隣り町の大泉の閑静な住宅街に,「清澄天文台」を見つけたのは,2001年8月のことでした。まだこのあたりには空き地もいくつか残っていて,建物はその中で威風堂々という感じで建っていました。それでも最初は,遠くからでは,何の建物かよく分かりませんでした。
近づいてそれが個人の天文台であることが分かりました。
それから約2年後,明け方の散歩では,天空の月がこの清澄天文台とよく似合っていました。この天文台の観察する部屋は,人がしゃがまないと入れない大きさです。また階段も傾斜があり,登るのはいいとしても,降りるのは怖そうです。
そのまた2年後の天文台のアップ画像です。望遠鏡の直径の数値が隠れてしまっていますが,自慢のもののようです。
ここまでは空き地もあり閑静な住宅街でしたが,去年の2006年には隣りにも家が建ち,観察するのは難しくなったかな,と気になりました。
またその後側の建物が壊され,郵政関係の更に大きな建物の建設が始まりました。風力計も悲しげに見えてきます。
そして,出会いから6年が経ち,ついに清澄天文台の看板が外され,風力計もなくなる日がやってきました。
長い間,この清澄天文台の前を歩くのが楽しみでした。もう引退状態ですが,建物はまだそのままになっています。階段の塗装の痛みが気になりますが,「このままでもいいから,がんばれ!」とこの建物とその主に言いたいな。
(追記 2007.09.24)
追加の画像です。この家の表札です。この天文台の主はどちらでしょうか? なぜ,名字が違うのだろう?
(続・追記 2007.09.24-2)
ぷぴりんさん,情報をありがとうございます。それをきっかけに,更に検索してみると,1970年代の UFO 関連の催しに「保積善太郎」(←クリック!)の名前がありましたよ。