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福来鳥

 鎌倉の佐助ヶ谷に伝わる昔話に、「源十郎と弥十郎」の話があります。
 室町時代の頃、狐を助けた源十郎が、夢に現れた狐のお告げで、佐助ヶ谷にて大根を栽培をするようになります。
 そして、鎌倉に疫病が流行った際、この源十郎の栽培した大根を食べると、治癒した事から、源十郎は大金持ちになり、大根栽培を教授してくれた狐をお祀りし、それこそが佐助稲荷と言われております。
 この話には、まだ続き(弥十郎とは誰?)があるのですが、話の本筋からそれるので、それはこの辺としておきます。
 さて、前置きが長くなりましたが、この大根と所縁のある佐助の地に素敵な大根料理を食べさせてくれるお店があるので、紹介したいと思います。



「福来鳥」


 古民家を改装したお店で、雰囲気が良いです。




今回は、「福ご膳」を頼みました。
1月上旬に伺ったのですが、季節柄、正月仕様なメニューとなっております。



「大根のお漬物と切干大根」(左から)


 大根のお漬物は、鎌倉ビールに漬け込んだ物だそうです。また、この切干大根は大根の甘味が良く、とても美味でした^^

「福来鳥のお饅頭」


 手前のやや緑色をした饅頭は、皮に大根の葉を練りこんでおり、中身の餡は切干大根となります。もう一方の方は、餡は焼き鳥となっており、これは驚きつつ、その美味しさに舌鼓を打ちました^^


「ほろふき大根」


 これぞ大根料理の鉄板と言えるでしょう。田楽みそが大根とマッチしております^^
 すーっとお箸を入れると、ジュワ~と大根の甘味がしみだします。
 

「福お雑煮」


 大根スープのお出汁をに、大根や鮭、丸餅等の具が沢山に入っており、美味しゅうございます。

「2色玉子の大根おろし掛け」


 2色玉子の甘さに、荒目の大根おろしの辛さが良いアクセントとなり、これまた美味しいですな~

元々は、鎌倉宮での薪能を見た際、このお店の大根スープが出店ででており、それが美味しかった事もあり、いつかは行こうと思っておりました。
  そして、訪れてみて大正解でした!この内容で1,500円は、お得だと思います^^


  お店への行き方については、素敵なパンフレットに地図が載っていたので、そのままつかわさせていただきたいと思います^^




 『福来鳥』
 住所:鎌倉市佐助1-13-13
 電話:0467-22-1377
 営業時間:10:00~(ランチ)
      17:00~(ディナー)※ただし、要予約
 定休日:木曜日(祝祭日は営業) 





 
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赤間神宮


  『壇ノ浦古戦場跡』で触れたように、壇ノ浦の戦いの際、わずか8歳であった安徳天皇は、二位の尼に抱かれ、憐れ壇ノ浦の海中に沈みますが、そのご遺体は、翌日、地元の漁師の網に掛かり、紅石山麓にあった阿弥陀寺境内に埋葬されと伝承されております。
  その地こそが、現在の『赤間神宮』となります。

  赤間神宮は、1191年、勅命により御影堂が建立され、そのため江戸時代までは、「安徳天皇御影堂」と呼ばれたようです。
明治の神仏分離にて、阿弥陀寺は廃止となり、天皇宮となり、その後、赤間宮と改称され、昭和15年に『赤間神宮』となり、現在に至っております。
  


 
 「赤間神宮」


 



 竜宮城をイメージした建物となっております。
 平家物語の中で、安徳天皇の母である建礼門院が、亡くなった二位の尼や安徳天皇、平家一門の人々が立派な宮殿(竜宮城)に居るのを夢の中で見たというくだりがあるのですが、それでこのような建物になったのでしょうね。
 



