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スターバックス・コーヒー 鎌倉御成町店

 『スターバックス・コーヒー 鎌倉御成町店 』は、鎌倉駅西口から歩いて3~4分程の鎌倉市役所とは道路を挟んだ向かい側にあります。
 ここは、駅近という場所の良さもあり、平日もそうですが、特に土日になると、とても混み合います。 また、混み合う理由は他にもあって、なんとここのスタバは、店内に鎌倉の隣町(正確には隣の隣町)の葉山町の名店「日影茶屋」系列の『チャヤマクロビ鎌倉店 』も入っているのです。


「スターバックス・コーヒー 鎌倉御成町店 」


 という事は・・・そうです^^
 この様な夢の組み合わせも可能となります。
 

「アイスキャラメルマキアート(スタバ)と木の実のタルト(CHAYA)」
これは、例えてみれば、盆と正月がいっぺんに来てしまった!そんな感じといえますね。




店内は広く、ゆったりしているため、リラックスした時間を過ごせます。
ただ、土日はとても混んでいますね^^:



店内にある「フクちゃん」の原画



 この店は、「フクちゃん」で知られる漫画家「横山隆一」先生の住居跡に建てられているので、このように「フクちゃん」の原画も展示されています。
 また、テラス席からは、旧横山隆一宅にあったプールが、目にも涼し気に見る者を愉しませてくれます。




「横山隆一」先生のお宅は、現在は、美味しいコーヒーとケーキを堪能できる憩いの場所に変貌しましたが、 鎌倉市民のみならず多くの人達に親しまれた「フクちゃん」と同様に、今でも皆の気持ちを和ませてくれますね^^


「行き方」
 鎌倉駅西口から真っ直ぐに進み、鎌倉市役所方面に向かいます。
 「市役所前」の交差点を越えたら「紀伊国屋」に沿って進むと、右手にあります。

 右手は「紀伊国屋」となり、写真には見えませんが、左手は「鎌倉市役所」となります。


『スターバックス・コーヒー 鎌倉御成町店 』
電話:0467-61-2161
住所:鎌倉市御成町15-11
営業時間:8:00~21:00
休業日:不定休


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最明寺(伊豆長岡)

 『成福寺(伊豆韮山)』や『円成寺跡(北条氏邸跡)・・・伊豆韮山』の項目でも触れたように、伊豆韮山の地は、鎌倉時代の北条氏発祥の地でもあり、北条氏ゆかりの場所も数多くあります。
 この『最明寺』も同様で、その名前からもわかるように、鎌倉幕府第5代執権「北条時頼(法名:最明寺道崇)」ゆかりの寺院となります。
 「北条時頼」は、1263年に鎌倉の「最明寺(現在の『明月院』)」で、わずか37歳の年齢で亡くなりますが、その遺徳を偲んだ伊豆韮山の人々が、鎌倉幕府に願って、鎌倉のお墓より分骨してもらったのが、伊豆長岡にある『最明寺』となります。

 

「最明寺」

 

「北条時頼の墓」



「若宮八幡大菩薩社」
 奉祀されている「若宮八幡大菩薩」は北条時頼が常に兜の八幡座に奉安して国家の安泰を祈念された御尊象だそうです。

 

 『北条時頼』については、『明月院』の項目で触れましたが、今回は、謡曲「鉢の木」で知られる「時頼の廻国伝説」について触れてみたいと思います。
 「時頼の廻国伝説」とは、北条時頼は1256年に29歳で出家するのですが、その出家した時頼が、諸国を廻り、各地の民衆や没落した御家人を救済したというのが、廻国伝説となり、「太平記」や「増鏡」に記載されています。
 廻国伝説で特に有名な話が、謡曲「鉢の木」となります。
 「鉢の木」の話とは・・・
 「身分を隠して諸国を廻っていた時頼が、ある大雪の日、上野国(現在の栃木県)の佐野にて、ある貧しげな民家に一夜の宿を求めた所、家の主人は、手厚くもてなしてくれ、大事にしていいた盆栽を薪にして、暖をとらせてくれました。感激した時頼が色々と事情を聞くと、名は「佐野源左衛門尉常世」という御家人であり、身内に所領を押収されたため、今は貧しい生活をしているが、鎌倉に一大事があった際には、ただちに駆けつける旨の決意を時頼に語るのでした。
 後日、鎌倉に一大事があり、「いざ鎌倉」とばかりに、関東の御家人達が召集されますが、その中には当然、佐野常世の姿もありました。時頼の前に呼ばれた常世は、あの時の僧が、北条時頼と知って驚きますが、時頼は、常世があの時の約束を守って駆けつけたことを褒め、押収されていた所領を返還させたばかりでなく、薪にしてくれた鉢の木(梅・桜・松)にちなんだ所領(加賀国・梅田の庄、越中国・桜井庄、上野国・松井田庄)も与えます。
 この「鉢の木」は、室町時代頃に能で有名な「世阿弥」の父・「観阿弥清次」の作とも云われており、この作品を通して「いざ、鎌倉」の言葉は、広く一般化されることとなります。
 日本各地には、この時頼が廻ったとされる話のある場所がいくつもありますが、ここ伊豆長岡の地にも、「最明寺」の案内を見ると、時頼が杖を留められたとありますね。



