鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

東洋医学の歴史に学ぶ、東洋医学の未来〜人類の精神の時代性を踏まえることの大事性〜

2015-12-29 23:44:44 | 鍼灸理論・東洋医学
 東洋医学における頭脳の問題について考えている。時代性という観点の大事性痛感する。

 「新・頭脳の科学」(瀬江千史 菅野幸子著 現代社)に学ぶことで、人間にとっての、それゆえ医学にとっての頭脳と認識の問題の大事性痛感され、東洋医学においても、そのことの大事性は同じこと。と思え、東洋医学ではそのことを如何に捉えてきたのか?また、現代においては如何に捉えるべきなのか?を求めて、先輩や先生に問うことを行った。

 お答えいただいたことを自分なりに捉えかえすと、「古代中国においても、頭脳の問題は無視されていたわけでは無かったし、現代においてもそうなのであるが、東洋医学の世界において、そのことが主となることは無かった。しかしながら、現代における脳科学の発展等からしても、そのことを無視し得無いのは明らかである。が、東洋医学としてそのことを如何に扱うかは、未だ定まってはいない。」ということであった。

 これを自分流に別言すれば、「古代中国という時代ににあっては、その時代性ゆえに、人間にとっての頭脳の大事性、その役割など分かりようも無かった。だから、五臓(肝、心、脾、肺、腎)に五神(魂、神、意、魄、志)という形で頭脳の働きを割り振ったり、五臓を傷めるものとしての五志(怒、喜、思、憂、恐)・七情(怒、喜、思、憂、恐、悲、驚)を考えるくらいしか仕方が無かった。しかしながら、現代の頭脳の問題の究明の深まりということを考えるならば、頭脳の問題を無視しては、東洋医学というものの存在すらが危うい。にもかかわらず、東洋医学の歴史は、頭脳の問題を如何に究明していけば良いかについて何の示唆も与えてくれるものではない。」ということである。(と考え、問題の大きさと解決の指針が見出せないことに茫然自失であった。)

 しかしながら、以上の捉え方は、人類の精神の時代性というものを分かっていないというか、あまりに軽く見てしまっている。と思えるようになってきた。

 どういうことかといえば、大きくは二つある。一つは、現代の西洋文化の流れ(ギリシャ・ゲルマンという流れ)にある医学や生理学が、頭脳の問題をしっかりと解明し得ている。というのは、瀬江先生をはじめとする南郷学派の医学や生理学がそうである。というのであって、現代という時代の一般性としては、未だに頭脳の問題の解明は実存し得ていない。ということ、これは、瀬江先生が現代医学・生理学を認識論無視のヒトレベルの医学・生理学と批判されている如くにである。

 もう一つは、古代中国において頭脳の問題を、人間の正常と正常から異常・病へとその病を治療することを見つめることの積み重ねを通して、五神や五志・七情(を病の内因として)を五臓と関連付けて考えることができたということは、その時代性ということを考えるならば凄いことである。(それどころか現代の一般的な西洋医学や生理学と比べても、人間の生理や病理を認識との絡みで捉えられているということは東洋医学の優れた点である。)ということ。

 そう考えられるようになると、自身の東洋医学に対する捉え方が、時代性故の誤謬を過大に捉え、東洋医学の優れたところを見れていない。歪な捉え方と思えるようになってきた。であれば、東洋医学の優れた点、文化遺産の再措定を時代性故の誤謬の克服とともにが、まずはなすべきこととの思いとなった。

 そして、新たな東洋医学の体系の構築も、東洋医学の歴史に学ぶならば陰陽五行論(=弁証法)にその鍵があるのだと思える。

 

 

 

 
 

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。