武蔵坊弁慶(?~1189)
親分、これから鎌倉仏教に入ると思うんですが、その頃の時代とはどんな時代だったのでしょうか?
鎌倉になる前に、平安の末期がどんな時代だったかを知らないと、新しい仏教が生れるにはその背景を知らないといけないんだ。平安時代は大きな戦もなく、まあまあ平穏な時代だったと思うんだが、平安の末期になると各地で内乱が起こってくるんだ。もう貴族では治めることが出来なくなってきたんだな。そこで武士という身分が力を持って来るんだ。
元々、武士というのは何をやっていたんでしょうか?
簡単に言えば用心棒だな。朝廷とか有力な貴族は、いざという時の為に用心棒を抱えていたんだ。その用心棒たちが「俺たちが居なけりゃ困るだろう。もっと大事にしろや。」という風に、段々力を持ってきたんだ。何とお寺もそうなんだよ。お寺にいけば金があるんじゃないかと、お寺を襲う輩に備えなくちゃいけなくなるんだ。
お寺まで武装するようになってきたんですか。
そうなんだ。それが結構強い武装集団で、朝廷でさえ手を焼くようになっていたんだな。お前、白河法皇は知っているよな。
知っています。平安の末期に「治天の君」として院政を敷いて君臨したんですよね。平清盛が白河法皇の落胤だという話もあるんですよね。
そうなんだ。その権勢を極めた白河法皇が自分の思い通りにならないものとして、「賀茂川の水、双六の賽の目、比叡山の山法師」と言っていたんだ。「比叡山の山法師」というのは比叡山延暦寺の僧兵のことなんだ。僧兵たちは神威を盾に「強訴(ごうそ)」と言って略奪行為までしていたというのさ。
そうですか。仏教も地に堕ちたものですね。そう言えば、武蔵坊弁慶なんかも元は僧兵だったんですよね。それだけ、世が乱れていたということですか。
そういうことだ。平安時代は貴族の文化が花開き、和歌なんかも流行して良い時代だったんだが、長く続くと、腐敗堕落して来るし、そこに武士という新しい勢力が生れて来たんだな。白河法皇も寺院の勢力に対抗するために陰御所に「北面の武士」と言われた警備隊を配置して、強訴を防いだ。その警備隊から源氏と平家が出てくるんだな。
成程ね。つまり、新しい仏教はそんな乱世が生み出したと言えますよね。
そうさ、いつの時代も新しい宗教が生れるのはむしろ好ましくない時代なんだな。
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