『最明寺』
住所:静岡県伊豆の国市長岡1150
電話:055-948-0304

 

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源平池

 『源平池』は、「吾妻鏡」の1182年4月24日の項目によると、源頼朝が専光坊良暹と大庭景義等に命じて、鶴岡八幡宮の若宮近くの水田(絃巻田(*1))3町余りの耕作を止めて池(※2)に改修したとあります。
 「新編鎌倉誌」によると、当初は、池の東西に4箇所づつ島があった所、北条政子が、東方(源氏)が平家を滅ぼすことを祈念して、東の島を3つにしたそうです。3は「産」を意味し、西(平家)の池にある4つの島の4は「死」を意味するためです。
 この池こそが、『源平池』となり、3つの島のある東の池は「源氏池」、4つの島のある西の池は「平家池」となります。

※1・・・絃を巻くように渦巻き状に苗を植える田で、神様に奉る米を作る田のこと
※2・・・放生会を行うための池となり、放生会は、仏教の殺生戒を基とし、捕らえた生き物を池や野に放つ儀式



「太鼓橋(赤橋)」
 太鼓橋を越えて東側にある池が「源氏池」となり、西側にある池は、「平家池」となります。




「源氏池」・・・池の中には3つの島があり、橋を越えた先にある島には、「旗上弁天社」があります。




「旗上弁天社」
 創建された年ははっきりしませんが、『源平池』が造られた頃に「北条政子」によって建立されたと云われています。明治期になって神仏分離令によって、一時期廃社となりますが、戦後の昭和31年に復興し、現在の社は昭和55年に建立されたものです。
 なお、祀られている「弁財天坐像」は、運慶の作と云われ、国の重要文化財となり、「鎌倉国宝館」に収蔵されております。
 ところで、「新編鎌倉誌」には、坐像の持つ琵琶は、小松大臣(*3)の所有していたものとありますが、一体それは何処にいったのでしょうか?国宝館で見た際には無かったような気が・・・

※3・・・平重盛のこと




「政子石」
 姫石とも云われ、源頼朝が妻・政子の安産を祈ったとされる祈願石であり、縁結び、夫婦円満にご利益があるそうです。「旗上弁天社」の真後ろにあります。




 両端にあるのが他の2島になりますが、池一面、蓮の葉で覆われていて、何だかよくわかりませんね^^:



「蓮の花」
 当初は源氏・平家の旗色である白(源氏)と赤(平氏)の蓮の花が、それぞれの池に配されたと云われますが、現在は、混ざりあっていますね^^:





「平家池」・・・「源氏池」の反対の位置にあります。向こう側に見える白い建物は、「神奈川県立近代美術館 鎌倉館」となります。こちらも蓮の葉に覆われています。




 池を眺めていたら、泳いでいた亀さんが、蓮の葉に乗って休憩しようとしてました。




なんだか、沈んでいるような気が・・^^:



 元々『源平池』は、現在のよりもっと広大であり、大体、流鏑馬馬場の南辺りまであったそうです。また、「源平池」という名前も、正式な記録で残されているのが大正8年以降となり、それまでは「御池」とか「蓮池」等と云われていたそうです。
 しかし、やはり『源平池』と呼ぶ方がなんだかしっくりくるような感じがしますね。



『源平池』
「行き方」
 鶴岡八幡宮の敷地内になります。「太鼓橋」を越えたら右側が「源氏池」、左側が「平家池」となります。

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鎌倉サイダー

『鎌倉サイダー』は、地元鎌倉の「鎌倉ビール醸造株式会社」さんで今年の3月に発売された地ビールならぬ、地サイダーとなります。


「鎌倉サイダー」・・・200円位



「鎌倉サイダー」・・・ラベルのキャラクターは左から「ギンニヤン」と「カマワン」となります。デザインは鎌倉在住の動物画家である「TakiTaro(たきたろ)」さんによるものです。



 「カマワン」はともかく、「ギンニャン」はなんでこのような名前にと思うかもしれませんので、説明いたしますと・・・
 1186年8月に源頼朝が鶴岡八幡宮に参拝した際、鳥居付近に徘徊する怪しい僧がいるので問い詰めると、それは西行法師でありました。頼朝は、西行法師を引き止め、歌の道や弓馬の道について色々話を聞きます。そして、頼朝は餞別に「銀細工の猫」を与えます。
 ちなみに西行法師は、直ぐにそこらで遊んでいた子供にあげてしまいます。う~ん、なんとも無欲な方ですね^^


