二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

僕達の自由とは、好き勝手な事をすることではなくて、営業の自由、結婚の自由、教育の自由など、社会的なも

2008年04月18日 00時00分00秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さん今日はお元気ですか?
 今日も新しい一日が始まろうとしています、皆さんは今日という新しい一日をいかがお過ごしですか、皆さんにとって今日という新しい一日も良き日であるように祈ります。
 しかし何ですね、人間というのはどういう状態になれば、満足をするのでしょうね、満足もそうだけど、安心もそうですよね、どうなれば人間安心するのでしょうね、人間というのは、ある一定の気持ちのままでずっと生きて行くということはできないようです。
 でもまあ、今の日本では、悪い事をしなければ、一生「自由」という状態で過ごせます、税金を払う義務があるからです、正確に言うと、租税の為に、自由という状態で経済活動を行ってもらい、その家族や子供の為に働かなくてはならない状態であるけど、身体を拘束されることは無いという事です。
 いわゆる「自由な奴隷」です、「自由」という「束縛」で、国民主権という名の「支配」を行っているのが国家権力です。
 今を生きているのは新しい人間でなくてはならず、教育で、この国は素晴らしいと教わります、それは、ただただ、世の中の平和を祈るしかない、一般庶民の願いとなっています、人間は家庭を持てるだけでも幸せで、またそれを国家は推奨します、租税の為に。
 今は王様の為には戦争はありません、王様は悪いことをしないのです、そんな事をしたら、国民が怒るからです。
 本当の事を言うと困るから、言論の自由があるのです、言いたい事をいえば、後で困るのはその人だということは、少し考えれば分かる事です、世の中のタブーというのは昔も今もあまり変わりません、言いたい事を言わせて、後でどうなるのかは社会が決めますが、世の中、そんなに素晴らしい一言があるわけでもなく、そんな人たちばかりだったら、世の中はもっとよくなっています、要するに偉い人たちに思った事言っていいよと言われているだけで、偉い人と一般人という奴隷の立場が逆転するわけではないのです、法はそういう偉い人たちの権力の維持の為にあるとしたら、未だに、貴族や王族の支配下にあるのでは無いでしょうか、今の世は。
 そう考えると、見えてくるものがあります、今でもイギリスは王女様の国だし、フランスにも貴族がいます、僕達庶民は、せめてお金儲けに成功をして、そういう上流階級の生活スタイルを模倣するだけなのです。
 地位と名誉はそう簡単に手に入りません、それもまた支配の為のシステムだからです、余計なお世話のアメリカ押し付け憲法において、日本の貴族は廃止されましたが、今の世の日本の歴史上最も豊かになった時代においては、地位よりも自由なのでしょう、法的には廃止された貴族制ですが、返って、その凄みは増して、伝説となり、尾ひれがついて、庶民の人たちを魅了しそして、欲望を掻き立てます。
 新中間層、所謂ビジネスマンの事ですが、そのライフスタイルはブルジョアを模倣しようとしていますが、安物買いの銭失いをするばかりで、一向に財産は増えません、社会のクライスターが変化するのは子供の時代において、教育を受けて、金持ちと結婚するかしかないようです、まあ世の中そんなにうまく行かないし、お金持ちも馬鹿じゃないからそんな人とは結婚しません。
 それでは。

 世の中を認識すると見えてくる伝統という重い力が

 さにあらず今の日本を動かすは国民として名乗る庶民

 ゆとりとは花を愛でるる時間にて気持ちの中に流るる時で

 God bless you !