 赤間神宮から、壇ノ浦の地を見る



 安徳天皇阿弥陀寺陵



 七盛塚

平家一門の墓となります。



 「芳一堂」
 耳なし芳一の話は、ここ赤間神宮(当時は阿弥陀寺)がその舞台となっております。芳一堂も七盛塚のすぐ脇にあります。


 赤間神宮には、宝物殿もあり、そこには源平合戦絵屏風や平家一門の肖像画もあったりして、是非、ここにも足を運んでみてください^^

 大河ドラマ「平清盛」は視聴率の低さが話題になっていますが、この赤間神宮や壇ノ浦古戦場跡を実際に訪れてみると、そのような事とは関係なく無性に感慨深くさせられますね。


 『赤間神宮』
 住所:山口県下関市阿弥陀寺町4- 1







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コチチカ

 『報国寺』からの帰り道、「田楽辻子のみち」を通り、鎌倉駅に向かう途中で、かねてから前を通る度に、その素敵な外観からも寄りたいと思っていた『コチチカ』さんに寄ってお茶をしてきました。


 『コチチカ』


 煉瓦造りの洋風な建物は、なんだかとても素敵ですね^^
 これは期待できそうですね!



 店内もとても落ち着いた雰囲気で、ゆったりとした気分で時間を過ごせます。




 テラス席もあり、ここは滑川のせせらぎを聞きながら、のどかな時間を過ごす事ができます^^






 ここの名物の「フルーツティー」になります。ブランデー漬された巨峰に、メロン、オレンジ、キウイ、イチゴ等の8種類の果物が贅沢に使われております。
 さて、味の方はというと、とても美味しいです!果物の香しい匂いに加え、果物の甘さに蜂蜜の甘さが丁度良く、正直、こんな美味しいフルーツティーは初めてですね^^

 値段は1,000円(それも2人前からのみ)となりますが、ケーキセットにすると1,200円となり、かなりお得ですね^^





 チーズケーキ
 レモンの酸味が効いており、これは紅茶に良くあいます^^




 アップルパイ
 外側の薄いパイ生地がサクッとしており、これも美味しかったですね^^



 店名の『コチチカ』とは、チェコ語で「猫柳」の事をいうそうです。
 このような素敵な店に、ゆったりとした時間を過ごしてみるのは如何でしょうか


 『コチチカ』
 住所:鎌倉市浄明寺1-1-29
 電話:0467-23-8229
 営業時間:11:00~日没
 定休日:月・火曜日(祝日を除く)

 『アクセス』
 店の名刺の裏に地図が載っておりました。田楽辻子のみちから『釈迦堂口の切通し』に行く、曲り道の手前になります。
 
 






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壇ノ浦古戦場

 1180年の以仁王の挙兵に始まる治承・寿永の乱 は、石橋山、富士川、一の谷、屋島等の激戦を経て、1185年の壇ノ浦の戦いで最終決戦を迎えます。
この戦いで、「平家にあらずんば人にあらず」とまで栄華を誇った平家は滅亡し、源頼朝による鎌倉幕府の誕生につながっていくこととなります。


 壇ノ浦の戦いは、長門国赤間関(現在の山口県下関市)で行われました。


「みもすそ川公園」



 「みもすそ川公園」は、壇ノ浦に面した公園であります。ここから、壇之浦の古戦場を眺める事ができます。



 「みもすそ川公園」から壇ノ浦古戦場を望む




 壇ノ浦の戦いは、当初、海戦に慣れた平家側が、潮流の流れを有利に利用した事もあり、優勢に戦いを進めますが、潮流の流れの変化に加え、平家側の武将からの裏切りも発生すると、じょじょに源氏側が平家側を圧倒し始め、最終的には、平家側の壊滅状態になり、一門の多くは、戦死するか、はたまた海に身を投じたりと、悲しい最期の時を迎えます。


 そのなかには、安徳天皇と二位の尼もおりました。
 平家の敗北を目の前にした二位の尼(平清盛の妻)は、まだ幼い安徳天皇を抱きかかえ、「どこに行くのか」と問う安徳天皇に対し、「弥陀の浄土へ参りましょう。波の下にも都がございます」と答えて、海に入水してしまいます。
 みもすそ川の名前の由来は、この際、入水した二位の尼の詠んだ辞世の歌からきております。

