グシンスキー(1952~)
オリガルヒの中でもベレゾフスキーと並ぶ大物と言われていたのがグシンスキーだった。グシンスキーはプーチンと同じ1952年生まれ、青年時代は演劇を志したユダヤ人で、ソ連崩壊とともに実業界に乗り出した。「モスト銀行」を設立し、建設、不動産、金融などに進出し、1993年に新聞「セヴォードニャ(今日)」を発刊、全国ネットのテレビ局「独立テレビ」を開局する。欧米から「ロシアの言論の自由の象徴」ともてはやされた。
1996年の大統領選挙ではエリツィン再選に重要な役割を果たしたが、その後はプリマコフの「祖国・全ロシア」を支援する。2000年1月には「全世界ユダヤ人議会」の副議長に選出される程、人脈は国際的に広くなっていた。しかし、大統領になったプーチンはグシンスキーを民営化をめぐる横領、詐欺容疑で逮捕する。グシンスキーは釈放後、スペインに脱出する。独立テレビとモスト傘下のグループ企業も次々買収され、グシンスキーのロシアでの基盤は消滅した。
モスクワのガスプロム本社ビル
ロシア最大の企業は天然ガスの生産、供給において世界最大となる「ガスプロム」である。生産高は全世界の23%、埋蔵量は38%を占める。その「ガスプロム」はソ連崩壊後に民営化になる。初代社長は元ソ連ガス工業相のチェルノムイルジンだったがエリチェン政権で首相になる。2代目社長はガス工業相の次官だったヴァヒレムが就任するが、ヴァヒレムは放漫経営を続け会社を私物化した。お陰でエリチェン時代は公務員さえ給料が滞っていた。
大統領になったプーチンは早速ヴァヒレムをクレムリンに呼びつける。プーチンは開口一番「お前はクビだ!」「・・・・・」「何か質問があるのか!」「・・・・・」「おい!はっきりしねえか!」「・・質問はありません。」 プーチンはKGB時代の部下ミレルを後任の社長にする。プーチンより10歳も若いが経営能力は抜群で、経営を効率化し収益を増大させる。現在のロシア国家税収の25%は「ガスプロム」によって賄わている。プーチンが大統領になった2000年から原油価格が急上昇したことも幸運だった。
ホドロコフスキー(1963~)
オリガルヒたちが支配していたロシア経済はプーチン大統領登場で元KGB出身者が支配するプーチン体制が築かれようとしていた。しかし、オリガルヒの中でもプーチン体制に待ったをかけたのが若きエリート、ホドロコフスキーだった。ミハイル・ホドロコフスキーはモスクワに生まれ、モスクワ科学技術大学を卒業、共産党青年団コムソモール書記となり科学技術グループを結成した。メナテップ銀行を設立、メナテップグループとして巨大な持株会者を形成した。最も発展した石油会社ユコスを有する大財閥になる。
ホドロコフスキーはプーチンが次々とオリガルヒたちを追放する手法を研究し対策を考えた。ホドロコフスキーは英米に人脈を築き、国際的な体制でプーチンと対抗しようと世界の有力者が集まる社交界にデビューする。首尾よくヤコブ・ロスチャイルド卿の知遇を得て、米政界にも人脈が広がった。ロンドンに「オープン・ロシア財団」を設立、理事にはロスチャイルドやキッシンジャー元米国務長官たちが名を連ねた。
ジョージ・W・ブッシュ(1946~)
2001年に同時多発テロが起こり、アフガン戦争そしてイラク戦争が起こった。プーチンはイラク戦争には「アメリカ一極支配」と言って反対した。世界の支配者と繋がることで自らを守ろうとしたホドロコフスキーは世界世論に背を向けたプーチンに対抗し次期ロシア大統領を目指す。アメリカとさらに手を結ぶため、ユコスと米メジャーのシェブロンテキサコとエクソンモービルとの合弁会社を計画した。米メジャーが入ると法的にも治外法権が発生しプーチンも手が出せなくなる。
「ユコス問題」はプーチンにとっても正念場になった。「ロシアの基幹産業を売り飛ばすとは何事か!」と怒り心頭のプーチン。「莫大な権益が手に入るぞ。」と喜ぶブッシュ。「ユダヤの力を思い知れ。」とユダヤ系金融グループの元締めロスチャイルドは成り行きを見守る。ホドロコフスキーを追放すればアメリカと全面戦争になるかも知れない。ブッシュの後ろにはユダヤ系金融グループがついている。プーチンは迷った。しかし、「やるんなら、受けてやる。」プーチンは最も厳しい処分を下す。2003年10月、ホドロコフスキーを脱税容疑で逮捕した。裁判にかけ10年間の刑務所送りにした。
~~さわやか易の見方~~
******** 上卦は天
******** 陽、大、剛
********
*** *** 下卦は水
******** 問題、艱難、悩み
*** ***
「天水訟」の卦。訟は訴訟の訟。裁判、対立すること。人の世は対立がつきものである。個人、集団、国家も意見が合わなければ対立する。しかし争いは決して好ましいものではない。折を見て仲直りすることが大切である。賢者に仲介してもらうのが良い。最後まで争い続けるのは凶である。
東西冷戦が終わり、アメリカは新しい世界秩序を「テロとの戦い」として、アメリカを中心に世界が協力するように求めた。アフガン戦争までは協力したが、イラク戦争では積極的に協力したのはイギリスだけだった。真っ先に反対を表明したのがプーチンだった。ブッシュはプーチンを叩きたかった。ここからブッシュ対プーチンの対立が始まったのである。
戦争が起こるのは大国の首脳たちによるご都合や駆け引きがある。しかし、戦争を起こされる国の国民はタマッタもんじゃない。アメリカは戦争に正義を唱える。イラク戦争でブッシュが「神の加護を」と正当化すると、ヨハネ・パウロ二世は「神の名を用いて人を殺すな。」と不快感を示し、「イラク戦争に正義はなく罪である。」と批判した。
次ページ:プーチン対ブッシュ