鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

『科学物語』について〜その書評に、内実の高みを知る〜

2017-12-29 20:06:01 | 日記
 『科学物語』(アンリ・ファーブル著 前田晃訳 木鶏社)の書評を読んだ。それを書かれている、山本 始というかたの論理的実力の高みに自身の知らないところにこのような凄い実力を持つ方がおられたのだと心底驚かされるとともに、そこに説かれてある『科学物語』の内実、それを書くことのできたファーブルの実力の高みの凄さを知ることとなった。

  「この本は幼い私に、科学とは何か、研究とはいかなる行為か、人間はどう生きるべきか、自然とはどういうものでどのような構造をもっているかを、正面から熱心に、しかもわかりやすく、そして何よりも興味しんしんたる面白さをもって物語ってくれた。
 又この本は科学の第一歩は自分自身の肉眼によって自然を観察し、その仕組みの素晴らしさに驚き目覚めることから始まることを教えてくれるとともに、科学的な知見と洞察力に裏付けられた<科学の眼>で観察することの素晴らしさを教えてくれた。またそのように素晴らしい<科学の眼>を持つためには、予想・討論・検証・解析・予想・討論……というサイクルをつぎつぎに辿りながら認識力を高めていくことが大切であることを実地にそくして教えてくれた。」
(以上、『科学物語』の帯に抜粋された山本 始というかたの書評の一部。書評は折込?の『木鶏 第13号』に全文が掲載されている。)

 自身では『科学物語』というのが凄い本である、との思いはあったものの、それゆえに、来春以降に書く予定の本ブログの総括・概括の形式として『科学物語』のごとくに、との思いがあったのであるが、「本書(『科学物語』……ブログ筆者)は、<科学>と<文学>という一見すると相反する二つの要素を、絶妙のバランスで一本に融合した、科学啓蒙文学の稀有の名作の一つではないかと考えている。(『科学物語』とは言い得て妙ではないか。)」(と山本 始氏の説かれる)物凄い内実の高みを持つものであることが少しも分かっていなかった。(自身の不明に恥じ入るばかりである。)


 『科学物語』に出会うことが出来、それとともに山本 始というかたを知ったことは、自身にとっての本年の大きな収穫であった、ポール叔父さん流にいえば神様の自身へのun cadeau de Noëlであろうか。『科学物語』(アンリ・ファーブル著 前田晃訳 木鶏社)とともに山本 始氏の書評の一読をおすすめする。
 

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