2006年もいよいよ押し迫ってまいりました。
私も今日あたり実家に帰ろうかと思っています。
本当にみなさんのおかげで今年もとっても楽しい1年でした。
ありがとうございます。
さて、久しぶりの「巨樹ドタバタ紀行」は台湾です。
来年には台湾ツアーも予定していますが、その台湾に初めて行ったときのお話。
なかには、数年前の台湾ツアーに参加された方もいらっしゃると思いますが、それより以前に台湾でいちばん大きな紅ヒノキを探しに行ったときのことです。
まだ、発見されたばかりで、看板もなく、かなりアドベンチャーな旅でした。
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それは、大学生2人(KくんとNくん)と、カメラマンY氏、私、山岳ガイドの江(こう)さんと出かけたときのことだ。
このとき、私たちは台湾国内に残る1位から10位までの巨木を巡っていた。ちなみに、9位にクスノキが入るが、10本のうちの9本までが紅ヒノキで、この樹種はかつて日本の神社仏閣にも使用された良材。日本で最も太いのは幹周り24.2mの「蒲生の大楠」といわれているが、台湾第1位のベニヒノキは幹周り27.2mでそれを凌ぐ太さである。樹高は55m、推定樹齢2500年だと聞かされていた。
台湾一の巨木は、大雪山(標高3529m)の標高2325mあたりの林道脇にあった。早朝、大雪山登山道の入り口にクルマを停めた私たちは巨木を目指して、林道を歩き始めた。じつは数年後に行なったツアーではこの林道をクルマで走り、大木の脇まで行けたのだが、このときは台風で途中の道が決壊していたため、歩かざるをえなかったのだ。
歩き始めた道は未舗装ではあるが、クルマが通れるように砂利が敷かれていて、傾斜もそれほどない。しかし、そのぶん距離は長かった。そのうえ、ダラダラ登る林道を行くのはつまらない。森のなかの登山道を歩くほうが断然、楽しいものだ。
歩いても歩いても標高はなかなか稼げない。しかも、台風のせいで、途中が川のようになっている箇所ではトレッキングシューズを脱いで、冷たい水のなかを歩かねばならなかった。
ただただ前に進むこと、約10時間。
夕闇が迫るころ、やっと、私たちは巨木の近くにあるという廃屋にたどり着くことができた。
そこは営林署跡のようなところで、かつてベニヒノキの搬出基地でもあったようだった。すでに無人となって久しい廃屋のなかで、その晩は寝袋にくるまって、夜を明かすことになった。
廃屋の前で、私たちは焚き火をし、その火で江さんがインスタントラーメンの夕飯をつくってくれた。それをお腹に入れると、私とKくん以外はすぐに廃屋に寝に行ってしまった。Kくんはかなり冒険好きだし、私もこんな廃屋に泊まって焚き火をしていると、なんだかとても楽しくなってきて、寝るのが惜しくなってしまったのだ。
私たちは早速、焚き火を盛大にしようと材を探して廃屋の周囲を歩き回った。すると、Kくんが「いいもの発見しましたよぉ」と、うれしそうな声を上げた。そうして、「石焼き風呂をつくりましょう」と、薪とともにせっせと大きな石も運び始めた。
Kくんが発見したのは、軒下に置かれていたバスタブのようなもの。都合のいいことにはそこには雨水らしきものが溜まっていた。Kくんと私は苦心しながらも、焚き火で熱くした石をそこにガンガンと入れていった。周囲はもう真っ暗闇だったが、石を入れると、その度にジューっという音がして、雨水がどんどん温かくなっていくのがわかった。
「じゃぁ、KANIEさんからどうぞ!」、Kくんにそう言われて、入った石焼き風呂はじつに心地よかった。10時間歩いた足の疲れもどんどん溶けていくし、標高2000mの冷え込みで固まっていた体もじんわりほぐされていく。露天風呂みたいで最高だわ~んと、私は満天の星を眺めてそう思った。
だが、懐中電灯で風呂を照らすと、風呂のお湯がなんとなく黒っぽい。さらにボウフラのような虫の姿もチラホラ。しかし、この気持ちよさには変えられない。すぐに懐中電灯を消して、「いまのは幻だ」と私はすぐにその映像を頭から消し、見なかったことにして、ただただ熱いお湯だけを堪能することにした。
