鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

指圧の二重性〜感覚と運動あるいは像的と知識的〜

2019-09-01 05:42:56 | 覚え書(2)
指圧の二重性について。

マッサージや指圧あるいは整体は、(鍼灸等の道具を使うものと違って)自身の手を使って直接に患者の身体に施術するものである。そして、手というものは、運動器官であると直接に感覚器官でもある。

それゆえに、見た目にはただ患者の身体を押している、あるいは揉んでいるであっても、実際にはそこには二重性がある。押すという運動と患者の身体の状態を感覚するということの二重性がある。

本来ならば、その人間の解剖生理を踏まえて、手技もまたしっかりと二重性を持たせるべきである、持たせるように修業していくべきである。

にもかかわらず、初心者はその二重性を単なる一重性として行ってしまう、のみならず、うっかりすると一重性のままに、である。

これは例えば、施術する側は得意げに力一杯であるのに対して患者は痛みに悲鳴をあげている図をイメージしていただければ......。(もちろんその逆もあるが......)

要するに、患者の身体の状態を感覚すると直接に施術する=押すという運動を本来なら行うべきであるのに、感覚抜きで(これはものの例えである、本当は感覚抜きの運動はありえないのだから)押す、揉む等を行う=施術するということが、初心者においては、である。

これは認識論的にいえば、対象=患者の身体の状態を感覚しての像を描いての施術=押すでなければならないものを、自身の思いや知識からの施術となってしまっている、ということである。像的な施術と知識的な施術、であろうか。

そのように、手技の構造を捉え返してみると、これは素手の手技のみならず、鍼灸等の道具を使っての手技においても同じことが言えるのではないのか、と思える。

話は変わるが、絵を描く場合においても、本来ならば、手技というものが感覚と運動の二重性を持つ以上、二重性を持たせるべく修業していくことが......。










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1 コメント

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指圧の二重性〜感覚と運動あるいは像的と知識的〜 (自由びと)
2019-09-01 11:31:09

運動即感覚、

先生が児童を「叱る」・運動にも言えますね。
相手の上達の為に叱る時…

子供の学年・性格・機嫌…等を
感覚・考慮する事の重要性を再認識しました。

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