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アユタヤで昼寝

アユタヤ在住。海外転出しての、アメージングなタイ王国での暮らしの日々を‥‥‥

バンパイン離宮へ行く(2)

2015-12-10 23:59:06 | 日記
バンパイン離宮へ行った、続きです。ホー(塔)ウィトゥン タサナ。1881年チュラロンコン王によって建立。3階まで登れます。

プラティナン ウッタヤーン プーミサティアン。1877年チュラロンコン王によって建立。スイスシャレード風の木造2階建て。しかし、1938年改修工事中に火災に見舞われる。1994年現シリキット王妃の下命により再築。
このあと、池の外回りの道沿いにチュラロンコン王の兄弟の一行をもてなす建物とか幾人かの王妃の為の小さな建物が並んでいる。

そして、その先にサオワバークス ナリラッタナ王妃とその3人の御子の追悼碑。
スナンター クマリラタナ王妃(プラナーン ルア ロム、船没王妃、享年21歳)追悼碑。ラーマ5世チュラロンコン王の王妃に乗った船が沈没して妊娠中の王妃が死亡。当時の王室典範では王族に下々の者が触れることが禁じられていた為、皆の見ている前で溺れしんだもの。王妃を偲んで建てられたもの。このお腹の中の王子を祀ったのが、ワット ヤイチャイモンコンにあるシティチャイの祠である。(よくドラえもんが供えられている)


途中の食べ物とアイスクリームを売っている建物で、休憩。アイスクリームを食べました。いろんなメーカーのが有って、これは20バーツ(1本)のもの。美味しかったです。
出口に向かう道で、遠足の児童達に遭遇。


出口の所は、お土産物とかの売店の中を通らないと出られないようになっている。商売熱心なことである。いいなあと思う物も有ったが、少々お高いので……パス。
普通に歩いて廻れるが、日除けは必要かも……です。





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バンパイン離宮へ行く(1)

2015-12-10 23:58:06 | 日記
朝からワット ヤイチャイモンコンまで行き、客待ちのトゥクトゥクと交渉する。1時間200バーツでの貸切である。まずはバンパイン離宮に行く。ワット ヤイチャイモンコンの前の道を南へと、トゥクトゥクは軽快に走って行く。途中で、こんな集団を追い越す……最近?なのかどうかは知らないが、サイクリングが盛んになっている。
やがてバンパイン離宮に到着する。入場料は外国人100バーツ。8時~16時、無休です。ドレスコード有り、巻きスカートの貸出もしている。入ったところで、カートの貸出もしている。けれど充分に歩いて見て回れるくらいの広さ。
アユタヤ時代中期、プラサートトーン王(1629-1656)が建立。アユタヤ王朝が滅びた1767年以降荒れたままにされていたが、ラーマ4世モンクット王が宮殿を新築。ラーマ5世が様々な建物を建てる。その後廃れるが、現国王になってから改築修復された離宮。モンティアン テワラート。1880年チュラロンコン王によって建立されたクメール式プラサート、プラサートトーン王に捧げられた。プラティナン(宮殿)アイサワン ティパヤアート。1876年ラーマ5世チュラロンコン王によって建立、王宮にある父王モンクット王が建てたプラティナン アーポンピモック プラサートの複製。息子のラーマ6世ワチラウット王が陸軍元帥の制服を着けたチュラロンコン王の等身大のブロンズ像を収めた。
プラティナン ワロパット ピマン1876年チュラロンコン王よって建立、ネオクラッシック様式の1階建て、拝謁の間などがある。更に厳しいドレスコードが、つまり女性はスカート着用の事という規制が。

プラティナン ウェーハート チャムルーン(天明殿)。1889年に華僑たちの出資で建設、チュラロンコン王に献上された。中国式2階建て、資材も大工も彫刻飾りも全て中国からの輸入。1階のみ観覧可、最初の広間以外は撮影禁止。
…続く………





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