東洋医学の理論~人間が病むということの過程的構造からの東洋医学的治療論~

人間が病むということの過程的像から、鍼灸等の問題を説いてみたいと思います。よろしくお願いいたします。

東洋医学の学びの総括(3−1)〜東洋医学、鍼灸の学びにとっての、認識論と弁証法の学びの必要性について〜

2018-04-15 20:12:04 | 鍼灸学校の学びの総括あるいは鍼灸・東洋医学とは何か
 「陰陽論・五行論」について説いたので、次は、「気・血・津液」、「経絡・経穴」、「蔵象」へと筆をすすめる予定であった(「東洋医学の学びの総括」の構想としては、一般論(本質論)-構造論-現象論の順でとの思いがあった)のだが、東洋医学、鍼灸に関わる学びの総括をしようと、そこに関わる諸々の像を想起していくと、東洋医学、鍼灸の世界に認識論と弁証法が皆無であるということが痛感され、その現状に鑑みて、自身にとっては東洋医学、鍼灸を学ぶことで直接に学んだことでは無いのだが、自身の東洋医学、鍼灸の学びにそれが不可欠であった(それゆえに、東洋医学、鍼灸の学びによって認識論と弁証法の学びの深まりも当然にあった)ということから、認識論と弁証法について、その必要性について、少しばかり説いておきたい。

 さて、認識論と弁証法については、まず何よりも南郷先生の著作に(特に、『なんごう つぐまさが説く 看護学科・心理学科学生への ”夢”講義』(南郷 継正 著 現代社白鳳選書)に)学んでいただきたいと思う。なぜならそこに全て説(解)かれてあるのだから、そういう意味では、自身の出る幕など何も無いのであるが、東洋医学,鍼灸の世界では、南郷先生の存在があまり知られていない(自身の管見の範囲内では)と思えるので、その現状に鑑みて、である。

 まず、認識論について。認識論とは、「対象(=アバウトには、外界と思ってもらっていい)の頭脳における反映」である「認識」を論じる学問である。こう説くと、「それがどうした。だから何なのだ。それが一体東洋医学や鍼灸とどんな関係があるというのだ。」との反問が、また、「自分が学びたいのは、患者を治療するための鍼灸であり、そのための東洋医学であって、哲学(=認識論・弁証法)では無い。そんなことには何の興味も無い。」との反発が当然にあると思う。

 しかしながら、人間の行動は動物と違ってほとんどすべてに認識がその大元にある、例えば、東洋医学や鍼灸を誕生させたのも認識であるならば、その東洋医学や鍼灸を学ぶのも認識(我々の)である。また、患者を治療していくのも治療家の(我々の)認識であるし、患者のありかた(例えば、病気になっていったり、健康になっていったりする大元の生活のありかた)を決めてくるものも認識である。のだから、人間の行動、実践に関わるあらゆることは、そこに関わる認識が分からなければ本当には何も分からないものである。(はずである。)

 にもかかわらず、現在の東洋医学や鍼灸の世界には、その人間と人間の実践にかかわるあらゆることを分かるために必須の認識、を分かるために必須の認識論が皆無なのであるから、いくら必死に努力を積み重ねてみても得るものは少ない、有体に言えば現代においてはほとんど無い、骨折り損のくたびれ儲けになってしまう、なってしまっているのだ、と思える、からの認識論の学びのすすめである。

 例えば、東洋医学として伝わっているものを学ぶのに、古代中国の東洋医学を誕生させた人々の認識を、どのような思い=認識で、それら東洋医学を誕生させていったのか、ということを分からずに、分かろうともしないで、東洋医学を現在に伝わっているままに学ぶ、批判するというのでは、言語表現とその背後の認識とは相対的独立であるという理解がないままに学んでいくならば、大切なものを学び損なうことになっていってしまうことになる,と思える。

 これは例えば、我々が「◯○が嫌い!」と言ったとして,本当に嫌いでそう言っているのか、それとも,逆に,本当は好きだけれども、例えばイソップの寓話にあるごとくに、望んでも手に入らない,との思いから、「◯○が嫌い!」と言っているのか、で、その「◯○が嫌い!」という言葉の意味も違ってくる、それに対しての対処法も変わってくる,こなければならない、という例で分かっていただきたいと思う。

 そのように、人間と人間の関わるほとんどの物事は、個人のレベルとしても人類のレベルとしても、その大元の認識が分からなければ本当には分からない、のであるからの、その何よりも大切な大元の認識を知る術が、認識論(認識学)なのであるからの、認識論の学びのすすめである。

 このように述べても、おそらくは、東洋医学,鍼灸の世界では、その必要性はほとんどの方には理解されないであろうとは思うが、これから東洋医学,鍼灸を学ぶ皆さんの中にはもしかしたら、との思いもあるからの、でもある。

 (続く)


 

 
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