今年1年に起きた松阪市政上の出来事で、印象に残った上位10を挙げてみました。
3月議会の23時間審議を経て予算は決まったものの、5月のフォーラムで市長が計画内容の見直しを表明。11月には24階建てのマンションを21階とすることで最終案に。
まちづくり3法の、中心市街地活性化法にある中心市街地活性化基本計画を策定し、内閣総理大臣の認定を受けるための検討が始まる。
一日あたりの利用者は300人。市が採算ラインとしていた440人を大幅に下回る。
2月以来、12月27日までに5回の口頭弁論。来年へ継続。
政策力が求められる市政。人と組織の問題が大きい。市政中枢部で起きていることも不透明。
ベルファームの管理を委ねる指定管理者の選定で、市100%出資の財団法人松阪ベルファーム(理事長は当時の奥田修助役)が、民間の「モクモク」などでつくる「株式会社協働ファーム」に敗れ、奥田助役は「断腸の思い」と悔しさにじませる。
市長は実施した大型事業について「期待の種まき」と説明したが、「不安の種まき」である。
市政運営のルールを市民に明示して約束し、透明化を図る自治基本条例の中間報告が出来上がる。
現在の病棟新築後、10年で累積赤字70億円超す。一般会計から6億5000万円赤字補てんで見かけの赤字は65億円。
1,一連の松阪駅西地区再開発の動き
3月議会の23時間審議を経て予算は決まったものの、5月のフォーラムで市長が計画内容の見直しを表明。11月には24階建てのマンションを21階とすることで最終案に。
2,中心市街地活性化に関する検討始まる
まちづくり3法の、中心市街地活性化法にある中心市街地活性化基本計画を策定し、内閣総理大臣の認定を受けるための検討が始まる。
3,海上アクセス就航1年、厳しい採算性
一日あたりの利用者は300人。市が採算ラインとしていた440人を大幅に下回る。
4,松阪市民病院増築工事随意契約住民訴訟
2月以来、12月27日までに5回の口頭弁論。来年へ継続。
5,副市長辞任
政策力が求められる市政。人と組織の問題が大きい。市政中枢部で起きていることも不透明。
6,ベルファーム、指定管理者で「官」敗れ、「民」に
ベルファームの管理を委ねる指定管理者の選定で、市100%出資の財団法人松阪ベルファーム(理事長は当時の奥田修助役)が、民間の「モクモク」などでつくる「株式会社協働ファーム」に敗れ、奥田助役は「断腸の思い」と悔しさにじませる。
7,市長、所信表明で「期待の種まき」と説明
市長は実施した大型事業について「期待の種まき」と説明したが、「不安の種まき」である。
8,自治基本条例の中間報告
市政運営のルールを市民に明示して約束し、透明化を図る自治基本条例の中間報告が出来上がる。
9,市民病院の累積赤字、実質は70億円に
現在の病棟新築後、10年で累積赤字70億円超す。一般会計から6億5000万円赤字補てんで見かけの赤字は65億円。
10,市民病院に緩和ケア病棟完成
街にはその街特有の遺伝子があるはずで、新しいまちづくりにもその遺伝子は引き継がれるべきだ、と思っています。
今年の秋、卒業生として、母校の大学を訪れる機会がありました。
創立125周年ということで、何年か前から、学内の「再開発」をしていました。
古い建物(校舎)を取り壊し、すっかり新しくなった建物。まったく新たに出来た施設(オープンカフェやキャンパス・ブランドショップ、ホテル、カフェテリア(食堂)もありましたが、それになりに新旧がうまく入り混じり、逆に伝統建築物の良さを引き出していました。
新しい建物は昔の建物では果たし得なかった新しい機能を発揮し、これからの大学に必要な役割を果たしていくことでしょう。
大学というところは、それ自体一つの街です。
4万という学生、教職員がいて、周りにはいくつかの商店街もひしめいている。
そして、いま現にいる若い学生だけでなく、卒業して何十年もたって訪れる校友にも昔をしのべる要素を残しておいて初めて、母校として愛される。
古い時代からある建物をいまのたたずまいに取り込むことで、変わっても変わらない風景を提供することができる。
そこ特有の遺伝子を伝える建築、そして、再開発をしているのだろうと思いました。