「三の鳥居」・・・この付近で怪しく徘徊している西行法師が発見されました。



 箱入りだと2本入りで450円となります。



 『鎌倉サイダー』の水は、鎌倉の名水を使用しているわけではなく、静岡県を流れる大井川の伏流水を使用しています。また、炭酸を強めにしているばかりでなく、サイダー由来のシードルを意識し、りんごの香料を利用していますが、通常のものより1.5倍も利用しているため、香り豊かなパンチの効いたサイダーとなっています。
 しかし、こう言ってはなんですが・・、鎌倉の水を利用して造って欲しかったのが正直なところですが、味を考えると、これは仕方がないですかね。^^:
 なお、『鎌倉サイダー』は、市内の酒屋さんやコンビニで、200円位で販売されている他、鎌倉市内の多くの飲食店でも飲めますが、飲食店で頼むと、倍値近くしますので、荷物になるのが苦にならなければ、お土産に購入するのもお勧めですよ~^^




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天王祭

 江ノ島の「八坂神社」と腰越の「小動神社」で行われる『天王祭』は、毎年7月第1日曜日から第2日曜日までの間行われます。
 その起源は、鎌倉の腰越にある「小動神社」の祭神「須佐之男之命(すさのおのみこと)」が台風で流された際に、江ノ島の人達がこれを拾い、「八坂神社」として奉ったのが始まりとされ、年に一度の「天王祭」最終日である「本祭」の時に、「八坂神社」の御霊が「小動神社」に里帰り致します。
 なお、「須佐之男之命」は、「牛頭天王(ごずてんのう)」とも云われおり、「天王祭」の名前の由来となっています。
 今回は、最終日の「本祭」に、江ノ島側から行って参りました。
 江ノ島の「八坂神社」と腰越の「小動神社」からそれぞれ出発した神輿は、『龍口寺』付近で合流した後、共に「小動神社」下の「天王屋敷」に向かい、祭礼をおこなった後、「八坂神社」の神輿が、江ノ島に戻って終了となります。



「八坂神社」を出発した神輿は、海に向かいます。




「海上渡御」
 神輿を海に担ぎいれ清めます。昔は、海を渡って「小動神社」まで渡ったそうですが、現在は、海に入った後、陸にあがり「小動神社」に向かいます。







「神輿だこ」と言うべきなのでしょうか。見事なものです。なお、観光客からも大人気でした。




 「海上渡御」した神輿は、『龍口寺』付近で、「小動神社」の神輿と合流し、共に「小動神社」に向かいます。


「小動神社」のお神輿


「八坂神社」のお神輿







「小動神社」付近は、露店も出て、大いに賑わいます。




「牛頭天王」を祀る山車もぐるんぐるんと、いつもより多めに回転しています。





 『天王祭』の中でも最終日の「大祭」が、1番盛り上がります。「海上渡御」もあったりと見所も多いので、鎌倉の数ある夏祭り中、1番最初に行われる『天王祭』、一度ご覧になってみてみてはo(^-^)o



『天王祭』
期間:7月第1~2日曜日
場所:「小動神社」、「八坂神社」及びそれらの周辺

*「小動神社」・・・江ノ電「腰越」駅下車、徒歩3分
*「八坂神社」・・・小田急江ノ島線「片瀬江ノ島」駅、江ノ電「江ノ島」駅、及び湘南モノレール「湘南江の島」駅下車、徒歩


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鎌倉宮

 『鎌倉宮』は、建武の中興に功績のあった後醍醐天皇の第一皇子「護良親王」を御祭神として、明治2年に建立された神社となります。
 「鎌倉宮」は、かってこの地にあった「東光寺」跡地に建立されましたが、東光寺は、護良親王が「土牢」にて幽閉され、また最期を遂げた場所であったため、「護良親王」ゆかりのこの地に建立されました。



「鎌倉宮」・・・境内は広く、5月には「草鹿」や10月には「鎌倉薪能」等、各種の行事も執り行われています。



「拝殿」・・・正面に見える赤い獅子は、「獅子頭守」となります。



「獅子頭守(ししがしらまもり)」
 「護良親王」が自身の兜内に忍ばせて無事を祈ったものとなります。鎌倉宮創建時より販売されており、大小様々なお守りがあります。



「村上社」
 「護良親王」の忠臣「村上義光」を祭ったものです。村上義光は、1333年に、護良親王が篭る吉野を鎌倉幕府が攻め寄せた際に、親王の身代わりとなって命を落としました。。そこから、患部や治したい所がある人は、それらの部位と同じ場所を写真にある木像に撫でると、像が身代わりとなってくれ良くなると云われております。
 自分も、頭を中心にしっかり撫でておきました(^O^)/