私の後にKくんもすぐにお風呂に入り、その間に、私は寝ていたみなさんにお風呂を薦めに行ったのだが、誰も入る人はいない。Y氏は清潔好きだし、Nくんは小心者だ。「断られてもしかたないか」私とKくんは言い合い、「でも、こんなに気持ちにいいのに、もったいないよねぇ」と言いながら、私たちはホカホカした体で気持ちよく寝袋へ入った。
翌朝、ぐっすり眠って、機嫌よく起きると、私とKくんの顔だけがなんとなく黒い。こわごわ、昨夜の風呂を見に行くと、それは石についたススで真っ黒になっていた。一瞬、こんなのに入ったのかぁと我ながらゾクっとしたが、これもすぐに忘れることにした。なんてったって、気持ちがよかったし、体が軽い。それにもう入っちゃっんだから、いまさらしかたないもんねぇ~。
朝食を摂ると、私たちは林道の下に見える森のなかから、ナンバー1の巨木を探すことになった。上から、眺めていちばん大きな樹冠を見つけると、すぐに私とKくんだけがその木に向かって滑り下りた。密集した低木の枝にバンバン当たるし、思わぬ急傾斜で尻餅をつきながらである。しかし、お尻を真っ黒にして、顔に擦り傷をつくって下りた先には、大迫力の紅ヒノキが待っていた。
顔は黒くなったが、台湾でいちばん大きな巨木を最初に見ることができたのは、前の晩に石焼き風呂に入って、体の疲れを取っていたおかげだった。そうでなくては、きっと無事、着地できなかったろうし、下りる勇気も持てなかっただろう。
神社などで祀られている巨木と違い、ほとんど人の来ない山中で野性的に生きていた木は、ものすごいパワーを発していた。Kくんと私はしばらくふたりだけで、その生命力に圧倒されていた。
この旅では、阿里山鉄道終着駅の駅舎の下で寝て、廃線をたどりつつ山中の巨木も見に行った。かなりワイルドな旅で、楽しい思い出もたくさんあるが、いちばん忘れられないのは、この石焼き風呂の気持ちよさだったことは言うまでもない。
私も今日あたり実家に帰ろうかと思っています。
本当にみなさんのおかげで今年もとっても楽しい1年でした。
ありがとうございます。
さて、久しぶりの「巨樹ドタバタ紀行」は台湾です。
来年には台湾ツアーも予定していますが、その台湾に初めて行ったときのお話。
なかには、数年前の台湾ツアーに参加された方もいらっしゃると思いますが、それより以前に台湾でいちばん大きな紅ヒノキを探しに行ったときのことです。
まだ、発見されたばかりで、看板もなく、かなりアドベンチャーな旅でした。
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それは、大学生2人(KくんとNくん)と、カメラマンY氏、私、山岳ガイドの江(こう)さんと出かけたときのことだ。
このとき、私たちは台湾国内に残る1位から10位までの巨木を巡っていた。ちなみに、9位にクスノキが入るが、10本のうちの9本までが紅ヒノキで、この樹種はかつて日本の神社仏閣にも使用された良材。日本で最も太いのは幹周り24.2mの「蒲生の大楠」といわれているが、台湾第1位のベニヒノキは幹周り27.2mでそれを凌ぐ太さである。樹高は55m、推定樹齢2500年だと聞かされていた。
台湾一の巨木は、大雪山(標高3529m)の標高2325mあたりの林道脇にあった。早朝、大雪山登山道の入り口にクルマを停めた私たちは巨木を目指して、林道を歩き始めた。じつは数年後に行なったツアーではこの林道をクルマで走り、大木の脇まで行けたのだが、このときは台風で途中の道が決壊していたため、歩かざるをえなかったのだ。
歩き始めた道は未舗装ではあるが、クルマが通れるように砂利が敷かれていて、傾斜もそれほどない。しかし、そのぶん距離は長かった。そのうえ、ダラダラ登る林道を行くのはつまらない。森のなかの登山道を歩くほうが断然、楽しいものだ。