当然、街にも、その土地特有のかたち、風景、自然、機能をどのようにコンセプトとして受け止め、新たに造り出す「価値」へと変換するか。そこのところに感性が求められるでしょうし、日本の建築学、風景デザインなどの分野で蓄積された専門性をとりいれることの意義を感じ取ることができるかどうかで、街に魅力を吹き込むかそうではないかの大きな分岐点があるような気がします。
そんなふうな問題意識を持っているときに出逢った一冊の本。
執筆したのは、三重大学の元助教授で、現在、早稲田大学教授の建築家・後藤春彦さんと、佐藤滋さん、山中知彦さんのグループ。
都市デザイン 12のワークスタイル
【構想】素材を掘り起こす。
まちの成り立ちを読む。
物語に綴る。
【造景】骨格をデザインする
界隈を形づくる
風景にまとめる
まちに開く
ブレークスルーする
【編集】 布石を打つ
いくつもの道筋を検討する
体制を整え布陣を組む
波及と連携を生み出す
この骨格がそのまま本の骨格として構成され、実際の都市デザインへの取り組み事例を紹介しながら体系化されているユニークな本です。
とかく建築の専門書は素人にはわかりにくいものですが、この本には、絵と写真、気の利いた文章で、大変魅惑的なまちづくりのエッセンスのような話が充ち満ちています。
ただ、その概念を具体的なかたちにしていくためには、概念を読み解く専門家(建築家)と、その土地と街のことを知っている市民のパートナーシップ(協働)が不可欠です。
前に議会で、後藤春彦さんのような専門家にプロとして参画してもらって、松阪の再開発をゼロから再構築してみてはどうか、と提案したことがあります。
市長の答えは、もちろん、その気なし、でした。
というより、意味がわからなかったのでしょうね。
早稲田へ教授として転出されてからも一度、飯南町の「峠集落」の森の中で、先生のゼミの学生らをスタッフに「まちづくり人生ゲーム」というワークショップを開いていただいたことがあります。
かつては伊勢本街道沿いに宿場として栄えた「峠」は、住む人のいない村になっていました。
かつてここにたくさんの暮らしがあったとき、この地域の人はどのような暮らしをしていたのか、その村の結婚式の再現をひとつの手がかりに、ちょっとしたイベントじたてのワークショップでした。
そんな作業を通して、それぞれの土地の持っていた遺伝子を発見することができれば、次なるまちづくりへとつながるヒントとなることでしょう。
その遺伝子を「街を造る」かたちへと翻訳できる人、そんな専門家と。
とってつけたようなワークショップをホンモノだと思ってしまうところが松阪市の弱点ですが・・・。
今年の秋、卒業生として、母校の大学を訪れる機会がありました。
創立125周年ということで、何年か前から、学内の「再開発」をしていました。
古い建物(校舎)を取り壊し、すっかり新しくなった建物。まったく新たに出来た施設(オープンカフェやキャンパス・ブランドショップ、ホテル、カフェテリア(食堂)もありましたが、それになりに新旧がうまく入り混じり、逆に伝統建築物の良さを引き出していました。
新しい建物は昔の建物では果たし得なかった新しい機能を発揮し、これからの大学に必要な役割を果たしていくことでしょう。
大学というところは、それ自体一つの街です。
4万という学生、教職員がいて、周りにはいくつかの商店街もひしめいている。
そして、いま現にいる若い学生だけでなく、卒業して何十年もたって訪れる校友にも昔をしのべる要素を残しておいて初めて、母校として愛される。
古い時代からある建物をいまのたたずまいに取り込むことで、変わっても変わらない風景を提供することができる。
そこ特有の遺伝子を伝える建築、そして、再開発をしているのだろうと思いました。
当然、街にも、その土地特有のかたち、風景、自然、機能をどのようにコンセプトとして受け止め、新たに造り出す「価値」へと変換するか。そこのところに感性が求められるでしょうし、日本の建築学、風景デザインなどの分野で蓄積された専門性をとりいれることの意義を感じ取ることができるかどうかで、街に魅力を吹き込むかそうではないかの大きな分岐点があるような気がします。
そんなふうな問題意識を持っているときに出逢った一冊の本。
『図説 都市デザインの進め方』(丸善株式会社刊、3200円)
執筆したのは、三重大学の元助教授で、現在、早稲田大学教授の建築家・後藤春彦さんと、佐藤滋さん、山中知彦さんのグループ。
都市デザイン 12のワークスタイル
【構想】素材を掘り起こす。
まちの成り立ちを読む。
物語に綴る。