 「今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは」
 


 『源義経と平知盛像』





 『源義経像』
 

 壇之浦の戦いの名シーンである八槽跳びをする源義経です。


 
 勝敗の趨勢が決まるなか、平家の総大将(実質の)である平知盛は、なおも戦い続けている平教経*1に対し、これ以上の無用な殺戮はするなと伝えます。
 すると教経は、ならばと敵の大将である源義経を道連れにしようと追いかけます。逃げる義経に追う教経、その時に舟から舟に義経が跳び移って難を避けたのが、八槽跳びとなります。

 なお、源義経に逃げられた平教経は、これまでと覚悟を決め、生け捕りにしようと迫る源氏方の猛者3人の内、1人を舟から蹴落とし、2人を左右の脇に抱え「死出の山の供をせよ」と言うなり入水し、壮絶な最期を遂げます。


 ※1 平家の猛将。平清盛の弟である門脇中納言平教盛の次男。官位は能登守。
    水島の戦い、六箇度、屋島、壇ノ浦合戦等で活躍。
    屋島の戦いでは、源義経を狙い矢を放ちますが、この時、源義経側近の佐藤継信が義経の盾となり戦死します。



 「平知盛像」


 平知盛は、平清盛の4男で、母は、二位の尼(平徳子)となります。官位は二位行権中納言。平家物語では、新中納言と称されています。両親からは大変、愛されており、鍾愛の若公と呼ばれていたそうです。
 父・清盛亡き後は、頼りない兄「平宗盛」を支え、壇ノ浦の戦いでは、実際の軍の指揮を取っておりました。
 戦況が平家の敗北が決定的になると、安徳帝の御船に行き、最期が近づいている事を伝え、皆に見苦しい物は捨てさせ、自身で掃除も行い、御船を掃き清めます。
 その後、一門の最期を見届けると、「見るべきものはすべて見た」と、乳兄弟の伊賀家長と一緒に、海面に浮かびあがらないよう鎧を2領着て、手を取り合い入水し、最期を遂げます。
 知盛は慎重かつ冷静な性格であった様で、「源平盛衰記」によると、入水した後、部下の1人に弓を携えて残らせ、万が一に海面に浮かび上がって場合、捕虜の辱めにならないよう射殺するよう指示していたとの記載があります。
 ちなみに、この武者は、その名は分かっておりませんが、しばらく海面上に睨みを利かせた後、後を追って入水したとの事です。



 この知盛像は、碇を担いで入水した説もあるので、それをモチーフにしたようですね。文楽や歌舞伎での「碇知盛」が有名なので、こちらの方が分かりやすいのかも知れないですね。



 「長門砲台の跡」


 この公園の場所は、幕末の下関戦争時の長州藩の砲台跡でもあるため、レプリカですが砲台もあります。



 ボランティアの方による紙芝居も上演されていました。



 ちなみに「耳なし芳一」が上演されいました^^


 
 平家物語や源平盛衰記を読み、この壇ノ浦古戦場を臨むと、感慨深いものがあります。近くには『赤間神宮』もあるので、そちらにも是非、寄られる事をおすすめします^^




『壇ノ浦古戦場』(みもすそ川公園)

住所:山口県下関市みもすそ川町1番






 






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草鹿

 『草鹿(くさじし)』は、毎年5月5日の端午の節句に『鎌倉宮』で行われる行事で、その起源は、鎌倉時代まで遡る事ができ、源頼朝が富士で開催した巻狩り*1の際、参加した御家人達が獲物を逃す事が多かったため、弓の名人であった「小笠原長清」に相談した所、長清は、同じく弓の名人であった武田信光と相談の結果、草を集め、鹿の形にして稽古させた事が「草鹿」の始まりと云われています。
 「草鹿」は、馬に乗って的を射る「流鏑馬」に対して、歩射という形になります。

