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バイデン大統領とチェンバレン

2022年01月20日 21時31分30秒 | 日記

ウクライナ侵攻を狙っているロシアに対する弱腰外交、または外交交渉だけに依存する宥和政策に米国内いや日本でもバイデン大統領が老齢であり、侵略に対しては戦闘も辞さない強い意志が感じられないという声が高まっています。本当に同盟国を守るという強い言動もありませんし、何か第二次世界大戦前の英国チェンバレン首相の宥和策に似ているそうです。

そこでチェンバレン首相とは何者かどのような政策を選択したのかウェキペディアから抜粋して紹介しましょう。

                          記

当時イギリスやフランスと軍事増強と領土の拡大を進めるドイツ、イタリアなどとの間で政治的緊張が増す中、チェンバレンがフランスのエドウアール・ダラディエとともにドイツのアドルフ・ヒトラーや、イタリアのムッソリーニに対して取った宥和策は、1938年9月29日のミュンヘン会談において締結された「ミュンヘン協定」で頂点に達した。

イギリスの一部やアメリカなどのその後の連合国から称賛されたこの宥和政策により、結果的には第二次世界大戦の勃発が1年引き延ばされることになる。これは、ドイツの関心をソ連に向けさせる意味と、イギリスの防備の時間稼ぎをする意味があったとされるが、ウィンストン・チャーチルはこれを「この期間にイギリスが軍備の近代化を進めたのは事実だが、同時にドイツも軍備の強化を行いより強力な軍備を作り上げた」と批判している。

なお当時の保守勢力の主流にとって、ソ連を頂点とする共産主義陣営や、彼らによる協賛主義革命の誘発への警戒心は強かった。そこで、ヒトラー政権を抑えてソ連に付け入る隙を与えるよりは、対ソの抑止力となることを期待したのである。イギリスが、世界をにぎわせたスペイン内戦に不介入で通したのも、介入すればそれが世界大戦の引き金になり、ソ連を喜ばせるだけであるという判断があったからであるとされている。

なおミュンヘン会談から帰国したチェンバレンを迎えたジョージ6世は、チェンバレンにバッキンガム宮殿のバルコニーで国王夫妻とともに、国民からの歓迎を受ける特権を与えた。国王と政治家の友好関係を大衆の前で見せるのは極めて例外的であり、王宮のバルコニーからの謁見も伝統的に王族のみに許される行為だった。

しかし一連のチェンバレンによる宥和政策は、チャーチルが指摘したように「ドイツに軍事力を増大させる時間的猶予を与えた」と同時に「英仏が実力行使に出るという危惧を拭えていなかったヒトラーに賭けに勝ったという自信を与え、侵攻を容認したという誤ったメッセージを送った」として、現在では歴史研究家や軍事研究家から強く非難されている。特に1938年9月29日付けで署名されたミュンヘン協定は、後年になり「第二次世界大戦勃発前の宥和政策の典型」とされ、近代における外交的判断の失敗の代表例として扱われている。(完)

それではバイデン大統領の宥和政策は上記のチェンバレンに置き換え、ドイツをロシアに置き換えると良く似ているのです。下記を参照願います。

一連のバイデンによる宥和政策は、トランプが指摘したように「ロシアに軍事力を増大させる時間的猶予を与えた」と同時に「EUが実力行使に出るという危惧をぬぐえなかったプーチンに賭けに勝ったという自信を与え、ウクライナ侵攻を容認したという誤ったメッセージを送った」として(以降は略)。

近い将来のウクライナ情勢がどう展開するかわかりませんが、ロシアによる侵攻から大惨事になることだけは避けて欲しいものです。

 

 

 

 

 


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