鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

エフゲニア・メドベデワ〜女子フィギュアに学ぶ施術のあり方〜

2015-12-13 22:18:50 | 鍼灸術・手技療法術
 昨日、本日と偶然のことで、女子フィギュアスケートGPファイナルを観た。中でもエフゲニア・メドベデワ(ロシア)の演技には、感心させられた。

 旧ソ連であるロシアは、世界最高のバレエ文化の伝統を受け継いでいる故に、女子体操にしても女子フィギュアスケートにしても、演技の表現力・芸術性といった部分では、他国の追随を許さぬものがある、と思うが、エフゲニア・メドベデワの演技も、その例に漏れず、ジャンプ等の技術的な部分だけではなく、表現力・芸術性もまた、出場選手の中では断トツであった。と思う。

 門外漢である自身が、フィギュアスケートの良し悪しを云々しても始まらないので、手技療法術の施術という観点から・・・・・・。

 エフゲニア・メドベデワの演技の見事さは、大技であるジャンプの見事さもさることながら、大技と大技をつなぐ、つなぎの部分の動作もまた、見事な技であるという、別言すれば、大技であるジャンプの見事さと全体の流れが両立されている、逆から言えば、全体の流れの中での違和感のない大技としてジャンプを行えているという見事さがある。が故の芸術性の高さが素晴らしい。
 と思うのだが、これは、狭義の手技療法術の、例えば指圧の施術で言えば、コリやハリのある部分が解れるような、身体の奥深くの神経にまで届くような、しっかりとした圧で指圧できるのみならず、それ以外の部分、つなぎの部分も、そつなく、心地よく、指圧していけている。全体として流れのある心地よい施術ができているということである。

 こう言うと、「フィギュアスケートと指圧は違うのでは?」との疑問、反問が必ずあると思う。

 確かに、芸術性が採点の対象となる、それゆえそのことが求められるフィギュアスケートと違って、指圧の施術は、治療効果が上がればそれで良いし、それ以外の部分はどうでも良い、流れの見事さとか心地よさとかは必要ではない。とも言える。

 しかし、である。技自体が、患者の身体に否応なしに働きかけることの出来る鍼灸と違って、素手で行う指圧等の狭義の手技療法術の場合は、患者が心を開いてくれなければ、心を閉ざして身体を硬くしていたのでは、その本来の効果を発揮し難い面がある。
 それゆえの患者とのコミュニケーション能力の必要性であるし、同じくの心地よい、流れのある施術の必要性である。といえば、その必要性を少しは理解していただけるであろうか?
 それ故に、エフゲニア・メドベデワに関心したのであるし、ましてまだ16歳の少女であるのに・・・・・。

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