鍼灸如何に学ぶべきか~科学的鍼灸論の構築のために~

鍼灸の理論と術にかかわる初歩的・基本的な問題を中心に科学的=論理的に唯物論を把持して説(解)いて行きたい、と思います。

三分間指圧とは何か、如何にあるべき〜一撃必倒の論理に学ぶ〜

2017-07-07 08:56:11 | 鍼灸術・手技療法術
三分間指圧について考えた。要は、意思の問題である、と思える。

昨日は三分間指圧が出来た!と思えたのであるが、一方で、本当にそうなのか?自分だけでそう思っているだけのことでは無いのか?等の思いもあったので、そもそも三分間指圧とは何か、如何にあるべきか、と改めて考えた。

そのように考えて思い浮かんだのが、南郷先生が説いてくださっている「一撃必倒の論理」である。原文を参照していないので正確ではないが、中国の拳法・武術と日本の空手・武術の闘いかたの比較で、中国の拳法・武術の闘いは技を多く出しているうちにまぐれ的に技が当たって相手が倒れる、というものであるのに対して空手の、日本の武術の闘いは、一撃必倒であり一刀必殺であり、相手の隙を探して、あるいは相手の隙をつくっての、その隙に対しての鍛え上げた技を駆使するものである、と。また、一撃必倒を目指しての闘いであっても、一撃で倒すことが出来なければ当然に二撃、三撃となっていくものである……とも説かれていたと思う。

これは、一撃必倒、一刀必殺とは、まず意思の問題、目的意識性の問題であって、それを可能とするべく秀技を創出し、その秀技を相手の隙に向けて駆使するという闘いを修業してが前提であるけれども……ということである、と思う。

同様に「三分間指圧」というものも、施術時間が3分間以内であるとか10分間以上もかかってしまったとかの皮相なレベルで云々するべきこと、されるべきことでは無くして、患者の病みの構造、身体の歪みの構造をしっかりと把握しての、その大元の原因となる部分への施術で治すということであり、結果として見当違いの部位への施術が長い時間をかけて全身を行うことでまぐれ的にしか効果を発揮出来ないのに対して、短時間で効果を発揮出来る場合がほとんどである、ということであって、一撃で倒せなければ二撃、三撃となっていくことも(患者の病みのレベルによって、また術者の上達のレベルによって)やむ得ない、というでもある。

一撃必倒の意思を持って、患者の病みの構造、身体の歪みの構造に分け入ることでの施術に全力を尽くしていきたい。

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