二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

新しい日本の夜明けを希望しつつ。

2006年11月12日 15時46分32秒 | 日記・エッセイ・コラム
 皆さん今日はお元気ですか?
 今日の名古屋は、晴れています。お日さまも、心なしか、日曜日をしています。こんな日は、どこかへと出かけたくなりますが、一日中、ラジオを聴いています。ZIP-FMです。名古屋のローカル番組です。それはそうと、吉田ミカさんは今何をしているのでしょうか。きっと仕事中だと思います。仕事をしながらこれを見ていてくれたら幸せです。今ちょっと、センチメンタルな気分に浸っています。僕は死ぬまでにどんな仕事を残せるのだろうということを考えます。正直言って、人間が人間であるということは、脳みその働きが重要であると思われますが、健康であればのことかもしれませんが、人間が、その脳みそに、記憶として残らなくては、人は思考しないと思われますが、考えてみれば、お金儲けというのは、その行為の主体は、大人の人間が行う行為であり、社会というのは人間が担っているということは、ある一定の行為に対して、私たち大人は、お金を使うと思うのですが、必ずしも合理的な判断によって、その商行為に対しての、対価が支払われるわけではないと思われますが、生きていく為には、どうしても必要なものが、存在することになります。GDPを年間に換算して、4%上昇させるという、自民党の中川幹事長の主張に、同感したいのですが、そんな事は可能なのでしょうか。日本の繁栄は、人材の活用に担われていると思われますが、昨今の雇用情勢は、非正規社員の増加に伴い、マニュアル労働者の増加が、顕著です。マニュアルがあるということは、そのマニュアルを作った人がいて、もっと凄いのは、そのマニュアルを作らせた人がいるということではないでしょうか。そしてその商行為そのものを司るのは、いったい誰であろうかということを考えた場合、国民主権というのは、政治的な権利ですが、商行為の担い手はいったい誰でしょうか。そういうことを考えると、個人消費の低迷が声高に語られる現在ですが、一番の消費の担い手は、私達一消費者であり、企業間の商行為は、今大企業を中心に、活発になりつつあるようです。バブル後の経済に影を来たした、不良債権の問題は、いつの間にか、マスコミによってアジテートされることは終わったようです。戦後最長の景気の回復は、いったい何を今の日本にもたらしているのでしょうか。変わりつつある時代の中で、労働者のオーバーフローは、新たなる時代の担い手になる、過酷かもしれない運命の中に、巨大な力で、巻き込まれていきます。高度な教育を受けた人材の、労働市場における、需要と供給の、ミスマッチが叫ばれる現在、嫌がおうにも私達の生活は、労働無くしては、生活がおぼつかない現実を鑑みた場合、自民党の指針を信じ、経済の拡大を政治的に誘導して、国民全体の生活水準を向上すべく、いわゆる、自民党の中川幹事長の主張である、「上げ潮」の経済成長を、標榜したいものである。日本人は馬鹿ではないが、あまりにも、私達は、希望を失っているのではないか。賢いだけに、余計に将来に対する、無邪気な希望を失っている。今も昔も、地道に働く人が得をする世の中にしなくてはならない。今ここに、新しい時代の日本が、発展し、そして、豊かな国民生活を誰もが享受できる世の中にしなくてはならないことを表記し、今日の日はお別れします。
 それでは。

 豊かなる世に生まれたる子供らよ我も貧しき心の人よ

 法などを学びていても正義など一度も我は挑まずにいて

 明日咲く花ならいっそおもいきり咲かずにいたい女心よ

 God bless you!

 

コメント
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