東京府中市の税理士 金成祐行の日々の気付き

税理士法人の経営、強度行動障害の自閉症の息子との生活、悪戦苦闘の毎日で、日々気づいたことを書いていきたいと思います。

バンクーバーでの気づき~日本人の甘え~

2014-06-29 09:25:00 | ノンジャンル
この間の表彰旅行のバンクーバー行きでは、様々な気づきと出会いがありました。
たまに外国に行くと、100%異文化に浸れるのと、
外から日本を見ることができるので、有意義な気づきがありますねniko

今回の気づきは、カナダの方の自立的な態度と、
日本人の依存性についてです。

この日本人とは私も含みます(^_^;


バンクーバーの街中を散歩したり、ジョギングしたり、バスで道路を走ったりすると、
まず、気付くのが車の運転の違いでした。



例えば、日本では、信号の無い横断歩道で待っていても、まず止まってくれません。
でも、バンクーバーでは、ほぼ8、9割。ピタ-ッと止まってくれて、
歩行者を渡してくれます。(それも、メルセデス、BMWやアウディといった高級車が・・・bikkuri
左折信号でも同様で、日本では、ほとんどの車が「速く歩け~」と言わんばかりに、
歩行者にジリジリと車がにじり寄ってきますが、
あちらでは、ピタ-ッと停止して待っています。
歩行者としても恐縮して、皆さん小走りに横断しています。
日本だと、歩行者の一部は、仕返しとばかり、
これ見よがしにゆっくりあるいたりしますよね・・・・hi


また、ウイスラーに行くために、バスで高速道路を1時間以上走ったのですが、
日本ではしょっちゅう見かける、いわゆる「あおり運転」を全く見かけません。
同時に、これも日本では良くいる、高速道路をトロトロ60キロくらいで、
運転するマイペースなドライバーもいませんmeromero2


ということで一般道も、高速道路も実に運転しやすそう・・・・
あちらは鉄道がほとんどありませんから、車が生活必需品なので、
とにかく車が多いのですが、
渋滞も思ったより早く通過できます。これらは生活の知恵なんでしょうね・・・・
クラクションの音も不気味なくらいしません。


ガイドさんに聞いたところ、バンクーバーの方はやはり時間にルーズだそうで、
そのことからも「人を待つ」ということを苦にしない国民性なのだそうです。
だから、車が沢山いても「仕方ないじゃないか」という積極的な諦め。
つまり、人を許す文化がみちているんでしょうね。



ジョギングロードは、実によく整備されています。
そして、なんとも、走りやすいのです。
それは、皆が思いやりの心をもって走っているからなのでしょう。

ジョギングロードを走り始めると、ものの5分で、皆さんの暗黙のルールが理解できました。
それは・・・・

(1)自転車は必ず専用レーンを走る。しかも一方通行。
(2)ランナーは、右側通行。走る場所は自由だが、すれ違うときは前方ランナーの左側を通過。

というシンプルなものです。


それが、本当に走りやすい。

前方にランナーが見えても、お互いにルール通りの方向によけるので、
スムーズに最小の手間ですれ違えます。
これが日本では違うのです・・・・hi



これは多摩川のロードですが、
こんな風に「税金」を使って、道路にデカデカを表示しているのにもかかわらず・・・・
相変わらず「歩行者→」を平気で逆走するランナーも沢山います。
しかも、右側通行なので私が右側によけると、逆にその狭い内側に入ってきて
ぶつかりそうになることも度々・・・・

こんな状況は、日本人ランナーの一人として、本当に恥ずかしく、
バンクーバーのランナーを激しくリスペクトしたくなりました。



さて、では、何故こんなに違いが出てくるのか・・・・
今日の日曜日、走りながら考えていました。


これは、日本人がどうしても依存性の強い国民性を持っているからでは無いか、
ということに気付きました。

それは・・・・


バンクーバーには、ネイティブ・アメリカン(原住民族)の居住地があり、
現在では税制でも福祉でも優遇されているということでしたが、

アングロサクソンを含め、欧米人の血塗られた征服と虐殺の歴史は、
私は嫌悪感を覚えるのですが、逆に長きにわたる彼らの血塗られた歴史は、
彼らに自立の文化と、他者の持つ価値観を尊重する智恵を与えたのではないかという仮説です。


日本人は、激しい内戦があった時代もありましたが、
しょせん、同一民族の中での戦い。

ネイティブ・アメリカンや南米の先住民の方々、
他民族に蹂躙されて、民族ごと根絶やしにされる恐怖を味わった、
ヨーロッパや中国、中央アジア、中東の方々の、思いたるや想像を絶します。


だから・・・・
日本人の中に流れる、依存性が際立つのではないでしょうか。

日本では、
煽り運転をする人も、強気で無理な運転をする人も、決して「強い人」ではなく、
何となく、事故が起きる前に、周りが何とかしてくれる・・・とどこか思っている。


横断歩道で停止しない車も、どこかで、
私以外の誰かが止まってくれると思っている。


街中で困っている障がい者がいても、手助けをしないのは、
私以外の誰かが手助けしてくれると思っている。


サッカーで横パスを多用するのは、
私以外の誰かが決めてくれると思っている(これは言い過ぎか・・・・)


大切なのは、私を含めて、日本人は依存性が強い国民性を持つのだと気づき、
自らの意識で、耳かき一杯の勇気を振り絞って行動すること。

血塗られた歴史が無くとも、知性でそれに気付くことを証明すること、
それが大切なのではないでしょうか・・・


(未完。まだ書き直します)









コメント
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