【造景】骨格をデザインする
界隈を形づくる
風景にまとめる
まちに開く
ブレークスルーする
【編集】 布石を打つ
いくつもの道筋を検討する
体制を整え布陣を組む
波及と連携を生み出す
この骨格がそのまま本の骨格として構成され、実際の都市デザインへの取り組み事例を紹介しながら体系化されているユニークな本です。
「どんな場所にも必ず価値がある。
その価値を読み取り、広く市民と共有できる場所に育てていくことが公共空間に生命力を吹き込むことになる」。
とかく建築の専門書は素人にはわかりにくいものですが、この本には、絵と写真、気の利いた文章で、大変魅惑的なまちづくりのエッセンスのような話が充ち満ちています。
ただ、その概念を具体的なかたちにしていくためには、概念を読み解く専門家(建築家)と、その土地と街のことを知っている市民のパートナーシップ(協働)が不可欠です。
前に議会で、後藤春彦さんのような専門家にプロとして参画してもらって、松阪の再開発をゼロから再構築してみてはどうか、と提案したことがあります。
市長の答えは、もちろん、その気なし、でした。
というより、意味がわからなかったのでしょうね。
後藤先生は、三重大学にお見えになったのがご縁で、
「再開発プロジェクトでは、街の中の細々としたあらゆるものが、
街の記憶と共に消し去られてしまう。
再開発の結果、それまでの街とは異質な空間がいきなり挿入される。
再開発は単なるビルづくりではなく、『街としての雰囲気、環境を生み出す作業』が必要であり、その作業は独立した作業としてなされるべきである」
早稲田へ教授として転出されてからも一度、飯南町の「峠集落」の森の中で、先生のゼミの学生らをスタッフに「まちづくり人生ゲーム」というワークショップを開いていただいたことがあります。
かつては伊勢本街道沿いに宿場として栄えた「峠」は、住む人のいない村になっていました。
かつてここにたくさんの暮らしがあったとき、この地域の人はどのような暮らしをしていたのか、その村の結婚式の再現をひとつの手がかりに、ちょっとしたイベントじたてのワークショップでした。
そんな作業を通して、それぞれの土地の持っていた遺伝子を発見することができれば、次なるまちづくりへとつながるヒントとなることでしょう。
その遺伝子を「街を造る」かたちへと翻訳できる人、そんな専門家と。
とってつけたようなワークショップをホンモノだと思ってしまうところが松阪市の弱点ですが・・・。
松阪市議会の12月定例会は17日に終了しました。
松阪駅西地区再開発の市民の賛否を問うため、議員9人で共同提案した住民投票条例案は、10対22で否決されてしまいました。
しかし、本来、議会が負うべき政策提案(立法)機能の向上、議員間討論の活発化を図るためのきっかけづくりにはなりました。
議会の現状は、よい質疑や討論をしたからといって、ふだん、市長提案になら何でも賛成する議員の考えを改めさせることは大変難しいところがあります。
本来、議論を尽くし、議案の問題点を見つけ、改善すべき点があれば修正するなり、否決して、よりベターな政策を実現するべきところです。
ところが、市側は、自ら提案した議案がどんなに粗悪(たとえば、市民歌の例・・)であろうとも、いったん提出した議案を改善しようという意思はまったくありません。本来、そこで、チェック機関としての議会の出番があるわけですが、いくら問題点を指摘しても、結局は多数決でなんら改善の加えられないまま、「原案通り可決」となってしまいます。
議案に対する質疑でそれぞれの議案に対する問題点を指摘するわけですから、最初は問題に気づかなかった議員も問題に気づき、ダメな議案は「否決してあげることが親切」とばかりに反対に回るようになれば、市側もうかうかヘンな議案は出せなくなります。
ところが、どんなに粗悪な議案であっても、賛成してくれる議員(市長の身方)はいつも賛成してくれますので、市長にとってはたいへん心強い。
市長の提案に賛成してばかりの議員は、議会内でほとんど発言という発言はしません。議決のとき、手を挙げ、賛成するだけです。
今回、そんな議員たちが、住民投票条例案というボールに、どのように反応してくるだろうかという興味もありました。
彼らにとって逆の立場です。
そのまま、住民投票なんかせず、すでに議決した案件をそのまま素通りさせたいと考えている議員が3分の2を占めているなかへ住民投票で賛否を決めようという議員提案なわけですから、彼らにとり面白いはずはありません。
