ケアマネジャーより、「大変さは重々承知しているので......」とのメールをもらった。仮に立場は分かっても気持ちは分かってもらえないだろうな、との思いとなった。
老健から父が帰宅して、食べること以外は全てにわたって介助が必要な状態に、かつそこを介護サービスで補おうとすると、介護保険だけでは賄いきれず自費部分が大きくなって、月に二十万円以上ということにもなってしまい、これはとても手に負えない、なんとかしなければとの思いになっていって、二つの方向性を探った。
一つは、自分で出来ることは、例えばリハビリ等は自分で、であり、もう一つは、現在の制度で、ケアマネジャーのやること以外に何か方法はないかということであった。
ところが、現在の制度に関わる範囲では、ケアマネジャーが介護の統括をするということになっているようであり、あれこれ問い合わせたり、助けを求めたりする度に、担当ケアマネジャーの方に連絡が入り......冒頭の、「大変さは重々承知しているので......」とのケアマネジャーの慰め(皮肉?)となった。
しかしながら、通常の、認識論の学びの無い、ケアマネジャーでは、仮に相手の立場に立つことは出来ても、相手の気持ちを分かることは難しいだろうと思えて......。
これは我々治療家が、理屈で患者の立場に立つことは可能であっても、なかなかに患者の気持ちは分からない、分かったつもりにしかなっていないのと同じこと、と思える。
人間相手のあらゆる職業に、認識論の学びの必須性を痛感する。