「土牢」・・・この土牢にて「護良親王」は幽閉され、1335年に中先代の乱の際、北条方に担ぎ出されるのを恐れた足利直義の命によって、「淵辺義博」により殺害されてしまいます。土牢は、案内によると、二段構造となっており、深さ4㍍、広さは八畳程となるそうで、ここに九ヶ月あまり幽閉されていました。





「御構廟(おかまえどころ)」・・・護良親王の首級が置かれたとされる場所になります。なお、護良親王は墓は鎌倉宮にはなく、「理智光寺跡」及び「妙法寺」にあります。



「護良親王 馬上像」・・・宝物殿にあります。なんだか勇ましい姿ですね。ところで、「護良親王」の読み方って、「もりなが」なのか「もりよし」なのかどっちなんでしょうか。なんかどちらでも良いという感じのようですね。ちなみに鎌倉宮では、「もりなが」と読んでいます。



「瓦割り」・・・最近、色々な所で見受けられます。これもストレス社会の影響というものですかね^^:



 境内には、獅子舞をしながらおみくじを引いてくれるものがあります。

「獅子舞をするおみくじ」






 見ての通り、笑えるので、子供とか外国の方には大好評だと思いますが、何かありがたみがね・・^^:
 ちなみに200円になります。



「行き方」
①バス(鎌倉駅東口より)
京浜急行バス20番系統「鎌倉宮(大塔宮)」行きで終点下車
②徒歩
ベルグフェルド』のちょっと先にある「岐れ路」の交差点を左折したら真っ直ぐに行ったところです。大体、駅から30分位になります。


『鎌倉宮』
住所:鎌倉市二階堂154
電話:0467-22-0318
拝観時間:9:00~16:30
       9:00~16:00(12・1月)
拝観料:300円


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光照寺

 『光照寺』は、時宗の寺院となり、山号は「西台山」となります。創建の年ははっきりわかりませんが、時宗の開祖「一遍上人」が、1282年3月1日に鎌倉入りを図った時に、巨福呂坂の木戸の辺りで、時の執権「北条時宗」一行に遭遇し、鎌倉入りを阻止されてしまいます。そのため、木戸の外にある山のふもとで野宿することになるのですが、後年、その野宿した場所に建立された寺院こそが、「光照寺」となります。


 『光照寺』・・・「一遍上人」の法難霊場の地に建立されました。





 「山門」には、クルス紋(キリスト教の十字の紋)が見られます。


 「クルス紋」・・・鎌倉検定には良く出題されていますね。



 なぜ、時宗の寺院にクルス紋があるのか不思議に思うでしょうが、江戸時代になると、キリスト教が弾圧され、キリスト教徒でない事を証明するために、皆どこかの仏教寺院の檀家にならないといけませんでした(寺請制度)。その際に、時宗は、開祖「一遍上人」が熊野権現で夢の中でお告げを受けた「信不信をえらばず、浄不浄をきらはず、その札をくばるべし」の言葉通り、仏を信じようと信じまいと阿弥陀仏の力によって救われますよという思想だったため、関東の隠れキリシタン達の多くが、時宗の檀家となったと云われています。この「光照寺」の山門にあるクルス紋もそのような背景によってのものと考えられます。


 「子育て地蔵」・・・山門脇にあります。




 「おしゃぶき」様の祠・・・子どもや老人の咳が止まると云われております。


 「猫石」・・・境内にある石でよく猫の寝床になっている石です。勝手に命名させて頂きました^^


 「光照寺」は、北鎌倉にありますが、その中でも鎌倉方面とは反対側にあることもあり、観光客の方も訪れることも少ない寺院となりますが、「一遍上人」ゆかりの寺院であるだけでなく、江戸時代の隠れキリシタンの方達にとって、とても重要な役割を果たしてきた寺院と考えると、感慨ひとしおですね^^

 なお、時宗は「一遍上人」は鎌倉入りは果たせませんでしたが、執権「北条時宗」に対した時の毅然とした姿勢が、鎌倉の人々の間で感動を呼び、鎌倉においても時宗は広く信仰されることとなります。


「行き方」
JR「北鎌倉駅」下車後、常設改札口を出たら右折します。3つ目の信号を左折したら右手にあります。駅から5分位です。


 3つ目の信号を左折します。目印は右手のポストがある「鎌倉小坂郵便局」になります。


 「鎌倉小坂郵便局」・・・目立つ建物です。



『光照寺』
住所:鎌倉市山ノ内827
電話:0467-46-6355
拝観時間:9:00~17:00
拝観料:100円程納めて欲しいとの記載あり。
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