K巨匠のいかんともなるブログ

K巨匠:英国から帰国後、さらに扱いづらくなった者の総称。
また常に紳士的ぶりつつも、現実には必ずしもその限りではない。

なぜ日本は経済大国となれたのか(後編)

2008-09-11 04:27:43 | 日本情勢
この前は途中で切ってしまってどうもすみません。

では続編を書こうと思います。
トピックは「なぜ日本は経済大国となれたのか」

はっきり言って、分からないし、
分かったとしてもそれをブログで紹介しきれるとは思えません。
なので、ここでは簡単な説明にとどめます。(またそれがKの理解の限界でもある。)


では、まず最初に高度経済成長から。

大まかにいって、これを説明するには二つの立場がある。

一つ目は、高度経済成長を市場の成功と見なす考え方だ。
50年代から60年代の日本は大量消費・大量生産社会だった。
それを象徴するのが3種の神器というキャッチコピーだ。
(50年代はテレビ・洗濯機・冷蔵庫、60年代にはカラーテレビ・クーラー・自動車)

なので、企業は製品を作れば作るほど売れた。
その利潤を設備投資に回して、労働者が潤った。
また労働者はマイホーム購入などのために貯蓄をしたので、
投資の源泉があふれるようになった。

また、高度経済成長は企業の技術革新をもたらし、
結果として日本製品は海外にも受け入れられるようになっていった。
(ソニーのトランジスタラジオは技術革新の好例)


もう一つの見方は、高度経済成長を政府の成功と見なす考え方だ。
この時期、政府は公共投資を拡大するとともに、金融緩和と減税を行った。
そのため消費者の可処分所得が増大し、内需が拡大することとなった。
さらに産業別計画や成長目標を政府が示すことによる、
「緩やかな計画経済」によって日本は成長を実現することができた。


だが同時に忘れてはならないのは、国際関係が日本の成長を規定したという事実である。

日本が戦後一貫して成長したというのは事実ではなくて、
実際は朝鮮戦争による特需が契機であった。
朝鮮戦争によってある程度の外資を貯え、
それを元手に原材料を輸入し、加工して輸出するという加工貿易を推進することができた。

また高度経済成長期は世界的に好景気であった。
したがって、西側陣営にとどまったことにより、
西側諸国との貿易の利益を甘受することができた。


とまあ、ここまで高度経済成長の要因を概観してきたわけだけども、
高度経済成長はオイルショックで崩れることになる。

オイルショックは日本では否定的に語られることが多いけれども、
実はオイルショックによって省エネ産業が発達し、
日本の競争力が強化されたという側面もある。

その後に安定成長を実現できたのはオイルショックによる教訓であるといっても
過言ではないと思う。


がしかし、プラザ合意を契機に日本経済はバブル景気に突入する。
それは株価と地価の高騰をもたらし、結果として、
日本の経済成長の停滞を招くのである。

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