さわやか易

人生も歴史もドラマとして描いております。易の法則とともに考えると現代がかかえる難問題の解決法が見えてきます。(猶興)

プーチンの挑戦(2)ーオリガルヒとの対決ー

2018-09-10 | 20世紀からの世界史
 
少年時代のプーチン
 
プーチンは1952年、レニングラードで生まれた。父は若い時にKGB(ソ連国家保安委員会)にいたこともあるが、戦後は機械技師として鉄道車両を生産する工場勤務だった。母は近所の工場で働く決して裕福ではないごく普通の家庭で、プーチン少年は子供の頃から頭の良いいたずら小僧のようだった。10歳を過ぎた頃、柔道に出会い「柔道は単なるスポーツではなく哲学だ。」と語る程熱心に取り組んだという。
 
ごく普通の学校に通ったが、少年時代になりたかった職業は「諜報員」つまりスパイだった。中学時代にKGBの支部へ行き、「ここに就職するにはどうしたら良いのですか?」と尋ねた。すると、職員から「ここでは採用試験は行わない。大学で法律を学び、スポーツで実績を上げること。政治、思想、宗教で問題を起こさないこと。」と教えられた。プーチン少年は勉強と柔道に励み、レニングラード大学では法学部で学ぶ。柔道ではレニングラード大会で優勝もしている。
 

  1985年、両親と33歳のプーチン
 
運よく23歳でプーチンはKGBからスカウトされる。1970年代のソ連は東西冷戦の真っ最中であり、打倒アメリカで国中が一色になっていた。そんな中でのKGB勤務、対諜報活動局、対外諜報部、冷徹な諜報活動を身をもって体験したことだろう。1985年、33歳の時、念願のスパイとなって、東ドイツのドレスデンに派遣される。ゴルバチョフが書記長に就任し、ペレストロイカ政策を開始した年である。1989年のベルリンの壁崩壊を目にし、祖国ソ連の敗北を体験した。
 
1990年、38歳のプーチンはKGBに辞表を提出する。国が崩壊し、公務員すら失業していく中をプーチンは余程実力を買われていたのか、スピード出世していく。レニングラード大学の恩師サブチャークが市長に当選すると、プーチンは市の対外関係委員会議長に任命された。その後、副市長、ロシア大統領府総務局次長、大統領府副長官、第一副長官、そして1998年にKGBの後身であるFSB(ロシア連邦保安庁)の長官に就任する。スパイを夢見たプーチン少年が45歳にしてその頂点に立った。
 

KGBの紋章
 
 
プーチンは決めたことはまっしぐらに実行する人生を歩んでいる。成長した60年代、KGBで過ごした70年代のソ連を考えると、東西冷戦の中を超大国アメリカに対抗するため全力で戦うことが正義だったと考えられる。経済的にはアメリカに大きく差をつけられ、大半の国民は貧困の中にあり、ろくな食事にもありつけない。KGBでは上官の命令があれば、戦争を仕掛けることもあり、要人を暗殺することもある。プーチンはいかにすれば人は動き、裏切り、喜んで死ぬのかを学んだ。
 
KGBに入った時には義務により共産党員になったが、共産党員は大半がユダヤ人だった。やがてロシア革命はユダヤ人による革命で、ロシア人は彼らの犠牲を強いられていることを知った。国際情勢と東西冷戦の仕組みも知った。ソ連崩壊と新生ロシアでユダヤ系金融グループが暗躍し、ハイパーインフレが起こりロシア国民が窮乏していくのを目の当たりにした。混乱に乗じたオリガルヒたちが国に群がるハイエナに見えた。「何としても彼奴らを追放してやる。」プーチンは決意を固めた。
 
 
クレムリン
 
プーチンが大統領になり早速行ったことは、オリガルヒたち全員を集めてロシア経済について会議を開いた。オリガルヒたちはそれぞれ言いたいことを語り始める。しばらく聞いていたプーチンは軍団をぐっと睨んで、「おい、おめえら、人のせいにするんじゃねえぞ。誰も自分の責任を口にしないのか!まともに税金を払っている奴がどこにいるんだよ!あん!」会談の一部始終を生中継で見ていた国民はようやく強い指導者が現れたことを知った。プーチンの支持率は一気に上がった。
 
プーチンのために政党「統一」をつくり、エリチェンに代わりプーチンを大統領にしたつもりのベレゾフスキーは慌てた。しかしプーチンは例外を許さなかった。ベレゾフスキーは最後の巻き返しを試みる。2000年8月に起こった118人全員が死亡した「ロシア原子力潜水艦クルスク沈没事故」でプーチンが保養地ソチで休暇をとっていた事実をスクープにした。結果はベレゾフスキーが墓穴を掘った。ベレゾフスキーはイギリスへ亡命し、再起を図ったが凋落したまま2013年、謎の死を遂げた。
 
~~さわやか易の見方~~
 
***   *** 上卦は水
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***   *** 下卦は地
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「水地比」の卦。比は人が並んでいる形を表し、親しみ協力していることをいう。5番目の爻だけが陽爻であとは全て陰爻で成り立っている。5番目は王の位であり、一人の王を全員が親しみ協力している。独裁者とも言えるが、その独裁者が正しい考えを持っているならば、最も安定した国家になる。
 
プーチンはその後、アメリカと敵対することになる。アメリカはメディアを使って、プーチンを世界最悪の悪者だとばかりに喧伝した。日本人にもその影響は伝わり、プーチンこそ恐ろしい独裁者はいないと思う人が多い。かつてソ連のスターリンが独裁者として君臨した姿を思い起こすのかも知れないが、ロシアこそソ連共産党に苦しめられた被害者であることを知らないからである。
 
安倍首相の招きで山口県の温泉地を訪問したが、到着を30分遅らせ、温泉にも入らなかった。時間を遅らすのは時限爆弾を警戒したからであり、温泉などはどんな危険があるか解らない。KGB出身のプーチンはとにかく用心深い。今までに5回も暗殺未遂に遭っているからである。平和が当たり前の日本人には理解できないだろうが、世界では何が起こるか予想もつかないものなのだ。