彼らにとって通してよい議案ではありません。
質疑がありました。質疑は提案者に対して行うものです。今回は議員が提案者ですから議員が議員に対して質疑し、提案議員が答弁します。
これは、現状の議会えでは議員はいつも市側に質問をして答えをもらうだけの役割に陥っているなかで、議員同士が議論をおこなうべき本来の姿にもっていくとっかかりともなります。
ふだん、発言しない議員も質疑、討論(住民投票に対して「反対」の)をしてくれました。
結果はともあれ、少しでも議会らしい、当たり前の議論が行われるようになっていくきっかけを提供できたということであれば意義はあります。
こうなれば、これ1回きりではなく、これまで市長に作ればと提案していた条例を議員の側でつくる議員提案を今後も積極的に行うことが、今度はわたしたちの役目として重要になってくるでしょう。
そうなれば、いずれは、市長を支えている議員たちからも、議案が出てきて、こちらから質疑をして、よい議案なら賛成するけどダメな議案だったら修正させるか撤回させるか、本来、市民が期待している言論と立法(条例)の府としての議会づくりの芽となり得るのではないかと思います。
松阪駅西地区再開発の市民の賛否を問うため、議員9人で共同提案した住民投票条例案は、10対22で否決されてしまいました。
しかし、本来、議会が負うべき政策提案(立法)機能の向上、議員間討論の活発化を図るためのきっかけづくりにはなりました。
議会の現状は、よい質疑や討論をしたからといって、ふだん、市長提案になら何でも賛成する議員の考えを改めさせることは大変難しいところがあります。
本来、議論を尽くし、議案の問題点を見つけ、改善すべき点があれば修正するなり、否決して、よりベターな政策を実現するべきところです。
ところが、市側は、自ら提案した議案がどんなに粗悪(たとえば、市民歌の例・・)であろうとも、いったん提出した議案を改善しようという意思はまったくありません。本来、そこで、チェック機関としての議会の出番があるわけですが、いくら問題点を指摘しても、結局は多数決でなんら改善の加えられないまま、「原案通り可決」となってしまいます。
議案に対する質疑でそれぞれの議案に対する問題点を指摘するわけですから、最初は問題に気づかなかった議員も問題に気づき、ダメな議案は「否決してあげることが親切」とばかりに反対に回るようになれば、市側もうかうかヘンな議案は出せなくなります。
ところが、どんなに粗悪な議案であっても、賛成してくれる議員(市長の身方)はいつも賛成してくれますので、市長にとってはたいへん心強い。
市長の提案に賛成してばかりの議員は、議会内でほとんど発言という発言はしません。議決のとき、手を挙げ、賛成するだけです。
今回、そんな議員たちが、住民投票条例案というボールに、どのように反応してくるだろうかという興味もありました。
彼らにとって逆の立場です。
そのまま、住民投票なんかせず、すでに議決した案件をそのまま素通りさせたいと考えている議員が3分の2を占めているなかへ住民投票で賛否を決めようという議員提案なわけですから、彼らにとり面白いはずはありません。
彼らにとって通してよい議案ではありません。
質疑がありました。質疑は提案者に対して行うものです。今回は議員が提案者ですから議員が議員に対して質疑し、提案議員が答弁します。
これは、現状の議会えでは議員はいつも市側に質問をして答えをもらうだけの役割に陥っているなかで、議員同士が議論をおこなうべき本来の姿にもっていくとっかかりともなります。
ふだん、発言しない議員も質疑、討論(住民投票に対して「反対」の)をしてくれました。
結果はともあれ、少しでも議会らしい、当たり前の議論が行われるようになっていくきっかけを提供できたということであれば意義はあります。
こうなれば、これ1回きりではなく、これまで市長に作ればと提案していた条例を議員の側でつくる議員提案を今後も積極的に行うことが、今度はわたしたちの役目として重要になってくるでしょう。
そうなれば、いずれは、市長を支えている議員たちからも、議案が出てきて、こちらから質疑をして、よい議案なら賛成するけどダメな議案だったら修正させるか撤回させるか、本来、市民が期待している言論と立法(条例)の府としての議会づくりの芽となり得るのではないかと思います。
