鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

耳鍼先行研究批判〜統計学的な観点から先行研究を検討する〜

2017-04-04 22:38:47 | 卒業研究(耳鍼,統計学)
ここまでの卒業研究を振り返ってみると(ここまでの、とは実験結果の検討を終えた時点でのことである)何かがおかしいと思える。その何かを分かるために、我々の卒業研究の原点ともいうべき二つの耳鍼の先行研究を再検討してみた。

まず一つ目の先行研究について、この研究においての「今回の実験で体重が増加したうち7人中5人は標準体重に戻そうとする身体の機能が働いたと考えられる」との文言から、我々は、「耳鍼には、標準体重より重い者は減量し、軽い者は増量するという効果があるということなのか?だとすれば、これは東洋医学的という観点からは大変興味深いことだ!」との思いとなり、そのことの検証ということに飛びついてしまったのではあるが、この研究を改めて検討してみると、いくつかの問題点があると思える。

まず何よりも問題であるのは、事実の提示が不充分、というよりも肝心な事実の提示が何も無いということである。具体的には、そもそもの実験群の身長、体重が何も提示されてい無い。加えて、体重の変動の数値も何も無い。のであるから、被験者の〇〇%で体重が減った、〇〇%で体重が増えたと書かれてあっても、それが本当に有意な変化であったかが分かりようも無い。要するに、研究の成否を検討、追試出来ない形式での研究である。

それに加えて、実験群に対しての対照群の設定が為されて無いので、そのあった筈の体重の変動も、それが耳鍼によるものなのか、それ以外の要因によるものなのか(例えば、自然的社会的要因によるものなのか)が明らかで無い。この研究は、そのような研究なのであるから、その考察や結論からの学びを仮説として実験をすることに、随分と無理があったのではと思う。

次は、もう一つの研究である。この研究は、一見すると形の上では、統計学的な研究を行なっているように見えるのであるが、内容を丁寧に検討して行くと、随分とおかしな記述がある。順に見ていきたい。

まず、実験群の体重をBMIの平均値で提示してあるのだが、平均値のみで標準偏差の提示が無い。(また、実験群のBMIの範囲を(19.2〜35.7)としているが、これだけ実験群のBMIの範囲が広いのであれば、標準偏差は、それなりに大きな値となる筈である。ここは、後で問題となる記述である。)

また、一応の対照群の必要性は考えにはあったようではあるが、その設定のしかたが実験群と別に対照群を設定するのでは無しに、耳鍼をせずに体重測定のみした実験群のデータを対照群とするという方法をとっているが、これでは自然的・社会的要因の排除が出来ない。と思う。

次に検討すべきは、体重の有意差の問題である。そもそもこの研究では、個としての被験者の体重の変動について、「有意差」という言葉を使っているが、有意差とは統計学の用語で、(サンプル群から推定した)母集団のレベルで差があることをいうのであるから、言葉の誤用である。と思う。

また、図として示された体重変動のグラフからすると63kg→60.5kgの体重変動が見られるが、このわずか2.5kgの体重変動を有意な?体重の減量と言えるためには、推定される母集団の平均値の標準偏差が相当に小さくなければならない筈であるが、ざっと計算してみてもBMIで±0.6以下の標準偏差であることが必要とされる筈であるが、最初に提示された実験群のBMIの範囲(19.2〜35.7)という大きなバラツキのあるであろう実験群ということからは、矛盾する、あり得ないと思う。(が、それ以上に、そもそも標準偏差を提示していないのであるから……)

また、「考察」において、「グラフ化体重日記」の影響について、「有意差は無かったが……体重は次第に下降していき」という記述があるが、統計学的にはむちゃくちゃな表現である、ここから、この研究が統計学らしき形式をとっているものの、少しも統計学的な考えかたをしていないということが見て取れる。統計学らしき衣は纏っているが、その内実は、最初の研究と同じレベルの……でしかないと思う。

要するに、両研究ともに、対象的事実の構造に分け入ってのものでは無しに、恣意的な事実の一面だけからの解釈でしかない、それ以上に、まず結論ありきの、でしか無いと思う。

それだけに、それらアプリオリに出された考察、結論に学んだ仮説が実験によって証明されるということは、あり得ないことでは無いにしても、相当に困難なことである、それだけでは無しに、それらアプリオリな結論から学んだ仮説を証明するために、事実を解釈していくという作業に果たして意味があるのだろうかと、疑問に思う。

以上、長々と先行研究批判をして来たが、ここで大きな疑問が存在する筈である。それは何かといえば、そんなに杜撰な先行研究の結論に、何故に学んでの仮説であり、実験であったのか?ということである。

答えは、端的には、実際の生の対象による実践的な統計学の学び抜きには、そのことを通して、生き生きとした統計学的な研究のイメージを創り上げること無しには、先行研究がダメ研究であるとは、分かり得なかった。というのが正直なところである。

そういう意味で、今回の卒業研究を通して統計学の実践的な学びには、不充分ながら、それなりの成果があったのだと思う。

……先行研究の名称については、明記し無かった。理由は……御賢察いただきたい。

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