建築を専攻している学生と表参道の建築散歩をしました。まず、国立代々木競技場から始めます。丹下健三が設計した世界的な名建築(1964竣工)ですが、これは日本が戦後復興を果たしたという象徴的な意味を有しています。戦後駐留米軍がワシントンハイツという居留地として使用していた土地が日本に返還されて、ここに東京オリンピックの屋内競技場が建設されることになったのです。世界中が注目する状況で、丹下健三は二本の柱から吊り橋の原理で屋根を吊って大スパンの構造物を構成するというユニークな試みをします。シェル構造でもなく、トラス構造でもなく、丹下は吊り構造を選択します。この勇気に脱帽します。屋外の敷石は都電の路面に使用していた石です。ここに、時代の記憶を残そうという持続可能性を読み取ることができます。
表参道に沿って、商業施設が沢山建っています。明治通りに少し入ると、Icebergというアウディのビルがあります。外壁のガラス面は斜めにジグザグになっていて、その名の通り「氷山」を連想させてくれます。これは、CDIの設計です。
表参道を青山通りに向かって進むと、安藤忠雄の表参道ヒルズ(2006)が目につきます。表参道のけやき並木に高さを合わせて、地上3階建てに抑え、その代わりに地下3階まで建設します。中央の細長い吹き抜けの周囲を斜路が巡っています。ここに建っていた同潤会アパートの記憶を残すために、「同潤館」という建物が復元されています。歴史を伝えながら、新しいものを創造する思想が実現されています。
伊東豊雄のTOD’S表参道ビル(2004)、隈研吾のONE表参道(2003)、リカルド・ボフィルの明治安田生命パラシオビル(1999)、ヘルツォーク&ド・ムーロンのプラダ青山店(2003)、安藤忠雄のラ・コレッツィオーネ(1989)を過ぎると、交差点に根津美術館本館(2009)があります。これは、隈研吾が設計した名建築です。ほかにもたくさんありますが、あとは皆さんで建築散歩用のマップを拵えてみたらいかがでしょうか?
表参道に沿って、商業施設が沢山建っています。明治通りに少し入ると、Icebergというアウディのビルがあります。外壁のガラス面は斜めにジグザグになっていて、その名の通り「氷山」を連想させてくれます。これは、CDIの設計です。
表参道を青山通りに向かって進むと、安藤忠雄の表参道ヒルズ(2006)が目につきます。表参道のけやき並木に高さを合わせて、地上3階建てに抑え、その代わりに地下3階まで建設します。中央の細長い吹き抜けの周囲を斜路が巡っています。ここに建っていた同潤会アパートの記憶を残すために、「同潤館」という建物が復元されています。歴史を伝えながら、新しいものを創造する思想が実現されています。
伊東豊雄のTOD’S表参道ビル(2004)、隈研吾のONE表参道(2003)、リカルド・ボフィルの明治安田生命パラシオビル(1999)、ヘルツォーク&ド・ムーロンのプラダ青山店(2003)、安藤忠雄のラ・コレッツィオーネ(1989)を過ぎると、交差点に根津美術館本館(2009)があります。これは、隈研吾が設計した名建築です。ほかにもたくさんありますが、あとは皆さんで建築散歩用のマップを拵えてみたらいかがでしょうか?
私も昔の原宿、神宮橋、ワシントンハイツを覚えています
「永遠」様、コメントをありがとうございます。また、長い間気がつかなくて大変失礼しました。
戦後、東京オリンピックの直前まで、原宿周辺に米軍住宅があったなんて、驚きですね。都市は、歴史を重層的に伝えていく空間だと思います。持続可能性という概念には、歴史の記憶の持続も含まれているのですね。