県展が16日終わりました。
写真部門で入選した「夕暮れ」を持ち帰ってきました。
12年前、スペインの南、グラナダから列車で数時間乗ったところの街の風景を撮りました。列車からの風景が気になったので、モロッコに行く途中でしたが、下車しました。
夕暮れ時、橋の上を行き交う人々を撮りました。
写真部門で入選した「夕暮れ」を持ち帰ってきました。
12年前、スペインの南、グラナダから列車で数時間乗ったところの街の風景を撮りました。列車からの風景が気になったので、モロッコに行く途中でしたが、下車しました。
夕暮れ時、橋の上を行き交う人々を撮りました。
☆ライブドアのブログのコメント欄に次のような疑問が寄せられました。
何故、議会でもっと議論をしないのですか。駅前を再開発することが、今の松阪に望まれる姿なのでしょうか。
景観を守ると云いながら、あちらこちらにマンションができ。歴史文化と云いながらその景観を壊している矛盾を何故、議会できっちりした議論がないのでしょうか。
道路や開発をしても町の再生には繋がらないのではないでしょうか。
町が活性化している、近江八幡や長浜の例を参考にすべきではないのでしょうか。
氏郷でないと無理なのかな?(あき)
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あき 様
☆「再開発」という言葉の不理解
機会あれば言っていることですが、
「再開発」という言葉が、議員の中にも、市民の中にも、正しく理解されていないことが議論をややこしくしいているのだと思います。
議会では、先日11日の本会議、13日の総務生活委員会で、わたしたち9人の議員が共同提出した住民投票条例について、他の議員から提出議員が質疑を受けたのですが、再開発事業についての誤った認識から発せられる論理に基づく内容でした。
それは、14日付の夕刊三重の報道を見てもお気づきだと思いますが、住民投票条例に反対し、再開発事業推進に賛成する議員から、住民投票で再開発しないということになって事業の計画を見直すことになったら、「民間の営業(商業)権の侵害」「財産権の侵害」などとの意見が多く出た点にも見られます。
そもそも、「再開発」とは何か。
それは、都市再開発法に基づいた市街地再開発事業のことです。
公共の福祉の実現のため、老朽の木造住宅が密集し、路地が狭く、火災や災害が起きたときでも救急車や消防車が入れないなどの問題が生じたり、防災上危険だったりする地区において、再開発ビルを建てること(土地の高度利用)で個々ばらばらな財産(土地・建物)の権利を持つ住民らの財産を再開発ビルの中に確保(権利床)。古くなった家屋等は取り壊し、防災上の安全や美観、都市機能を高めることを目的とします。この際、古い建物とかを壊し、広い道路を確保する経費がかかり、通常の建て替えよりコスト高となるため、それを補うため、国や自治体の補助金が出されます。建物を建て替えるだけでは、事業全体の収支が赤字となるので、収入を補うため、もともと権利を持っていた人の床分とは別に床(高層住宅や店舗など)を造って販売したり貸したりすること(保留床の処分)で事業収入をあげようというのが、大まかな内容です。
この市街地再開発事業は、公共事業です。国、地方、施行主体(行政か個人か組合か)が3分の1ずつ、事業費を負担するのは、一般の公共事業(補助事業)と同じです。
このような事業を実施しようとすると、都市計画決定に従い、個人の財産の処分(活用)が自由ではなくなるので、当然、個々の地権者の協力を求め、説得するのは難航をきわめます。地権者の財産権にかかわる問題なので、全員の同意を原則としています。だから、事業実施まで何十年かかるか、途中で行き詰まることも多い。松阪駅前再開発でも、20年前に計画され、当初の8ヘクタールから3ヘクタールになり、いまは駅西の1・5ヘクタール(地権者は松阪市を含む4人。居住者なし)だけとなりました。
わたしは、再開発をやるんだとしたら、駅西地区ではなく、三交百貨店の側でしょうと思います。
それぞれの時代に、それぞれの土地が果たしてきた役割があります。
三交の側は、百貨店(昭和40年頃、ショッピングセンターとして)が出来る前に松電というローカル電車のターミナルだったこと、ショッピングセンター、百貨店ができたのちは、他にも大型の商業施設が集積し、周遊性が高まり、そして、衰退した歴史を歩んできたことから考えて、もう一度、このゾーンの再生を、中心市街地活性化法の関係の中から考えることの必要性を感じます。
