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カナリア日記

さいたま市南区(武蔵浦和)にある「カナリア音楽教室」のレッスン日記です。

半世紀以上経っても色あせない思い出

2016年06月08日 | 日々のこと・・・

昨日は祖母の命日でした。昨日から祖母の事がやけに思い出されます。それは、私が祖母の他界した年に近づいたからだと思います。

祖母は59歳で亡くなりました。ですので、私の記憶の中に一番残ってる祖母は今の私の年齢の時です。

一緒に暮らしてました。内孫でしたので、ことのほか可愛がってくれました。「おばあちゃんっこは三文安」と言われますが、正に私はそうかもしれません。

祖母はいつも「着物」を着てました。私は妹が二人いたので幼稚園の遠足はいつも祖母と一緒でした。遠足の時も祖母は着物を着ていました。

幼稚園の終わり頃から寝込むようになりました。心臓が弱かったのです。

小学校に入学した私は、学校から帰ると先ず祖母の部屋に行き、その枕元でその日あった事を話したり、国語の教科書を読んで聞かせてあげたりしました。祖母はとても嬉しそうに聞いてくれました。

 

私は、日舞と茶道もしいてたので、発表会の時は祖母が髪を結い着付けをしてくれました。

ある日、踊りの発表会から帰ってきた夜、祖母は珍しく茶の間に下りてき、しばらく一緒に話しました。。。その翌朝です。

祖母と一緒に寝てた叔父が「お兄さん!お母さんが!」と言って大声を出しました。その時の叔父の声も、隣に寝てた父がサッと一瞬で飛び起きたことも昨日の事のように覚えてます。

 

その後は、子供の入れる世界ではありませんでした。

お医者さん、看護婦さん叔父叔母等いろいろな人がやってきました。

奇しくも、その日は小学校の運動会の日でした。初めての運動会の日でした。とても楽しみにしていましたが行きたくなかったけど、母は私を友人に頼み、運動会に行きました。

 

実家から徒歩5分程の学校でしたので、祖母のもとに駆け付けた親戚達が運動会を見に来てくれて、なんだかそれが嬉しかったです。

帰ってきてほどなくしてです。大人たちの泣き声が聞こえてきました。そして・・・父に呼ばれました。

 

祖母の枕元に導かれ「おばあちゃん死んだよ」と言われても、それがどうゆうことか理解できなかったです。みんが泣いてるから悲しいことだと思いました、自分では泣いたかどうかは覚えてません。

 

しばらくは「れいこ~れいこ~」と私を呼ぶ祖母の声が聞こえ、特に夜になると聞こえ、トイレに行くのが怖いでした。

でも、それを過ぎたら、事あるごとに「私はおばあちゃんに守られてる」と感じるようになりました。

もう53年も前の事です。こんなにも鮮明に覚えてるのは、繰り返し繰り返し思い出してるからだと思います。だから思い出は色あせず、私の中で生き続けているのだと思います。

 

明治、大正、昭和と激動の時代に生き、六人の子供たちを立派に育てた女性です。
祖母に会いたいな、と今でも時々思います.

 


 

最後までお読み頂きありがとうございました。

 


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