ヨボ爺の与太話

街の見て歩きを投稿したのは昔の話、
今はヨボ爺が日常の与太話をたまに投稿する、
子供の絵日記の様なブログです。

横浜 伊勢佐木町~馬車道

2008-05-06 15:05:52 | 街歩き

5月4日(日)

JR根岸線関内駅から県立歴史博物館まで歩きました。

 

関内駅を出ると直ぐ目に入るのは

images 伊勢佐木町のモニュメントと

images 吉田橋です。

 

私には‘思い出深い’場所です、 就職した会社の横浜支店が橋の脇に建つビルの中にあり、社会人として第一歩を踏み出したのがこの地です。

 

吉田橋は1869(M2)年に日本で最初に鉄製(かね)の橋に架け替えられ“かねのはし”と呼ばれていました、現在運河は埋立てられ地下街に、ビルの跡地は地下に首都高速道路神奈川1号横羽線が通っています。

 

images 吉田橋関門跡の碑

橋のたもとに関門を設け、武士や町人の出入りを取り締まった。関の中を関内(馬車道側)、関の外を関外(伊勢佐木町側)と呼び、関内の地名の由来となった。

 

吉田橋を渡り馬車道を県立歴史博物館に向かいます。

馬車道は、横浜港に停泊した船や港に面した居留地から荷物や人々を馬車で関門のある吉田橋付近まで運んでいたことから、馬車道通りの由来になった。

 

馬車道には日本最初の○○△△発祥の地古い建物近代遺構等多くが点在しています。

 

日本初のガス燈灯

images トラファルガー広場のガス灯(イギリス) 

images 英国国会議事堂のガス灯 

images シェフィールドパークのガス灯(イギリス)

images ビクトリア・タワーのガス灯(イギリス)

  横浜には70基程のガス灯があるそうです、ガス灯巡りも良いな 

 

images 近代街路樹発祥の地記念碑

街路樹の最初は1867(慶応3)年、馬車道沿道に植えられた柳と松である、その景観を美しく見せるというのが第1の目的であった。

後に日本初のガス灯が点灯されると、街路樹は更に美しく映え、道行く人々の目を楽しませたのである。

これ以降、日本の街路樹は欧米諸国の影響を受けて、樹種の選択,植栽手入法の改良などにより,著しい進歩と普及をとげた。

 

images 牛馬飲水

1917(T6)年に日本人道会と横浜荷馬車協会が磯子の八幡橋際に設けた物を移設した。

 

10分程歩くだけでこんなにあります、始めて・発祥・近代建物等を探しながら歩きに来たいと思います。 

 

帰りはみなとみらい線馬車道駅で乗車、次の新高島町駅で降りて横浜まで歩きます、どちらも始めての駅です。

馬車道駅は駅の真上に建っていた横浜銀行旧本店の金庫扉や壁画が吹き抜けの壁に取り付けてありました。

 


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