中国本土における“白話運動”と時期的にはほぼ同じ。

でも、ロシアで教育を受けた人々ばかりだったからか、現代ウイグル語の交通、技術関係、政治用語といった近代語彙はロシア語からの借用語ばかりですね。漢語由来のものは少ない。

例えば、今手元に、昔ウルムチで入手した漢-ウイグルの会話集があるのですが、
↓「ウイグル語日常会話500句」(2001年、新疆人民出版社)


その語彙集をちょっと見ただけでも、たった1頁の中に、


切符
Belətべレット(←露語“билет” ビリェートから)

Maşinaマシナ←露語“машина”マシーナから

飛行機Ayroplanアイロプラン(露語“Аэроплан”アエロプラーンから)
※古い言葉。今では使われていない。

列車Poyizポイズ(露語“поезд”ポーイズドから)

と、明らかにロシア語経由で入ったと分かるものが、こんなに見つかります。

ついでに言えば、ソ連の後押しで“東トルキスタン共和国”建国の中心となった民族主義者というのも彼らのことです。共和国はソ連が中国と妥協したことによって潰れてしまい、ある者は国外に逃げ、ある者は殺されてしまうのですが、新疆に残った連中にとっては、人民解放軍やそれと一緒に中央からやってきた漢人たちは“蛮族”にしか見えなかったんじゃないですかね。

ちょうど、第二次大戦時にフィリピンに攻めてきた日本兵が、米化した上層階級の目には“野蛮人”にしか映らなかったのと同じで。1950年代、中国にとってソ連は“先進国”であり“国造りのモデル”でした….。

要するに何を言いたいのかというと、一つは歴史的に、彼の地に近代文明をもたらしたのは漢民族ではないということ。もう一つは、新疆が中華人民共和国に編入される以前の段階で、ウイグルの知識人や商人らは既にロシア文化を介して西欧文明とナショナリズムの洗礼を受けており、彼らの間に近代的な民族意識は確実に存在したのだ、という話です。というか、自分らの方が先にソ連の文化になじんでいたと言うことで、漢人全般に対しては、ある意味優越感さえもっていた可能性もある。少なくとも、“格下意識”などは皆無だったでしょう。

こう書くと、そんなものはお前の主観ではないかと言われそうですが、現在の中央アジア諸国の連中、殊にあちらで生まれ育ったウイグル人の中国観や漢人観というのが、まさにこうなのですよ。“ロシア人>中央アジア人>中国人”みたいな感じ。ちなみに、この“中国人”には日本人や朝鮮人もしばしば含まれますw。だから、当時の、ロシアやソ連で学んだウイグル人らがどういう対漢感情を持っていたかについても、何となく想像がつくわけで…。

一方、地方のオアシス農民たちにはその手の思想は浸透していなかったのでしょうが、彼らは彼らで“イスラーム”や住んでいる都市や村に強固な帰属意識を持ち、漢人や回族を同胞だとみなす感情なんてなかったと思われます。そもそも、南部の方だと日常的に漢人と接する機会そのものが少なかっただろうし。

いずれにしても、この60年もの間、彼らが漢人への同化に消極的だったのは、ある意味当然だと思うわけです。 漢人たちは、どうもその辺りの歴史的経緯に無頓着すぎますね。ウイグルやチベット、それにモンゴルといった民族のことを、新中国の成立後、上から作られた他の50いくつかの“少数民族”と同じに考えていては、到底彼らの怨念は理解できないでしょう。

で、それが理解できない限り、“ウイグル問題=イスラームという宗教の問題”とみなす風潮は続くのでしょうが、何かそういうのは、かつて満洲で頻発した抗日運動を“共産主義者の陰謀”の一言で片付け、現地の漢人の間でも高まっていた“中華民族主義”には全く注意を払わなかった過去の日本人を思い起こさせます…..。

それはともかく、この件についての先進諸国の反応は冷たいですね。一応、日本を含むいくつかの国で亡命ウイグル人とその支持者によってちょこちょことデモが起きてはいるものの、昨年の“ラサ暴動”の時のようなお祭り騒ぎにはとても及ばない。ネット上のハンドル名で「~@Free Uygur」とか付けてる人って見ますか?全然見ないでしょう?こういうチベットとの違いは一体何なのでしょうか?

その理由としては、曰く、“世界的な大不況からの脱出は中国経済の成長如何にかかっているわけで、各国は中国を刺激したくない。”また曰く、“ウイグル人の独立運動にはイスラーム原理主義団体が絡んでそうなので、どの国も支援には二の足を踏んでいる。” 確かにそうなのでしょう。

でも、それって国家同士の話ですよね。民間での反対運動がちっとも盛り上がらないのは、つまる所、ウイグル人やウイグル文化は欧米人には人気が無いってことなんじゃないでしょうか。あちらのインテリの間では、“チベット”とか“仏教”は一種のブランドです。“チベットに興味がある”と言うと、何だか社会派っぽくて精神世界にも造詣が深そうで、何よりもお洒落ですよ。あちらでお洒落なものは、日本でもすぐに流行るわけで。


→(4)に続く