二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

昔だったら、痛すぎて、ここまで考えることが出来無かったと思う。

2006年11月16日 15時12分15秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さん今日はお元気ですか?
 今日の名古屋は曇っています。なにやらご機嫌斜めのお天気ですが、明日は晴れそうです。とうとう衆議院を通過しました、教育基本法の改正案が。画期的ですね。憲法問題も、常設の機関で協議される事になりそうで、ますます、憲法改正が、現実味を帯びてきました。中川幹事長の談話だと、来年の参議院選挙後に、具体的に動き出すそうで、とても期待しています。また、審議拒否という野党の行動は、国民の代表という崇高な使命を完全に無視し、自らのエゴで、与党との協議に応じないという、子供だましの行動は、けして、有権者の期待に沿うものではなく、反対するならば、きちんと意見を述べるべきだと思われます。今後、自民党を初め、保守勢力に求心力が増加していくと思われますが、いわゆる、品格のある国家という、新しい日本の理想像を、広く内外に知らしめるためにも、新しい国づくり、ネオジャパニズム運動を推進し、来るべき、新憲法下の、すばらしい国家、新生日本を、心から期待したいと思います。今、吉田ミカさんとどうやってコンタクトをとるかを考えあぐねているのですが、やっぱり、贈与の一撃とはいえ、直接会って渡したいものです。アクセサリーはどうしているかとか、気になるし、気持ち悪いから捨てたかどうか気になるし、まあ、実際問題として、会う意思がないのならば、このまま永遠にさよならになるし、ケチるつもりは無いけど、この前贈った、アクセサリーで、手持ちの物はもう無いし、まあ、今までで最後の心の中にある、最愛の人であるし、このままきっと終わってゆく恋だと分かっているのですが、どうやって気持ちに踏ん切りをつけようか迷っています。お酒を飲んでいた時期なら、ちょっといいお酒を買ってきて、一升瓶を開けて、酔っ払ったついでに、電話で、家族の人にでも話をして、終わりだと思うのですが。お酒をやめてしまってから、もう五年が経とうとしていて、気分転換の仕方がいまいち、思いつかないのですが、今の今まで、何で彼女が結婚していないような状態にいるのだろうと思うのですが、この世に愛があるのならば、きっと彼女と出会う為のものであろうと、今は少しセンチメンタルに思います。しかしながら、この思いは、きっと、気付くのさえ、はばかられた、とても心の繊細な部分の気持ちであり、こうしてこの思いに、正面から向き合うだけで、憂鬱というか、心細くなります。こんな気持ちのままで、生きて行けないとは思いますが、人間の心とはうまく出来ていて、真実を認めなくては、忘れてしまうものなのかもしれません。今の今まで、彼女の自宅の電話番号と、彼女の誕生日を覚えているだけでも、無意識のうちに、彼女に期待を寄せていて、ただならぬ思いを、心の中で暖めてきたのかもしれません。この思いに対し、正面から向き合う機会はたぶん今であると思うのですが、このまま墓場まで持っていくような、そんな悲壮な感情はありません。人間は、簡単には正気を失わないと思いますが、今日の中島梓さんのホームページではありませんが、理性とは、かようにも力強い物なのかと思うしだいであります。今、モーツァルトの交響曲を聞きながら書いていますが、今の心の微妙な襞を表現できていたならと思うしだいです。
 それでは失礼致します。

 それならば心が痛いそれならばどうして好み君の事呼ぶ

 愛なんて今更ながらこんなにも先延ばしつつ終わりに出来ず

 セックスも愛の形と思いける花の形に色々あれど

 God bless you!