K巨匠のいかんともなるブログ

K巨匠:英国から帰国後、さらに扱いづらくなった者の総称。
また常に紳士的ぶりつつも、現実には必ずしもその限りではない。

何かを守り、大切にし、幸せにするということ

2008-12-30 12:57:02 | 活きる
さてさて、早いものでこれが今年最後の記事になってしまいました。
なので今回はその総まとめとして、Kが今まで最も追求してきた志、
そしてこれからも追求していきたい志について書こうと思います。

というのも、今まで自分の追求する志についてその想いを度々述べてきたけれど、
その具体的な内容には全く触れずじまいでした。
だから、ここまでブログを読んでくれた皆への感謝の気持ちも込めて、
俺の追求する志って何なのか、
その導入だけでも述べたいと思います。

まず最初に断っておきたいのが、ここで書きたいことというのは、
大学でやっている研究の内容自体ではありません。
というよりは、なぜ大学院に進んだのか、なぜ今の研究を選んだのか、
何を自分は考えてきたのか、そして自分はこれからどうありたいのか、
その自分の根本を規定する大きな動機づけや問題意識のようなものと
考えてもらえればよいのではないかと思います。
では、できるだけ分かりやすく書くので、興味ある方は読んでください。


***


突然ですが、よほど常識外れな人でなければ、
人生のうちに一度は考えたことがあるのではないでしょうか。

何かを守るということ。
何かを大切にするということ。
誰かを幸せにするということ。

これらは非常に基本的で単純に見えるけれども、とても難しいことなのです。


別に個人に限った話ではありません。
国が、会社が、集団が、はたまた世界が、人を守ったり、幸せにするってどういうことなのだろうか。
逆に、人を見捨てたり、何かを壊したりするってどういうことなのだろうか。

例えばハリウッド映画によくこんな展開があります。
「ギャハハハー、殺戮ってたまらなく楽しいぜ~!!」
典型的な悪役ですね。(笑)
そこにヒーローが現われて悪役を打ちのめす。
結果、みんなハッピー!

でもね、現実っていうのは、こんなに単純ではないのです。
そうではなくて、みんな誰しもが大切なものがあるし、何かを守りたいと思っている。
けど、それを守るために、時にそれ以外のものを犠牲にしなければならなくて、
そしてそれが時にものすごく悲劇的な結果を生んでいるから、
現実ってのはなかなか難しいのです。

個人のレベルで考えるなら、
ある人を幸せにするために、あるいは自分の信念を守るためにした行為が、
一方で誰かを傷つけてたり、何かを破壊したりしている。
例えばKが自分の信念を貫くことを最優先にしてきたこと。
正しいって思ってやってきたし、それは今でも変わってないけれど、
とても多くの友達や恋人を傷つけてきたことはやっぱり否定できない。
こんなことって多分誰にとっても、めずらしいことではないのではないかと思う。


でも個人でさえ誰かを守ったり幸せにするのが難しいのに、
それが国や世界のレベルになると、話はもっともっと複雑になる。
そしてそれが、時に目をそむけたくなるような悲惨な結果になることがあるのです。

もちろんみんなが幸せになれば一番いいし、
ほとんどの人はそう思っているのかもしれない。

けど、自分たちの国の人たちを守るためには、他の国の人たちを殺さなきゃならない。
自分たちの生活を守るために、貴重な自然環境を破壊しなきゃならない。
自分たちが裕福であるために、貧しい人は貧しくなくてはならない。

みんな自分が「正しい」って思うことに向かって行動しているのに、
結果として、それが他人を不幸にしている。
皮肉だけど、世界はそんな風にできているっていってもいいのかもしれない。


でも、もっと大きな問題はそうした構造自体にあるんじゃなくて、
ほとんどの人がそのことに気付かずに、
もしくは気づいていてもそれに目もくれずに行動しているということなんです。
時に人は「正しい」って思ったことを盲信して、
それがどんな結果をもたらすのかをしっかり考えないで行動している。



それでどれだけの人たちが憎しみあってきたのか。

どれだけの命が奪われてきたのか。

どれだけの生活が壊され、絶望の下で生きなきゃいけなくなったのか。

人は一人一人が精一杯生きているし、その権利があるはずなのに、
時にそんなことに目もくれない悲惨な仕打ちが起こるのはなぜなのか。



・・・・こうした現実は、
俺がこの記事を書いている「今」にも起きている・・・・



だから俺は想うのさ。

こんな現実知っちゃったらさ、だまって見ているわけにはいかないじゃん。

答えがなくても、立ち止まったら、何も変わんないじゃん。

「どうしようもない」なんて、言うわけにはいかないじゃん。


そのために自分は何ができるんだろうって、
自分でもすごく阿呆みたいに思うけど、この三年間ずっと考えてきたのです。
もちろん俺だけでできることなんてほとんどないことくらい分かっているけど、
それでも、何かあるはずだって、どんな状況でも何かあるはずだって、
ずっと考えてきたのです。


今は・・・あります。
自分が何をすべきで、
そのためにどういう道を歩むべきかという考えが。
多分こうした問題に真剣に取り組んでいる人から見れば邪道なのかもしれないけど(笑)、
でも遠回りに見えて一番近いと思うことがあるのです。
もちろん成し遂げられる自信なんて全くないから、
今はそれが何かなんて言えないけどね。


でも一つ確かなことは、
そのために今は力を貯えなきゃいけないって思っているし、
今はそれが俺の志であり、「道」なのです。


だから、決してあきらめられない「道」なんです。


***


う~ん。
なんかあれだね、
子供の妄想みたいな話で今年の記事終わっちったな

ま、いっか(笑)

ではでは、みなさん、よいお年を。