K巨匠のいかんともなるブログ

K巨匠:英国から帰国後、さらに扱いづらくなった者の総称。
また常に紳士的ぶりつつも、現実には必ずしもその限りではない。

Trip to St Ives

2008-08-20 09:24:51 | 旅行記
この前の週末、友達とSt Ivesという場所に行った。
イングランドの西端に位置するこの町は、昔ながらの独特なイングランドの街並みを残していた。

この町は海岸沿いに位置するためか、多くの芸術家がこの地を訪れたらしい。

アイスクリームでも食べながら海岸沿いを闊歩していると、
前のロンドンの項で若干ふれたテート・モダンの支部を発見した。
やっぱり芸術の町なのだなと思いつつ、入ってみる。



というわけで、今回は芸術(特にモダン、ポスト・モダンアート)についてです。
前項では分からないですましてしまったのだけれども、それでは納得いかないので、強引に解釈してみる。

一応ことわっておくと、Kの理解のレベルはかなり浅いので、鵜呑みにしない方がよいと思う。




モダンアート、ポスト・モダンアート。
特に抽象主義(Abstruct Art)と呼ばれる潮流は理解するのが難しい。

テート・モダンの中は撮影禁止なのでブログに写真をアップできないのだが、興味あれば見てみてほしい。

とにかく難しい。

それでも説明を加えるとするならば、以下のようになるのではないだろうか。


19世紀まではいわば、人間中心主義の時代だった。
それは、中世において教会が支配していた時代を抜けだし、人間中心主義を打ち出したヨーロッパが覇権を握っていたからだ。
ニーチェの「神は死んだ」という言葉は、人間中心主義を極めてよく表しているといわれている。

こうした考え方は絵画にも表れている。19世紀の絵画は素人から見ると美しい風景などが多い。
それは人間の「理性」でとらえることのできる「客観的な美」が前提とされているからだ。


例えば、ある川の風景を多くの人が見るとする。
川の風景の感じ方は、そこにいる人全てに共有されており、その意味で客観性がある。

言いかえれば、人間は客観性を発見できるということであり、
19世紀の美しい風景画は誰もが同じく感じる美しさ、
すなわち人間の「理性」で捉えることのできる客観的な美しさを前提としている。


しかし、抽象主義と呼ばれる思潮はこうした客観性を批判する立場から生まれてきた。
例えば、「○□☆▼」。


何を感じましたか?


ある人は、ただの記号だと思う。
ある人は、何かの暗号だと思う。
ある子供は、星とか山とか思うかもしれない。
ある芸術家は、これが何かの芸術と思うかもしれない。


すなわち、同じ対象によっても感じ方は人それぞれによって違う。
その意味で対象(たとえば風景)に客観性は存在しない。

このように客観性を批判する立場から抽象主義という思潮が現れ、
極めて主観的な経験、それも「理性」からできる限り離れた経験を表そうとしたのだと思う。


主観的な経験は極めて抽象的な形をとる。
だから私たちにはひどく理解しがたいものになるのだともいえる。


・・・・

けれどももっと深いのだろうな。多分。

今のKのレベルでは、この解釈で限界ですわ。

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