東洋医学の理論~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

過去問題集に学ぶ〜その意味を統計学から考える〜

2017-10-16 22:54:47 | 鍼灸学校での学び・国試勉強・受験勉強
今週末の日曜日に鍼灸学校で第3回合同模試が行われる。その為に『2018国家試験過去問題集』(医道の日本社)による学びを行う予定である、のでそのことの意味を改めて考えてみる。

国家試験や模試、学内試験等々の受験の為に過去問題集の学びを、ということはどの分野の受験であっても常識であり、その有効性は自明のことであるとされている。

しかしながら、経験的にはそうであっても、少し考えてみると、過去問題集というのは過去5年とか10年の問題をすべて集めたものであり、ものでしか無く、それと同じ問題や類する問題が出るということの保証はどこにも無いものである。と思える。

それゆえに、過去問題集というものの有効性は自身の経験によっても実感されているにもかかわらず、本当にそれに頼ってしまって良いのだろうか?との疑問、違和感が常にあるので、これまでは、例えば10年程前の柔整国試受験では教科書(と自身が基本書としたもの)中心の学びをそれなりに十分に行った上での、試験直前1〜2か月の最後の仕上げとしての意味合いでの過去問題集の使用しかしなかった。(これは自身の実力を培うという観点からは今でも正当なありかたであると思うが、ここでの観点は国試や模試、学内試験に過去問題集の学びが本当に有効性を持つといって良いのか、という問題なので……)

さて、そのように自身では、国試過去問題集についてそのような半ば懐疑的の思いを持っていたので、今回の鍼灸学校入学以来、やはり教科書(と自身の基本書)の学びが第一であり、過去問題集に手をつけるのは年明けくらいであろうと思っていたのであるが、ある学びをきっかけとして、国試や模試、学内試験(国試を意識しての)に対しては過去問題集の学びが有効性を持つ筈である、という確信を持つこととなり、今週末の第3回合同模試に向けても、『2018国家試験過去問題集』を使った試験勉強を行なっている。

では、過去問題集の有効性を確信させた学びとは何か?といえば、それは卒業研究の(自身にとっての)裏の主題であった「統計学」の、『統計学という名の魔法の杖』(本田克哉他著 現代社)の学びである。

詳細は改めてとして簡単に述べるならば、国試問題というものは毎年毎年、教科書の全範囲からアトランダムに選ばれた160問が主題されるのではなく、その時々の国試問題作成委員?アタマの中に鍼灸の国家試験としてこれを問いたいというという像があっての、その像の具体化としての160問である、筈である。(ここは何人かの出題委員がいるので、もう少し話は複雑になるのだが、簡単には……)

そしてその問題は当然に、その出題委員のアタマの中の像に従った偏りを持つものである、筈である。それとともに、その年度年度の出題委員の国試に相応しい出題という像は、当然に前年までの出題に、ある程度規定されてのものである筈であり、それゆえに、鍼灸国試の出題傾向という偏りが存在するのだと……。

つまり、その時々の国試問題は、出題委員のアタマの中の国試問題という像の偏りであるとともに過去の国家試験を通して形成された国家試験一般としての偏りを持った観念的実体と近似した偏りを持ってのものである、と思える。(こう考えると、統計学の無限母集団と標本集団との関係と同様の関係がそこにはあると……)

それゆえに、国試勉強には国試過去問題集の学びが(本当は、過去問題集を標本集団として無限母集団へとよじ登って見てはじめてなのだとも思うが……)有効性を持つと確信出来たのである。

それとともに、国試が教科書全範囲の中での偏りであるのに比して、模試や学内試験(国試を意識しての)の場合は、国試の偏りの範囲内での更なる国試的な偏りによる出題であるのだから、模試や学内試験(国試を意識しての)の勉強?のためには、過去問題集への学びは一層の有効性を持つものと思える。(これは、統計学で言えばラプラスの中心極限定理をイメージさせる)





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