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街道を歩く

今まで歩いた街道、町並み、これから歩く街道、町並みを散文的に紹介

戦後強制抑留者特別措置法案(父を思って 一千回記念とする)

2010-01-01 08:34:49 | Weblog

今は亡き私の父も関東軍に徴兵されて僅か3ヶ月で敗戦を向えソ連軍の捕虜となった。そしてこの新聞記事にあるようにシベリアに抑留されたのである。そのとき20歳である。20歳の私はと言えば大学に進学して青春を謳歌していた時分である。父と私を比べるなど到底及ぶことではない。
 シベリアでの父は炭鉱労働を強いられた。記事にもあるように食事も満足に与えられることもないなかで、父は体力の弱っている同僚に自分の食事を分けていたということであった。所謂戦争を知らない世代の我々には絶対にわからないことなのだが、筆舌に尽くしがたいほどの苦労と悲しみを味わってきたのである。
 そんな父に国はただの紙切れ一枚の感謝状と一銀杯で父の失ってしまった青春に終止符を打ったのである。当時の首相は海部総理であった。
 政権交代があって、ばら撒き政策の一つである子供手当てを給付しようとしている。全国的にみても不評をかっているにも拘らず実行しようとする。人だ愛だ未来だと言っているが、今の日本があるのは我々の父親世代の犠牲が在って成立していることを忘れてしまっているのではないのか。礎を築いてくれたのは父達である。
 この記事を読むにつけ今の政府は(過去の政府もだろうが)それをないがしろにしているとしか思えてならない。父達だけではなかろう。母親だってそうだろう。80歳以上の人たちのことをどのように思っているのか。
 勉強もせず、真夜中には徘徊し、学校に行っては授業を破壊し、同級生をいじめ、はては死に追いやる、注意をすれば「殺すぞ」と言う言葉しか知らない、そんな百鬼夜行の一員と、その百鬼夜行することを知って知らぬか、知らぬ顔をしている馬鹿親に手当てをやるなぞ愚の骨頂である。いっそ給付は中止して80歳以上の方達にこそ手厚く手立てをするべきである。
 私はそのときの父の涙をいまだに忘れることは出来ない。国のあまりにも情けない対応を許すことは出来ないのである。
 まだまだ言葉足らずではあるのだが・・・。
コメント
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