駅西地区はやりやすいのかもしれませんが、それだけ。
やって意味のある場所とは思えません。
わたしは、再開発をやるんだとしたら、駅西地区ではなく、三交百貨店の側でしょうと思います。
それぞれの時代に、それぞれの土地が果たしてきた役割があります。
三交の側は、百貨店(昭和40年頃、ショッピングセンターとして)が出来る前に松電というローカル電車のターミナルだったこと、ショッピングセンター、百貨店ができたのちは、他にも大型の商業施設が集積し、周遊性が高まり、そして、衰退した歴史を歩んできたことから考えて、もう一度、このゾーンの再生を、中心市街地活性化法の関係の中から考えることの必要性を感じます。
駅西地区はやりやすいのかもしれませんが、それだけ。
やって意味のある場所とは思えません。
こうなると、本来の公共事業としての市街地再開発事業という趣旨は変わらざるを得ません。
個々の地権者の、民間事業としての土地の活用(通常の民間開発)とどこがどう違うのか?、公共性はあるのか、という話になります。
そこで今年の初め頃、国(国土交通省)に聴いたところ、公共広場(今年3月の予算議決の段階では、公衆トイレと交番、駐輪場、数台分の駐車場が名目上の広場となるとのことでした。現在の観光情報センターを取り壊すなどして確保した土地にを充てます)と、広い道路を造る計画があるから、公共性があるのだと、いっていました。
ひじょうにあきれる話です。
日本の国では、なぜ、こうも都合の良い解釈が幅をきかせるのかと腹立たしくなります。
というわけで、国は補助金(都市再開発法に基づく市街地再開発事業)として補助金を出すことにしたわけですから、国としては公共事業として認めたことになります。
で、この程度の中身でも都市計画決定の伴う公共事業であるからには、公共事業の「公共目的」のために、土地が活用されます。
ずいぶんと前置きが長くなりました。
仮に住民投票条例が可決して、住民投票が実施されれば、何が争点となるかといえば、現行の計画通り事業を進めるかどうかの賛否です。
住民投票の結果を、市長も議会も市民も尊重しなければなりません。
だから、もし、住民投票の結果が、計画にノーといった場合、住民投票に反対する議員は、営業権の侵害とか財産権とかいうわけです。
しかし、そもそもを考えてください。
もともと、土地の所有者は、それぞれの財産として処分・活用する権利を持つわけです。
だから、公共事業として再開発事業を始めようというときは、財産の処分の自由を失うことになるので、それに参加するかしないかは地権者の自由意思が尊重され、地権者の同意が絶対条件となるわけです。
いわば、公共の福利という目的のために、私的財産の自由の制限となるが、それを受け入れようというのが、地権者としての同意という意味です。
だから、入らない自由があります。
住民投票条例によって、再開発事業ができなくなったら、営業権の侵害だとか、財産権の自由の侵害という議員の意見はおかしなもんです。
財産の自由を確保するためには、再開発事業を行わないことです。
再開発事業を行うためには、再開発事業の「公共目的」に従うということです。
それに対して、住民投票は、、その公共目的が正しいかどうかを市民で判断しようというものです。市長も議会も市民的意思を尊重し、住民投票の結果に従えば、その結果の内容が公共的意思ということになります。つまり、再開発することを公共と見なすか、再開発しないことを公共と見なすか、です。
地権者の権利、自由とは、その公共目的の範囲内で認められるということになります。
再開発をすれば、再開発の公共性に従い、見直すのであれば、その方向に従わざるを得ない。
そもそも、再開発をしないので、そういう都市計画決定をしないということであれば、元々の本源的自由は守られます。
財産権とか民業を侵害するという論理
かんたんに要約します。
市街地再開発事業に基づく再開発事業を選択すること自体、個人の自由より、その公共目的・公共意思に従うということです。
だから、地権者として、再開発事業に同意しない自由がある。
財産権とか民業を侵害するという論理は、公共事業(公共の福利の実現のために補助金が付く)ではなく、民間資本による民間レベルでの開発行為について言えることで、問題外の話です。
