二村嘉一のネオジャパニズム

 世界の中で生きて行く、私達の創る新しい日本の形とは

なんだかこういうのって、地下鉄の掲示板みたいだね。

2006年11月02日 21時11分29秒 | 日記・エッセイ・コラム
 ミカちゃんへ
 なんだか大人の純情って、困るよね、セックスしようと思ったら、いくらでも出来るけど、なんだかそういうのって、虚しいし、大人って何で結婚するんだろうね、子供できるかわからないし、男の子か、女の子か、わかんないし、でも結婚したほうが、楽しいような気がします。こんな気持ちになるのは、久しぶりだけど、悪くないなとは思います。今度電話をしようと思っていますが、きっと何も話すことがないと思います。高校生の頃のように、何も確かなことはありません。ただあるのは、君と話がしたい。声が聞きたいという思いです。いろいろ、社会的なことが、結婚とすれば生じてきます。僕は友達がいないし、親戚もあまりいい人ばかりではありません。現行の法律制度では、大人は、紙切れかもしれないただの書類に、本人同士のサインと、二人の合意のサインがあれば、結婚できます。家同士の結婚は今でもありますが、よくよく考えてみれば、今は、個人で決める問題であると思われます。以前、中京大学の法学部の教授の榊原先生に、中野考次さんの「幸福の原理」という本を薦められました。中野さんは、もう亡くなってしまいましたが、この本を読むと、結婚とは、家同士の問題ではなく、個人の問題であると思われます。中野さんとは、境遇も違えば、生き方も違いますが、この中野さんは、何やら、褒章をいただいた人であると記憶しています。親の生き方に対し、子供が影響を受けるのは仕方の無いことですが、新しい生き方というよりも、当然あるべき姿ではないでしょうか。それが、結婚であり、結婚後は、お互いに貞操の義務が生じますが、僕も離婚という行為はなんとしても避けたいと思っています、ましてや子供が出来た後の離婚は、正気の沙汰ではいられないでしょう。お互いの幸せのため、子供達の幸せのため、そのために結婚するのではないでしょうか。親の為の結婚など間違っています。ささやかながら、小さな幸せを重ねていって、死ぬまでに、たくさんの笑いと、幸福を感じることが出来れば、なんと幸せなことでしょう。あなたの持つ力と、僕の持つ力は、大きいかもしれませんが、そんなものは、これからの人生には、何の役にも立ちません。誰もが、初めての人生を生きています。初めての人生の中で、もがき苦しみながら、何とか、答えを出そうと、必死になりながら、誰もが、新しい一日を迎えます。一日一日を大事にしたいです。清子さまの、「一日を重ねて」という本のように、少しずつでいいから、あなたと一緒に、小さな幸せを、少しずつかさねていきたいのです。そのことが、やがて、僕達のみならず、日本のそして、世界の人々に対し、いい影響を与えるのではないでしょうか。この国は変わろうとしています。アメリカはその巨大国家の片鱗を、イラクにそして、北朝鮮に対し、表そうとしています。いまだ日本は、海外の文化に対し、不慣れな部分があります。僕にはあなたの力が必要です。何が力であるかは、はっきりしています。それはあなたの愛です。まだ、始まっていもいない、恋ですが、すでに再び出会う前に、あなたを愛しています。あなたは自由です。ほかに好きな人がいてもぜんぜんおかしくありません。その気持ちは尊重します。しかし、僕は結論をあまりにも早く出そうとしているのかもしれませんが、僕も確かなものが欲しいのです。それがあなたの愛であれば、こんなに幸せで、嬉しいものはありません。ここに、ミカちゃんの幸せを祈りつつ終わりにしようと思いますが、僕は妹がぐれている時にも、彼女の自主性を尊重しました。そんな事はするなとは言えませんでした、彼女には彼女の人生があるからです。束縛するのは僕のポリシーに反します。ミカちゃんには、ミカちゃんの人生があります。僕に、ミカちゃんの人生を決める権限はありません。ただ、一緒に生きていくのならば、お互いに尊重し、ルールを守らなくてはなりません。ミカちゃんが幸せなら、僕も幸せなのです。共に生きていくことが幸せなら、共に死ぬことも幸せだろうという、谷川俊太郎さんの詩にもあるように、一日一日を大切にしましょう。これが本当に今日の最後になりますが、僕はミカちゃんを愛しています。それだけは忘れないでください。
 それでは。

 P.S今日は下手な歌は書きません。深い眠りの中で、ミカちゃんと会えたらと思います。それでは。

 

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