「之を否(ふさ)ぐは人に匪(あら)ず。君子の貞に利しからず。大往き小来(きた)る。」
前回の「地天泰」の正反対であり、「通じる」の反対で「閉塞」を表している。
序卦伝に、「泰とは通ずるなり。物は以て通ずるに終る可からず、故に之を受くるに否を以てす。」とある。
「之を否(ふさ)ぐは人に匪(あら)ず。」君臣上下の意思疎通を閉ざす者は人間ではない。昔、中国の朝廷には宦官(かんがん)制度があった。時に人間味のない姦佞邪智なる宦官が君と臣の間にいて、上下の意思疎通を完全に塞いでいた。そんな情景を想像すると「天地否」が解るだろう。
「君子の貞に利しからず。」どんな正しい考えを持った君子といえども、どうすることもできないのである。
「大往き小来(きた)る。」これも「地天泰」の反対である。君子が全て外に去って行き、小人が内に蔓延ることである。
孔子の解説によれば、「天地交(まじ)はらざるは否なり。君子以て徳を儉(つづまやか)にし難を辟(さ)け、榮(えい)するに禄(ろく)を以てす可からず。」とある。天地否の時代には、君子は、道徳を外にあらわさず、つつみかくしておる。俸禄を与えて栄誉ある位置につかせようとしても決して動くことはない。
また、論語の中に、孔子の言葉として「色厲(はげ)しくして内荏(やわらか)なるは、これを小人に譬(たと)うれば、其れ猶お穿窬(せんゆ)の盗のごときか。」外面は偉そうにしているが、内心は柔弱で、いざという時に役にも立たず、うろたえてばかりいるような小人は「コソ泥」みたいなものだともある。(穿窬とは、壁に穴をあけ盗みをはたらく泥棒。)
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