二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

越えて行く、高みに向けて僕達は、何も怖くはないだろうその時、二人は愛を見つけたのだ、共に生きて行くと

2008年04月10日 00時00分00秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さん今日はお元気ですか?
 今日も新しい一日が始まろうとしています、皆さんは今日という新しい一日をいかがお過ごしですか、皆さんにとって今日という新しい日も良き日であるように祈ります。
 もし人生には、とてつもない幸せがあるとしたら、それはどんなものだろうと思うのですが、谷川俊太郎さんによると、「どんなに喜びの海にも、悲しみの一滴の涙が、入っていないことは無い」、そうなので、悲喜こもごも、という言葉通り、喜びの中には必ず、悲しみもあるようです。
 窈さんは今、台湾にいるようです、それとも、写真を持ち帰って、日本で更新しているのでしょうか、昨日、ファンクラブに「トゥミ」のバックを贈っていいか聞いたら、「いいですよ」との返事、そうかと思って、何を贈ろうかなと今思案中です、物ばかりではなく、手紙も書かなくてはと思いますが、筆不精なので、悩んでいます、窈さんの喜ぶものって何かなと思うですが、「手」にこだわりがあるようなので、指輪か、またブレスレットか、指輪なんてサイズ分からないしね、でも指輪は小さいから、そんなに貴金属を使わないで済むので、結構いいものが、選べられるかな、それともペアリングとかね、いずれにせよ、いろいろ考えてみます、時間はまだあるので、窈さんの誕生日までには、贈るつもりですが、まあこういうことは考えるだけで楽しいものです、今日も栄の三越へと行ってこようかな、どんなのあるのかなと見ているだけで楽しめそうですし、指輪のサイズが分かればなと思うのですが、ファンクラブに電話したら教えてくれるかな、でもまあ、ああいうものは高い物は何処までも高いということは知っていますが、何を基準にするかですよね、例えばダイヤにこだわりたいとか、誕生石とか、はたまた、可愛い物とか、そう考えるとやっぱりけち臭いですが、お財布と相談になってきますね、残念ですが。
 なんだかこの恋を形にしたいのかなと自分でも思います、形にして残したい、そう思います、まず、想いがあり、そして気持があって、そして愛もあって、そこには美しいものが欲しいと思います、ただそのための輝くものが、形として残れば、今の思いは永遠になるような気がして、その小さいかもしれないけど美しいものは、大切に思えば、どこかにひっそりとしまい込まれて、静かに輝き続けるのでしょう、そう永遠に、記憶に残れば何か僕という人間の魂が、そこに永遠に生きて行けるような気がして、死さえもまた構わないと思えるような気がします、あなたの心に残りさえすれば。
 数々の恋の終わりには、輝きがありました、破壊もありました、バラたちも香りました、そして歌もありました、けれど、窈さんを愛する事は、終わりません、共に生きるパートナーとして、慈しみ、そして労わり、そして越えて行くのです。
 その気持を受け取ってください、この鞄に詰まった夢や愛たちと一緒に、輝きもあり、そして笑いもあります、その外に何がいるのでしょうか、人生において、あなたの笑顔以外に輝くものが無いとはいえ、その微笑の為に命を懸ける人もいるという事を知ってください、この贈り物で。
 この気持が届く頃には、あなたはまた美しくなっているでしょう、その美しき微笑みに、神のご加護を。
 それでは。

 美しく終わる恋ある存在の赦し難きは妥協の文字

 重ね行くベルファム達増してゆくその輝きに我を忘れて

 散るでなく枯れるでないと花は言う愛の永遠それは不滅と

 God bless you !