網戸登り
1997年12月の暮れも押し詰まった日、いつものように兄妹達と押し合いへし合いしながら、日向ぼっこをしていた。
ガラス壁の向こうに側に丸いギラギラした不気味なものが2つ見えた。君子危うきに近寄るべからず! ここ一番、ウサギの得意戦法 見て見ぬふり をすることにした。
と思う間もあらばこそ、突然、黒雲のようなものが覆い被さってきた。危険を察し、慌てて水中に飛び込もうとしたが、既に後の祭り、僕の体は宙に浮いていた。
体の自由は全く利かない。手足を必死に動かしても、只、空を掻くだけで、 ゼイゼイと息が切れるばかりである。 僕はクレーンゲームのぬいぐるみではない。
掴まえられる覚えは全くない。 百歩譲って、無理無体に連れ去られる運命であったにしても、掴まえるなら掴まえるで、事前に一言、断りがあるべきではないか。
これが兄妹との今生の別れになろうとは思いもよらなかった。少しでも時間があれば、せめてもの別れの水杯を交わし、互いの不幸を嘆きあうことも出来たであろうに。
人間と言う動物は義理も亀情も全く分からない薄情な生き物である。亀非亀であることは後で十分に知ることになる。
役に立たない手足をしまい、恐る恐る、顔だけ出したところ、あの2つのキラキラした不気味なものが目の前にある。僕は慌てて首を引っ込めた。
このままでは埒があかない。そろりと頭を外に出して子細に見ると、そのキラキラした不気味なものの後に、得たいのしれない白黒の物体がギョロギョロと動いている。それは義兄の目玉であったことは後で分かった。
僕を掴みあげたのは顔なじみの店員である。
このカメが一番元気ですよ。
?????・・・・・・、はたして、この店員は審美眼と言うものを持っているのであろうか。
確かに五体満足、健康にも自信はある! パッチリした目、スッキリした鼻筋、スラリとした八等身・・・、 キムタクのような美男子と兄妹達が言っているのを全く知らないらしい。
僕の身請け代金は1,980円だったようだ。隣の噛み付き亀は、8,000円の値札が付いていたそうだ。
僕が選ばれたのは、単に身請け代金が不当にも低かったからのようだ。
それにしても、亀を売り買いするとは、カメの優劣を値段で表すとは言語道断である。人間はなんと悪辣非道な生き物であろうか。
ジュネーブ条約の何たるかを、基本的亀権をどう理解しているのか、機会があれば、是非、問い正したいところである。
それが分かっているようなら、亀身売買などと言う亀道に反するような野蛮なことはしないハズであるから、この極正当な憤りも、暖簾に腕押しであろう。人間とは全く嘆かわしい下等な生き物である。
あの噛みつきガメは今どこで暮らしているのだろうか。この狭い日本にはなかなか居場所がないだろうと心配している。
それはさておき、そんなこちらの思いも少しも解されず、見知らぬところへ連れていかれることになったのである。
水の入った小さな透明な袋に閉じこめられ、ゆさゆさと揺さぶられながら、途中では、ぶらんこのように振り回された。
その揺れは震度7を越えていたに違いない。懸命に手足を踏ん張ってみたが、不覚にも船酔いしてしまった。 その後、三日ばかり食欲がなかったのはその後遺症である。
兎も角、兄妹達から一人離されて、長い苦難の亀生が始まったのである。
それにしても、このブログの語り手を勤めることになったのであるから、 縁というのは実に不思議なものである。