歩いても歩いても標高はなかなか稼げない。しかも、台風のせいで、途中が川のようになっている箇所ではトレッキングシューズを脱いで、冷たい水のなかを歩かねばならなかった。
ただただ前に進むこと、約10時間。
夕闇が迫るころ、やっと、私たちは巨木の近くにあるという廃屋にたどり着くことができた。
そこは営林署跡のようなところで、かつてベニヒノキの搬出基地でもあったようだった。すでに無人となって久しい廃屋のなかで、その晩は寝袋にくるまって、夜を明かすことになった。
廃屋の前で、私たちは焚き火をし、その火で江さんがインスタントラーメンの夕飯をつくってくれた。それをお腹に入れると、私とKくん以外はすぐに廃屋に寝に行ってしまった。Kくんはかなり冒険好きだし、私もこんな廃屋に泊まって焚き火をしていると、なんだかとても楽しくなってきて、寝るのが惜しくなってしまったのだ。
私たちは早速、焚き火を盛大にしようと材を探して廃屋の周囲を歩き回った。すると、Kくんが「いいもの発見しましたよぉ」と、うれしそうな声を上げた。そうして、「石焼き風呂をつくりましょう」と、薪とともにせっせと大きな石も運び始めた。
Kくんが発見したのは、軒下に置かれていたバスタブのようなもの。都合のいいことにはそこには雨水らしきものが溜まっていた。Kくんと私は苦心しながらも、焚き火で熱くした石をそこにガンガンと入れていった。周囲はもう真っ暗闇だったが、石を入れると、その度にジューっという音がして、雨水がどんどん温かくなっていくのがわかった。
「じゃぁ、KANIEさんからどうぞ!」、Kくんにそう言われて、入った石焼き風呂はじつに心地よかった。10時間歩いた足の疲れもどんどん溶けていくし、標高2000mの冷え込みで固まっていた体もじんわりほぐされていく。露天風呂みたいで最高だわ~んと、私は満天の星を眺めてそう思った。
だが、懐中電灯で風呂を照らすと、風呂のお湯がなんとなく黒っぽい。さらにボウフラのような虫の姿もチラホラ。しかし、この気持ちよさには変えられない。すぐに懐中電灯を消して、「いまのは幻だ」と私はすぐにその映像を頭から消し、見なかったことにして、ただただ熱いお湯だけを堪能することにした。
私の後にKくんもすぐにお風呂に入り、その間に、私は寝ていたみなさんにお風呂を薦めに行ったのだが、誰も入る人はいない。Y氏は清潔好きだし、Nくんは小心者だ。「断られてもしかたないか」私とKくんは言い合い、「でも、こんなに気持ちにいいのに、もったいないよねぇ」と言いながら、私たちはホカホカした体で気持ちよく寝袋へ入った。
翌朝、ぐっすり眠って、機嫌よく起きると、私とKくんの顔だけがなんとなく黒い。こわごわ、昨夜の風呂を見に行くと、それは石についたススで真っ黒になっていた。一瞬、こんなのに入ったのかぁと我ながらゾクっとしたが、これもすぐに忘れることにした。なんてったって、気持ちがよかったし、体が軽い。それにもう入っちゃっんだから、いまさらしかたないもんねぇ~。
朝食を摂ると、私たちは林道の下に見える森のなかから、ナンバー1の巨木を探すことになった。上から、眺めていちばん大きな樹冠を見つけると、すぐに私とKくんだけがその木に向かって滑り下りた。密集した低木の枝にバンバン当たるし、思わぬ急傾斜で尻餅をつきながらである。しかし、お尻を真っ黒にして、顔に擦り傷をつくって下りた先には、大迫力の紅ヒノキが待っていた。
顔は黒くなったが、台湾でいちばん大きな巨木を最初に見ることができたのは、前の晩に石焼き風呂に入って、体の疲れを取っていたおかげだった。そうでなくては、きっと無事、着地できなかったろうし、下りる勇気も持てなかっただろう。
神社などで祀られている巨木と違い、ほとんど人の来ない山中で野性的に生きていた木は、ものすごいパワーを発していた。Kくんと私はしばらくふたりだけで、その生命力に圧倒されていた。
この旅では、阿里山鉄道終着駅の駅舎の下で寝て、廃線をたどりつつ山中の巨木も見に行った。かなりワイルドな旅で、楽しい思い出もたくさんあるが、いちばん忘れられないのは、この石焼き風呂の気持ちよさだったことは言うまでもない。