「去年のコンサートにも来た人は手を挙げて!」と、ステージ上から演奏者が客席を見渡すので。前から2列目の私も振り返ってながめてみる。まー!! うちの親より高齢に見える人も多い。意外な年齢層。もしかして、私達(親と行ったのではない)が最年少グループか?それはともかく。その集団が休憩時間にトイレを目指すのだから、廊下は高齢者だらけ。遠くのドアから出てきた人達が、列の後ろに向かってぐるっと歩いていく。そのうちの一人のお婆さんが、後ろでなく列に直進してきた。おしゃれ(トラッドなかわいい感じ)できれいな人だ。つぶらな瞳で最寄の人を見据えて、「すみません」と言いながら列に割り込もうとしている。2,3回挑戦したが相手にされず、私の前の人(やはり、若い方だ。50代くらいか?)にアタック。黙殺される。で、(ついに)私に向かってくる。ひえ~っ。その瞬間、私の前の人が振り向いて、言った。「後ろの身障者用トイレを使われたら? 身障者の方はいらっしゃらないんだからいいと思うんですけど」お婆さんは「いいえ…」と口ごもりながらうつむき、私の後ろに並んだ(私の連れが空けた)。私の前のおばさんは、「それなら」とか言いながら身障者用トイレ(私達のすぐ近くにあった)に向かう。…と・とにかく収拾して良かった~。私の前に並ぶように申し出てもいいような、でも、他の大量のお婆さん達が次々と列の続きを のばしているのにそうしていいのだろうか?ものすごく迷っていたんですが…。こんなことは去年にもあった。駅のホームのエレベーター。少人数向きだから避けることが多い。乗ったら厄介なことになりそうで。しかし、その日は荷物が多い上に暑いし。母という暑がりで足が痛いと言う高齢者が改札口で待っているし。電車を降りたそこがエレベーターのドアというのは、運命(…)に違いない。同時に、幼稚園くらいの子とその父親らしき2人連れが踏み込む。その子がエレベーターを操作したいらしいので、任せて奥へ。はたちくらいの女の子がさっそうと乗り込んできた。後は続かない。さあ、昇るぞ。…なのに。その子は操作がわからないらしく、ドアがずっと開いたまま。その間に夫婦らしい高齢者男女とか単独の高齢者達が入ってきて、私からは男の子の操作が見えなくなった。何してるのかわからないが、ドアは閉まりかけては開く。乗ろうとしている人がいるのかとおとなしくしているが、誰も来ない。エスカレーターだったらもう改札フロアについていたかも・・・というくらいに時間が過ぎている。エスカレーターに行こうかとも思うが、それには、かさばる荷物がぶつからないように気をつけながら、老夫婦をはじめ、出口までの高齢者をかき分けなければ。男の子のそばの人が、押しているボタンが違うと教えた(父親は何してやがる!)。そこに、新たにお婆さんが乗り込んだ。重量制限のブザーが鳴った。鳴り続けるうち、みんなさりげな~くそのお婆さんをみつめる。「暑い」とか言いながら汗を拭くお婆さんは、固太りの、超カジュアルな、ガッツなおじさんぽい。お婆さんと言っても、若く見える…髪の黒さは白髪染めかもしれない。いや、心臓とか弱っているかもしれないし。う~む。ブザーとみんなの視線の意味がわかっているのかいないのか、お婆さんはみなをまっすぐ見返している。ブザーは響いている。初期に乗り込んできたはたちくらいのお姉さんが、「すみません」と言いながら人々をかき分けて(やはり奥側の、私の隣の隣くらいにいた)降りていった。男の子の父親がボタンを押したらしく、男の子が何か言ったのが聞こえた。高齢者をいたわりたいとは思うけど。高齢者同士を比べるような状況ではどうしたらいいわけ?高齢化が進んだら、ああいうのが日常茶飯事になるのかなあ。とりあえず私はその場を譲り、その後必要なら高齢者同士のバトル(にはならないだろうけど)に任せればいいのかなあ。子供の頃は、高齢者に席を譲ったりするのは、世代間で順繰りに続いていくことだから当然、という感じだった。当時の日本社会は、穏やかな川のように流れていたんだねえ。今や、年金やら何やらでもそうだけど、今の自分の行ないが下の世代に繰り返されていくわけではない、とほぼ確定している。そういう将来は折り込み済みというか実感済みというか、明日の朝食はパンじゃなくてご飯、くらいに受け入れている。まあ、それはそれとして。一応、高齢者になるのはまだまだ先である自分は、あのような状況でどう振舞えばいいのか。自己満足でいいから方針を固めておかないと、毎度その場でうろたえる(単にとろいとも言う)ことになっちゃう。なんだか私、ばかみたいねえ~。