 「吾妻鏡」によると、建久3年8月20日に源頼朝が御産所に渡り、父母の揃っている射手を召しだし、草鹿の勝負をおこなったとあります。ちなみに御産所に渡ったとあるのは、同月9日に、源実朝が誕生したばかりのためです。
 さて、話を戻すと、その際の射手は、一番 梶原景季―比企時員 二番 三浦義村―三浦景連 三番 千葉常秀―梶原景定とあります。ただし、勝敗については記載がありません。
  
*1 富士の巻狩
 1193年に源頼朝が上洛と帰還の際に、富士の裾野付近を中心として行われた壮大な巻狩になり、曽我兄弟の敵討ちが行われたのもこの時になります。ただし、上記の通り「吾妻鏡」の1192年8月に「草鹿」の記載がある事からも、実際は、それ以前に行われた巻狩りの際の出来事だと思われます。


 

 自分が2年前に見に行った祭には、天候不良のため、開始時間が繰り上がり、内容もかなり省略されてしまいましたが、今年は、快晴でないまでも曇天でしたので、通常通りに行われました。

 


 これが標的となります。つぶらな瞳が何だか可愛いらしい姿ですね^^


 体にある白い部分は、的になりますが、それぞれ名称があり射手は、何処を当てたか聞かれたりするので、きちんと把握していないといけません。

 今回の対戦チームとなります。各チームは、前衛4人づつに大将を加えた計5人チームとなります。1人2本づつ矢を放ち、得点を競う競技となります。


 ①前弓チーム
  男性ばかりで構成されているチームになります。


 ②後弓チーム
  対照的に、女性の構成率が高いチームとなります。世相を反映して、やはり女性の方が強いのでしょうか。


 『草鹿』の手順は以下の通りです。

①一人づつ、射手は的に向けて矢を放ちます。







②的に当たっても浮かれてはいけません。なぜなら、それだけでは得点は成立しないからです。



ちなみに、お尻辺りに矢が当たっております。


③奉行からの問いに対し、上手に答えないと得点はもらえません。逆に的に当たらなくても、射手の作法や射術が良ければ得点を認めてくれる事もあります。

 奉行:「控えい」
     「御矢はよく候いつるか」

 射手:「只今の矢は、紛れもなく良き矢にて候」

 奉行:「さらば、誓言そうらえい」
 
 射手:「弓矢八幡、わけても鎌倉宮のご祭神もご照覧あれ。親疎あるまじく候」


「奉行」



「射手」


 上記は、その問答の一例になります。これ以外にも矢の当たった部位を聞くものもあり、その際、異なった部位を答えようものならば得点は認めてくれません。



④①から③までを四人繰り返し、その後は一人づつ得点に応じて、数塚に串を挿していきます。この際にも足の運び等に作法があり、作法通りでないと、得点を減点されてしまいます。






⑤最後は、大将戦になります。大将戦は得点も2倍になるため、ここで逆転勝利もあるわけです。


 さすがは大将!風格があります。


⑥勝利したチームは、鎌倉宮の神官より賞品をいただきます。今回の賞品は、端午の節句にちなみ、菖蒲となります。
 う~ん、ささやか・・じゃなく風流ですね^^




⑦勝負を終えた後は、勝利チーム(今回は後弓チーム)を先頭に帰っていきます。







「記念撮影」



 競技終了後は、勝敗に係わらず、皆で仲良く一堂揃っての記念撮影となります。競技中は緊張した面差しも、ここでは表情も和らいでおります^^

 
 「草鹿」は、最初は訳わからなくても、しっかり解説もついているので、誰でも分かり易く見させてくれる行事だと思います。鎌倉時代の装束に身を包んだ射手達が弓を競う優雅な儀式、ご覧になってみては如何ですか。


『草鹿』
日程:毎年5月5日 午後1時~午後2時半頃
場所:鎌倉宮境内



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