それが、13日の市議会総務生活委員会での、住民投票条例反対の理由になったのです。
何故、議会でもっと議論をしないのですか。駅前を再開発することが、今の松阪に望まれる姿なのでしょうか。
あきさんの最初の問い掛けに対して、ずいぶん遠回りをしてしまいました。
議会の議論はあとで述べますね。
「駅前を再開発することが、今の松阪に望まれる姿なのでしょうか。」という問いですが、長々と述べたように、駅西地区でいう再開発とは国のあのような制度にのっかることです。
この手法でやる以上、どこの街へ行っても、駅前の広場、高いビル、公益施設、商業テナント等々、周囲の広い道路と、だいたいどこでも同じようなものです。国の制度とは画一的なものです。
まあ、いずれにしても、再開発をするのなら、うちの街の玄関をどうするか、どう街全体ににぎわいなり、人のいききの導線をそうするかなど、練りに練って、結論を出すのが当然だと思います。わたし個人は再開発手法は好きでないですが、情報をオープンに、風通しよく、市民の声に意識的にさらしておく、オープンに専門家の声を取り入れるなどする作業に時間をかけてくれば、かなり、違ったものになったはずです。
地権者だけの問題ではありません。
松阪の場合、根源的問題は、地権者(松阪市をのぞくと3人)でつくる準備組合と、そこから依頼を受けたゼネコンで絵を描き、市民は青写真が公表されるまでずっと蚊帳の外だったこと。市役所は準備組合に参画していながら、発言をせず、発信せずというスタンスをとってきたことにあります。
議会として、議員として、どうだったか?
平成14年頃、わたしはまだ議員ではありませんでしたが、そのころ、民主導で再開発をやろうという勉強会が始まり、地権者とともに、市も加わりました。
そこからひっそり、こっそりと研究が続いていたようです。
わたしは、この研究会が再開発をできるとは思っていませんでした。
いよいよ、具体化したときは、昨年の3月、保健・医療・福祉総合センターの立地を駅西地区の再開発事業地とすることが市によって決定した時点で、再開発事業の実現性の可能性が一気に高まりました。
というのは、当初の案で、94億円の費用(国・市の補助約40億円を含む)のうち、補助金とは別に、総合センターを28億円で市が購入するという構想になったのですから。それ以前、津の食品スーパーに入ってもらう交渉をしていたとのことですが、28億円の穴を埋めることはできたかどうか。
総合センターが入ることになったので、再開発ができるという見通しがたったのだと、わたしは思っています。
これによって、94億円の事業費のうち、国・市の補助40億円、総合センター購入費28億円という内訳になりました。
言い換えれば、総合センターさえ、駅前に決定しなかったら、この再開発は具体化しなかっただろうと思います。
昨年の5月、準備組合を訪ね、計画を聞かしてもらいました。
高層マンションがいちばん駅寄りにあるプランでした。
その時点で、これ以外には直しようがないとのことでしした。
議会ではこのころから議論は起きていました。
総合センター
議会の中で、立地場所が決まる前から総合センターに反対していたのは、議会の中でわたし一人でした。
議会で市長にセンター方式はやめて、街中の空き屋・空き家を何棟か借り、中はリメーク。空き家跡の空き地を小さくいくつか借りて駐車場とするなどして、街の中で利用者とボランティアが関わり、市民活動の拠点として健康のことや福祉のことを必要としている人、ボランティアなどに関わりたい人に場を提供する施設に、街をうまくつかっていく仕組みをつくるために、建設基金11億円を活用した方がよいと提言してきましたが、下村市長は新しいハードものがほしかったようです。
頑として軌道修正する気はなかったです。
本当に市民が必要なものを考えるというより、先に建物を造って、あとから使い方を考える程度の発想です。
民間であれば、まず、ある場所(建物)で工夫しながら事業を始め、軌道にものってきたし、もうどうしても、古く手狭でというときになって、新しい建物のプロジェクトを起こすのでしょうね。
市民病院は、ほとんど借金で、いまの病棟を新築し、10年で70億円の赤字が積もりました。
同じ手法なんですよね。
議会の議論の仕組み
