鯨汁を食べた。先人の知恵に感動する。
昨年末に、江戸時代に庶民が煤払いの後に、疲れを回復させるために鯨汁を食べたらしい、と知り興味津々であったが、自身の小学生くらいまでは鯨は珍しいものでは無く日常的に食べたものであるが、現代においては欧米からの圧力に屈して鯨が一般的では無くなってしまっているので、なかなかに鯨汁を食べるまでに至らなかった。
一昨日に、百貨店の食品売場で鯨肉、皮が売られているのを少し前から見つけていたので、購入して「鯨汁」を作った。鯨汁は、ネット検索すればいくつものレシピが見つかるが、鯨を食べその効果のほどを実感することが目的であったので、自己流で、豚汁の鯨版ともいうべき鯨汁を作った。
自身の子供のころの記憶では、学校給食の鯨の竜田揚げの美味しさは別格として、不味くは無いが少し癖のある、良く言えば野趣溢れる味で、好んで食べようとも思わないものであったのだが、一昨日の鯨汁は非常に美味しいものであった。特に本皮と呼ばれる皮に厚い脂肪のついたものの味は、滋味あふれるとはこういうことかと思える美味であった。
そして翌朝、何か全身が潤うような感覚があり、「?」と思っていたら、冬の寒さが辛さで無い、寒いのは寒いが震え上がるという感覚が無い、東洋医学的に言えば、寒邪が表で止まって裏へと入って来ない、との感覚があり、それが一日中続いた。
これは正に鯨の効果、酷寒の南氷洋に耐える力を持つ鯨の栄養成分のゆえと思える。先人は、様々なものを食べる何百年もの歳月の経験の積み重ねの結果として、年末の煤払いの後には鯨汁、となったのであろうと、歴史的に受け継がれ続けているものごとの偉大性、先人の知恵に感動させられる。
歴史の重みに耐えて、文化遺産として残っているものは、簡単に迷信として捨ててしまうのでは無く、実践を通してその中身を検討して受け継ぐべきである。これは、深谷伊三郎、本間祥白……要するに、日本の先人が鍼灸の学びにおいて成そうと志したことである。と思える。
昨年末に、江戸時代に庶民が煤払いの後に、疲れを回復させるために鯨汁を食べたらしい、と知り興味津々であったが、自身の小学生くらいまでは鯨は珍しいものでは無く日常的に食べたものであるが、現代においては欧米からの圧力に屈して鯨が一般的では無くなってしまっているので、なかなかに鯨汁を食べるまでに至らなかった。
一昨日に、百貨店の食品売場で鯨肉、皮が売られているのを少し前から見つけていたので、購入して「鯨汁」を作った。鯨汁は、ネット検索すればいくつものレシピが見つかるが、鯨を食べその効果のほどを実感することが目的であったので、自己流で、豚汁の鯨版ともいうべき鯨汁を作った。
自身の子供のころの記憶では、学校給食の鯨の竜田揚げの美味しさは別格として、不味くは無いが少し癖のある、良く言えば野趣溢れる味で、好んで食べようとも思わないものであったのだが、一昨日の鯨汁は非常に美味しいものであった。特に本皮と呼ばれる皮に厚い脂肪のついたものの味は、滋味あふれるとはこういうことかと思える美味であった。
そして翌朝、何か全身が潤うような感覚があり、「?」と思っていたら、冬の寒さが辛さで無い、寒いのは寒いが震え上がるという感覚が無い、東洋医学的に言えば、寒邪が表で止まって裏へと入って来ない、との感覚があり、それが一日中続いた。
これは正に鯨の効果、酷寒の南氷洋に耐える力を持つ鯨の栄養成分のゆえと思える。先人は、様々なものを食べる何百年もの歳月の経験の積み重ねの結果として、年末の煤払いの後には鯨汁、となったのであろうと、歴史的に受け継がれ続けているものごとの偉大性、先人の知恵に感動させられる。
歴史の重みに耐えて、文化遺産として残っているものは、簡単に迷信として捨ててしまうのでは無く、実践を通してその中身を検討して受け継ぐべきである。これは、深谷伊三郎、本間祥白……要するに、日本の先人が鍼灸の学びにおいて成そうと志したことである。と思える。