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円成寺跡(北条氏邸跡)・・・伊豆韮山

 成福寺」の項目で触れた「覚海円成」は、北条貞時の側室となります。父は、安達泰宗なり、北条高時、北条泰家の母となります。夫の北条貞時が亡くなった際に落飾し、「覚海円成」は法号となります。

 1333年、鎌倉幕府が滅亡した際、「覚海円成」は、鎌倉の地から北条一門の婦女子を引き連れ、北条氏発祥の地である伊豆北條(伊豆韮山)の地に移り、「円成寺」を建立し、北条一門の菩提を弔ったそうです。


「円成寺跡」・・・北条氏屋敷跡に建立された尼寺となり、江戸時代まで続きました。今はご覧の通り何もありません。数年の内には、史跡公園として整備される予定となっています。



「円成寺跡(北条氏屋敷跡)」は、守山の麓に位置しております。守山の東には、北条時政が建立した『願成就院』があります。守山を登ってみると、頂上には展望台があり、韮山の地を一望できます。

 「守山」周辺写真


 「守山」頂上付近の展望台



 「蛭ヶ小島」を展望台より望む・・・蛭ヶ小島は源頼朝が流されていた場所となります。昔は狩野川の中州の島だったそうです。北条政子は、頼朝に会いにこの「蛭ヶ小島」に忍んで会いに行っていたそうです。



 「江間の地を展望台から望む」・・・江間は、北条義時の所領であり、義時は「江間四郎」と呼ばれていました。



 伊豆韮山の地は、北条氏発祥の地であり、また源頼朝の所縁の地でもあるため、何だか鎌倉とはとても縁深い地に思えてならず、自分は思わず、何度かこの地を訪れてしまいます。
 伊豆韮山の地は温泉にも恵まれておりますので、皆さんも、日頃の疲れを癒すついでに行かれてみてはいかがでしょうか^^

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