1,議会は、議員同士の議論はしないところという現状。そこをあらためなければと思いつつ、手を付けずにきたこと、申し訳ありません。
現状を述べますと、
議員の仕事の基本となるのは、(1)議案に対する質疑と、(2)行政一般についての質問(一般質問)の二つ。
(1)議案は、予算案とか条例案とか、いわゆる政策の案のこと。市長から提出のあった議案について、市長や部長らに質疑します。議員は予算についての提案権はありませんが、条例案だったら、議員数の12分の1(3人以上)の賛同があれば提案できます。今回の住民投票条例が該当します。圧倒的に、市長提案のものが多いので、質疑を通して市長とは議論します。しかし、議員提案の条例案はほとんどないので、提案議員とその他の議員の議論は起きません。
これまで、市長に対して、「~~のような条例を作るべき」と提案したことはあります。この場合、市長が作る気がなければ、条例はできません。
じゃ、これからは、議員の条例提案権を生かして、条例をつくっていく努力をします。すると、今回のように、議員からの質疑を受けて立つことができますので、議員同士の議論が成り立ちます。現状では、何一つ質問がなく、多数決で否決ということもあり得ます。それはいちばんつらい。
質問があっても、勉強不足で間違った認識のもとでの質問・質疑なら、答弁(反論)でそれを正したいが、相手は間違いを承知(気づかぬまま?)、多数決で否決ということはあり得ます。
しかし、そこから始めないとね。議会を変えるのは。今回も、少しは質疑があったし、少しは勉強してもらったようですし。
(2)一般質問は自由テーマで、議員が行政に問い掛けるものです。
2,再開発
もっと効果のある再開発はあると思いますが、いまの計画はお金がもったいないし、30年先、50年先まで残る風景をつくってしまうことで、今レベルでの議論で結論を出してしまうのはおそろしいこと。市民歌であれば笑いとばせば住むが、再開発はそうはいきません。
そもそも、駅西地区は、再開発不適地だと思っています。
わたしは、再開発をやるんだとしたら、駅西地区ではなく、三交百貨店の側でしょうと思います。
それぞれの時代に、それぞれの土地が果たしてきた役割があります。
三交の側は、百貨店(昭和40年頃、ショッピングセンターとして)が出来る前に松電というローカル電車のターミナルだったこと、ショッピングセンター、百貨店ができたのちは、他にも大型の商業施設が集積し、周遊性が高まり、そして、衰退した歴史を歩んできたことから考えて、もう一度、このゾーンの再生を、中心市街地活性化法の関係の中から考えることの必要性を感じます。
駅西地区はやりやすいのかもしれませんが、それだけ。
やって意味のある場所とは思えません。
所属の常任委員会である建設水道委員会を早く終え、総務生活委員会へ。
答弁者の側の席へ。
わたしにも質問がほしいと待ちかまえましたが、何もなし。
がっくり。。。
住民投票条例提案議員は、委員会審議の際、関係委員会へ出向き、質疑に備えました。
何人かの委員から質問がありましたが、提案代表者のほうで答弁。
もっと、こういうふうに答えておきたいよというストレスを抱えながらも、おとなしくしていました。
質問議員(条例案に反対、駅西再開発に賛成)は、制度や法に対し、けっこう間違った認識をもっていて、間違った認識をもとに、「だから住民投票条例は好ましくない」ような結論にもっていった。
採決の結果、1対7で条例案は否決。
でも、いい体験できたなあ。
なにはともあれ、議員同士、議論する場が出来たのだから。
中味についてはまた改めて報告をします。
疲れました。
答弁者の側の席へ。
わたしにも質問がほしいと待ちかまえましたが、何もなし。
がっくり。。。
住民投票条例提案議員は、委員会審議の際、関係委員会へ出向き、質疑に備えました。
何人かの委員から質問がありましたが、提案代表者のほうで答弁。
もっと、こういうふうに答えておきたいよというストレスを抱えながらも、おとなしくしていました。
質問議員(条例案に反対、駅西再開発に賛成)は、制度や法に対し、けっこう間違った認識をもっていて、間違った認識をもとに、「だから住民投票条例は好ましくない」ような結論にもっていった。
採決の結果、1対7で条例案は否決。
でも、いい体験できたなあ。
なにはともあれ、議員同士、議論する場が出来たのだから。
中味についてはまた改めて報告をします。
疲れました。