「丸屋履物店」から雪駄が届き、慣らし履きを始めている。履き続ければ履けるようになっていくのだ、と雪駄にも弁証法性(量質転化、相互浸透)あること実感するとともに、それだけに何事も「案ずるより産むが易し」は真理なのだ、と思えた。
日常履き(鍛錬用ではない)の雪駄が傷んできたので「丸屋履物店」(現在では雪駄の修理をしてくれる数少ないお店)に修理、見積もりをお願いした。
あちこち傷んでいたのを本格的に修理してもらうと一万円ほどかかるということであったので、かつ現在の鼻緒を生かして新しい台にしてもらっても一万五千円ということであったので、時代も平成から令和になったことでもあるし、新しい台でお願いした。
新しい雪駄が届き、やっぱり「丸屋履物店」の雪駄は良いなあ!と思えたのではあるが、前回の蝉表の雪駄と同じく、鼻緒が本当に窮屈で、ようやくどうにかこうにか足が入るくらいの余裕しか無いものであった。(これには、「丸屋履物店」さんの雪駄の履きかたへのこだわりがあるのだが、前回は、そのこだわりについていけなかった、残念なことに)
前回は、これではとても歩けたものではない!から、と、鼻緒の調整を依頼したのであるが、その雪駄の鼻緒、今では少し緩いと感じていて、やっぱり「丸屋履物店」さんの言う通りにしておけば良かったのか!?とも思えているので(「丸屋履物店」さん申し訳ない!)今回はそのまま少しづつ履き続けていた。
その新しい雪駄、今朝は気分転換、との思いもあって、鼻緒ずれ覚悟で履いて職場へ向かっている。歩き始めは、足指が痛くて、これは間違いなく鼻緒ずれ!と思えたのであるが、30分も歩くと少しづつ足に馴染んで来て、このまま鼻緒ずれにもならずに無事帰宅出来そうである。
何事も弁証法性があるのだなあ、案ずるより産むが易しなのだ!と、思えている。とともに、本当のプロの言は、まともに受け止めて、自身を相手に合わせて変えていくべし、との思いへともなっている。
新しい「丸屋履物店」の雪駄、手縫いゆえの履き心地の良さとコスパの高さでおすすめである。
お店に直接お伺いできれば、鼻緒をぴったりに調整いただけ慣らし履きなど不要と思うのだが、遠距離ゆえに......もちろん、雪駄を送れば、きちんと調整いただけるのであるが......。
日常履き(鍛錬用ではない)の雪駄が傷んできたので「丸屋履物店」(現在では雪駄の修理をしてくれる数少ないお店)に修理、見積もりをお願いした。
あちこち傷んでいたのを本格的に修理してもらうと一万円ほどかかるということであったので、かつ現在の鼻緒を生かして新しい台にしてもらっても一万五千円ということであったので、時代も平成から令和になったことでもあるし、新しい台でお願いした。
新しい雪駄が届き、やっぱり「丸屋履物店」の雪駄は良いなあ!と思えたのではあるが、前回の蝉表の雪駄と同じく、鼻緒が本当に窮屈で、ようやくどうにかこうにか足が入るくらいの余裕しか無いものであった。(これには、「丸屋履物店」さんの雪駄の履きかたへのこだわりがあるのだが、前回は、そのこだわりについていけなかった、残念なことに)
前回は、これではとても歩けたものではない!から、と、鼻緒の調整を依頼したのであるが、その雪駄の鼻緒、今では少し緩いと感じていて、やっぱり「丸屋履物店」さんの言う通りにしておけば良かったのか!?とも思えているので(「丸屋履物店」さん申し訳ない!)今回はそのまま少しづつ履き続けていた。
その新しい雪駄、今朝は気分転換、との思いもあって、鼻緒ずれ覚悟で履いて職場へ向かっている。歩き始めは、足指が痛くて、これは間違いなく鼻緒ずれ!と思えたのであるが、30分も歩くと少しづつ足に馴染んで来て、このまま鼻緒ずれにもならずに無事帰宅出来そうである。
何事も弁証法性があるのだなあ、案ずるより産むが易しなのだ!と、思えている。とともに、本当のプロの言は、まともに受け止めて、自身を相手に合わせて変えていくべし、との思いへともなっている。
新しい「丸屋履物店」の雪駄、手縫いゆえの履き心地の良さとコスパの高さでおすすめである。
お店に直接お伺いできれば、鼻緒をぴったりに調整いただけ慣らし履きなど不要と思うのだが、遠距離ゆえに......もちろん、雪駄を送れば、きちんと調整いただけるのであるが......。